読者共作2「ポスドク1万人計画と科学技術立国」

 大学院を出た若手研究者に研究の場を与える「ポスドク1万人計画」が科学技術基本計画で打ち出されて5年が経過した。研究戦力を増やすため90年代に入って進展した「大学院重点化」の結果、大学院生の定員が大きく増えた。大学院を卒業した研究者の行き場がなくなる事態を前にして、表向きの名分はともかく、この計画は泥縄式に生み出されたとも言える。そして、今や、その「ポスドク1万人」からも「卒業生」が大量に溢れ出ようとしている。例によって、その先は考慮されていなかったのだ。読者応募の「インターネットで読み解く!」作品で問題提起していただいたのを機会に、かねて気になっていた問題に取り組んでみたい。今回の内容は次の通り。

   【1】米百俵の虚実・・・・・・・・岡崎一郎
   【2】封建制下の科学技術立国・・・団藤保晴

□■米百俵の虚実・・・・・岡崎一郎

 小泉内閣が掲げる「骨太の方針」そして「米百俵」の精神。言うまでもなく、「米百俵」とは明治維新の戦いに敗れた長岡藩において、大参事小林虎三郎が支援に送られた米百俵を未来の人材育成のための学校づくりに用いた故事による言葉である。未来のために今の痛みを我慢する、という意味に使われることが多いが、本来は人材育成の重要さと精神を表す言葉だといえる。

 しかし今、改革の水面下ではその精神とはまさにかけ離れた行政が行われようとしている。決定的な一打は日本育英会に関する最近の一連の政策だ。

 例えば政府の行革推進事務局の報告には、事務局案として「若手研究者の確保という政策目標の効果的達成の手法として、無利子資金の大学院生返還免除制度は廃止し・・・」とある。目的と手法のあまりのギャップに目眩すら覚える。 

 実際には、現時点でこれが実現したならば、日本の高等教育、特に生命科学などの基礎的な先端科学技術教育に対して計り知れないダメージを与えることになるだろう。

 日本の高等教育制度の歪みは早くから指摘されてきた。特に海外への留学経験を持つ一流の研究者や学識者は以下のように常に発言し続けているにもかかわらず、何故か初等教育に関する変革は行っても、大学、大学院などの高等教育は「聖域」とされていたようだ。

 ノーベル賞受賞者で、現在米国の工科系大学のトップといわれるMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授職にある利根川進博士は前参議院議員畑恵氏のインタビューのなかで、「そもそもこっちの大学院、有名大学の20個ぐらいの大学の理科系の大学院の学生とか、自分のカネ、一銭もなくてもやっていけるようになっているわけです」「ぼくは1967年に初めて来て年間2300ドルもらったわけ。そのころの大学卒業の初任給の 2.5倍だったよ」と語り、米国の高等教育に対する充実した支援制度をあげている。

 またロンドン大学留学中の生化学研究者長野希美氏は若手生化学者の会への寄稿で「 ロンドンでのPh.D. Student(博士課程)の給与は、1年目が9千ポンド、3年目が1万ポンドと年々少しずつ上がるようです。但し、やはり成績が落ちると打ち切られるので、夏休みなどを除いてアルバイトはやはり禁止されているそうです」と、アルバイトに明け暮れる日本の状況に比べ、イギリスでは大学院生が学業、研究に集中できる体制が構築されていることを指摘する。

 日本で大学院博士課程まで進む場合、スムーズにいって修了に4年ないし5年かかる。都市部の有名大学院に入る場合、生活費も含めると大学院修了にかかる費用は国立でも1000万円を超える。これは相当裕福な家庭でなければ払える額ではない。特に長時間の実験の多い理科系分野ではアルバイトをしていては研究に支障を来すため、熱心な大学院生ほど奨学金に頼ることになる。現在院生の多くは文部科学省管轄の特殊法人日本育英会の奨学金を受けている。上記のように、欧米諸国においては博士課程以上の大学院生の専門的な研究活動は労働と見なされるため、「奨学金」といえば給費制のものを指す。だが日本育英会のそれは有利子無利子はあるものの全て貸与である。要するに「借金」だ。日本育英会の奨学金返還例のページをみると、大学院で博士課程まで貸与奨学金を受けた場合最大630万円もの借金を背負う計算になる。

唯一の救いは大学教員や公的機関の研究職に就いた場合、これらの奨学金の返還が免除されていたことだが、民間へ就職した場合は適用されず、運悪く就職に失敗すれば修了と同時に自己破産しかねない悲惨な状況だ。

 また平成7年より政府は先端基礎科学の研究者数を確保するために、大学院生と同時に博士号取得者が2.3年の年限で雇われる「ポストドクトラルフェロー」いう非常勤職を「ポスドク一万人計画」によって大幅に増やしてきた。だが期限が切れたあとの職は公的機関にも民間にも育っておらず、特に基礎研究分野においてはこれから毎年5000人近くの博士号取得者が路頭に迷うと言われている。生命科学系の専門誌「蛋白質核酸酵素」においても博士号取得に関する諸問題を特集し、「わずかなポストに応募者多数という状態が続いている。フリーターになった博士の噂話も聞くようになった」と現場の悲痛な声を伝えている。 

 なるほど「奨学金」の返還免除によって公的機関への就職が好まれ、民間が避けられがちであったことは確かだ。だがそもそも公、民の研究職も飽和して博士取得者があふれ出し、ベンチャーキャピタルもほとんど育っていない現時点で返還免除を廃止すれば、博士号取得は破産への道となってしまう。

 高度な先端科学研究の場では、現在博士号は世界的な標準資格であるといえる。このままの道を行けば、日本は遠からず科学技術立国の看板を降ろさざるを得ない状況に追い込まれるだろう。

 人材が最大の財産である我が国で、「米百俵」を掲げながらにして若い人材が使い捨てられていく。果たしてこの「改革」の風はどこに向かって吹いているのだろう?


