第206回「失われた20年を経て日米の仕事観も大逆転」

 GEWELというNPO法人が実施した「ビジネスパーソンの働く意識調査〜日米比較」を見て仕事への価値観・自信など日米落差に驚き、同時に過去のいきさつを知っているので納得できることに思い至りました。東西冷戦が終わった1989年以降、失われた20年の間に何の戦略的な方向も見いだせずに日本の社会は彷徨ってきたのですから。

 働く意識調査は日米ともインターネット調査で、サンプルの概要はこちらに紹介されています。社会学的に認められる本格調査ではありませんし、日本側2471人に中小企業が多く、米国側1600人にやや大企業が多いとの差もあります。それでも次のような結果になれば十分に有意な差があると思えます。

 まず「会社・組織に愛着を感じているか」では「日本55.8%」「米国79.8%」になります。「仕事の内容に満足しているか」は「日本52.6%」「米国73.9%」です。「自分の能力は、他社に行っても十分役立つと思う」では「日本44.3%」「米国90.4%」とダブルスコアになってしまいます。職場の人間関係や報酬など、たくさんある項目から同じ傾向が読みとれます。(ダイバーシティなどカタカナ概念の設問は、日本側の対象者が理解できなかったでしょうから無視されることをお勧めします)

 働くことの意味は新聞記者の仕事としても熱心に考え、追ってきたテーマです。第120回「負け組の生きる力・勝ち組の奈落」にまとめがあり、日米欧の社会心理学者による「働くことの意味」国際調査をグラフ化した「日米、世代別の仕事中心性推移」を掲げています。週に16時間以上働く人にアンケートし「レジャー、地域社会、仕事、宗教、家庭」の5部門が、それぞれの個人生活の中でどれくらい重要に思えるか、合計100点になるよう配分してもらっています。これを1982年と91年の2回実施し(米国は89年)ています。グラフを掲げます。  社会心理学者たちは、この調査で一度身につけた仕事中心性は、ほぼ10年を経てもあまり変わらないことを知りました。日本人は年を取るほど仕事中心になっていくのかと思っていたのに、中年世代では10年後にやや落ちました。大注目は、90年前後に日米の20代で仕事中心性が逆転した点です。20年後の2010年現在に時を移してグラフを描き直しましょう。  20年前とはまるで異なる状況が現れます。大学在学時からベンチャーを興そう目指す米国の学生を見ていると、米国側の若手で仕事中心性はさらに高まっていると考えられます。「ビジネスパーソンの働く意識調査〜日米比較」に表現されている意識の差は不思議ではなくなります。

 調査結果を見た「Joe's Labo」の「労働市場という宝の山」は「一言でいうと、日本人サラリーマンは仕事に愛着も満足感も抱いちゃいないということだ。それでいて実労働時間だけは先進国一長いわけだから、もうほとんど人生=拷問みたいなものである」と切り捨てます。「普通、労働市場では、満足度って何かとトレードオフの関係であると思うのだけど、何一つメリットがなくて不利益だけついてくるっていうのはある意味凄い。 いや、安定性という意味ではメリットらしきものもあるのだろうけど、それは大手だけの話だし、大手にしてもいっぺん落ちてしまうと長期失業という形でロックされてしまうわけで、日本型雇用のメリットっていったいなんだろうか」と固定された閉塞感を打ち破る必要性を指摘します。

 何も考えずに従来通りを踏襲してきた、この国の政治。その間に世界の状況も、国民の意識も大きく変化してしまいました。もう、この辺りでアップデートしなければなりません。