第323回「福島原発事故の責任者究明への道が開かれた」

 閉ざされていた福島原発事故の責任者究明・追及への道が、東京電力が従来の「不可抗力」「想定不能」から大津波対処責任を認めたことで開かれました。これは同時に、多数の市民から刑事告訴されている事故責任者のあぶり出しと刑事訴追も、これまで考えられていた「ほぼ不可能」と違って有力になったとみるべきです。《東電、津波対策の不備を初めて認める》などのメディア各社の記事を見て、どうして地味な扱いなのか疑問でたまりません。過失責任をめぐる刑事事件の扱い方を知っているジャーナリストなら、東電や政府の責任者訴追へ歯車が完全に回ったと認識できるはずです。

 読売新聞の記事は《東京電力は12日、原子力部門の安全対策を担う第三者委員会「原子力改革監視委員会」の初会合を開いた。東電は、福島第一原子力発電所を襲った津波の大きさを「想定できなかった」としていた従来の主張を変更し、津波対策の不備を初めて認める見解を示した》と伝えました。

 日経新聞のインタビュー《「東電、過ち大きく」「日本の規制 複雑」 クライン委員長に聞く》になると《東電の「原子力改革監視委員会」の委員長に選任された米原子力規制委員会(NRC)のデール・クライン元委員長は12日、日本経済新聞の取材に応じた。福島第1原子力発電所の事故の責任は東電にあると指摘し、「安全文化を経営トップから組織の隅々まで浸透させねばならない」と抜本的な意識改革を求めた》とします。

 さらに「過酷事故に備えが必要」の項で《NRCは2001年の米同時テロ後、原発の安全指針「B5b」を策定。日本にも導入を促したが、経産省は当時この助言を無視した。もし日本がB5bを導入していれば福島第一原発事故は防げたか、との問いに対してクライン氏は「防げた」と断言した》とまで言っています。

 政府と国会と二つの事故調が設けられながら最初に炉心溶融した1号機について、政府事故調は津波主犯説、国会事故調は地震主犯説、さらに東電の事故調は天災=不可抗力説であったために、告訴を受けた検察が事故の責任に踏み込むことは非常に難しいと考えられました。「事故調報告を逆手に取り東電会長は人災否定」といった、個人の責任はないとした居直りまで出来る構図でした。

 しかし。事業者である東電自身が福島原発事故は防げたとするなら、防ぐために取らなければならなかった措置の責任が誰にあり、予見可能性の注意義務を誰が負うべきか、総括する経営責任の所在はどうだったか、厳しく問われることになります。米国NRCからのアドバイスを断った政府官僚も同様に判断の責任を問われます。

 読売新聞によると「過去の教訓を踏まえて、抜本的な安全策を講じる方針を打ち出し、柏崎刈羽原発(新潟県)の早期再稼働につなげたい考えだ」となっています。旧の経営陣が退社したから責任が不問になるはずもありません。新しい東電の考え方は短絡的で、旧役員らを切り捨て結構とまで考えてはいないのでしょうが、結果的に事故の本質的責任を国民の期待に沿って究明するという意味で非常に役に立つ、時宜にかなった選択だと考えられます。

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