□■封建制下の科学技術立国・・・団藤保晴

 問題の本質を見るとき、天高くから鳥瞰するより、一個人の現場を先に知った方がよい場合がある。今回は、そのケースだろう。

 「岡崎基礎生物学研究所(総合研究大学院大学博士課程)において学位取得をめざすも」「指導教授の暴言に抗議し」「研究指導・教育の不備を訴え、教授の横暴を改善させる指針を示すまで授業料半年分の納入を拒否すると宣言したため、除籍処分」「莫大な借金(日本育英会奨学金)の返済に苦闘」「フリーター生活を送っている」尾上伸氏の「大学院教育 その恐るべき実態」は、あまりの幻滅感に、研究者を目指している若い方たちに読ませるのをためらうほど。

 「私の体験談/」「大学における科学者の実態/」に現れている、教授の横暴や研究室運営の不当なありようは、この国の高等教育が人を育てるように出来ていないことを示している。さらに言えば、研究や個々人の能力に対する評価が妥当にされていないことが、根本の問題である。「評価システムがないところに自律と自立はない」。これは、私の連載第74回「大学の混迷は深まるばかり」で明らかにしたとおりだ。

 ポスドク制度は欧米にもある。しかし、日本とは仕組みが違う。欧米と日本の比較をしている「日本と米国のシステムの比較から問題点を探る」はこう述べる。

 「アメリカではポスドクはきちんとしたポジションであり、学位取得後数年ポスドクをするのが一般的ですが、ポスドクの後のシステムが完全に日米で異なることが重要な意味をもってきます」。日本では「助手以上のポストがすべて原則として(教授以外は教授が人事権をもつので教授次第の面はあるが)終身雇用であり、その部分は旧式のシステムのまま」ポスドクだけが任期制で、大幅に増やされたのだから使い捨てにされかねない。

 昨年6月に東大大学院の教官から国立大学協会に出された「若手研究者をめぐる状況とその改善についての意見書」は「この10年で教官一人が指導するべき大学院生数は、ほぼ2倍になりました。さらに、重点化にともなって助手のポストを教授・助教授のポストに振り替えたため、若手研究者の就職口でもある助手のポストが減少しています」とし、「オーバードクター・オーバー『ポスドク』問題がより深刻化するのは、実はこれからだと考えられ」「事態を打開するため」「大学院重点化の功罪を明らかにすること」「ポスドク全体の実態調査を」国大協に求めている。

 心ある人たちは早くから気付いていて、いろいろなところで発言している。ネット内を検索すれば直ぐに見つけだせる。しかし、何か変わったのか、と問われれば否定的にならざるを得ない。

 2001年からの新しい「科学技術基本計画」は、この問題をどうしようと考えているのか、該当部分を探そう。

 「ポストドクター等1万人支援計画は、数値目標が4年目において達成され、我が国の若手研究者の層を厚くし、研究現場の活性化に貢献したが、ポストドクター期間中の研究指導者との関係、期間終了後の進路等に課題が残った。また、任期付任用制度、産学官連携の促進のための国家公務員の兼業緩和等の制度改善を行ったが、現在までの人材の流動性の向上は必ずしも十分ではない」

 この反省はよしとしよう。ではどうするのか。

 「若手研究者は任期を付して雇用し、その間の業績を評価して任期を付さない職を与える米国等におけるテニュア制は、米国等での研究開発環境の活性化の源と言われる。我が国も、将来に向けて、このような活力ある研究開発環境を指向し、30代半ば程度までは広く任期を付して雇用し、競争的な研究開発環境の中で研究者として活動できるよう、任期制の広範な定着に努める」

 教授の独裁的支配でない米国の研究のあり方を習って「研究に関し、優れた助教授・助手が教授から独立して活躍することができるよう、制度改正も視野に入れつつ、助教授・助手の位置付けの見直しを図る」ともあるが、いずれも弱々しい。

 現在ある、教授会の自治をひっくり返さずには不可能なことなのに、実行しようとする意思が見えない。昨年の東大定年延長決定さえ止められないでいて、出来ようはずもない。評価のあり方についてもいろいろと語られているが、私には「茶飲み話」くらいにしか読めなかった。敷かれているのは、サイエンスの世界にあるまじき封建制なのだ。明確な改革の表明なしに事態は動かない。

 「東大の定年延長は本当に大学を活性化させるのか」にある黒川清・東大名誉教授のコメントを引用したい。大学人の真摯な反省もないまま惰性でここまできた現在、なまじの手直しなどで済む問題でない、ことの根深さ、広がりが指摘されている。

 「日本の国立大学の教授は、一方で身分の保護とフルタイムの給料の上に企業との兼業を要求しながら、他方で若い教官に対しては任期制を検討するなどというおかしなことをやっています。日本のエリート構造と精神が腐敗してきていると強く思います」「こうしたことが下位組織のモラルの低下に影響を与え、鉄道のコンクリート事故、ロケットの失敗、警察のスキャンダルなどにも関係しているのだと思います」