第430回「苦悩する韓国、日本の過去像か異質な国民性か」

 旅客船沈没事故・地下鉄追突事故など社会のたがが外れている実態露呈に韓国が苦悩しています。マスメディアによる追及の続編を読むと日本がたどってきた過去像にも見えるし、我々と全く違う国民性の国とも思えます。第425回「国民性悪説に至った韓国メディアと反省なき日本」で韓国メディアの風向きが完全に変わったと指摘しました。朝鮮日報などは安全点検のキャンペーンを社会の色々な場面で粘り強く展開しています。

 中央日報の《【コラム】毎月1隻ずつセウォル号が沈没する=韓国》は「年間5000人以上が死亡する。大韓民国の交通事故だ。衝撃的な数だ」「大韓民国は先進国クラブといわれる経済協力開発機構(OECD)加盟国だ。本当に恥ずかしい。交通事故の死亡率は高い。人口10万人あたりの交通事故による死者(2011年)は、OECD加盟国の平均が6.8人だが、大韓民国はなんと10.5人にのぼる」と数字をあげています。

 人口が日本は韓国の2倍半あるのに交通事故死者数は少なく、10万人当たりなら韓国の3分の1です。しかし、日本だって昭和から平成に移る頃は死者が今の3倍もありました。交通事故に関してならば四半世紀前の日本だと思えば良いでしょう。安全点検キャンペーンでカラオケボックスやスーパーマーケットなど商業施設の防火設備や避難経路不備も取り上げられますが、日本だってこれが改まったのはそんなに昔ではありません。

 朝鮮日報の《【コラム】巧遅より拙速を好む国》がインド工科大で経営学博士号を得たキム・ヒョンドゥク氏の国民性比較論を掲載しています。韓国の「パルリパルリ(早く早く)文化」の功罪についてで、とても示唆的です。

 「韓国人とインド人はさまざまな面であまりにも大きく異なる。例えば仕事を始める前、韓国人は極端な楽観主義者であり、インド人は徹底した悲観主義者だ。韓国人は問題の70%を把握した上で『パルリパルリ』仕事を始めるが、インド人は120%確認してからその仕事をやるかどうか決める。ところが実際に仕事が始まると、韓国人とインド人の態度は正反対となり、韓国人は徹底した悲観論者、インド人は安易な楽観論者に変わる。インド人はあらかじめ把握してあった問題が発生すると落ち着いて対応し、損失が発生しても受け入れるべきは受け入れる。これに対して韓国人は『パルリパルリ』に執着するため、あらゆる問題が想定外であり、そのため大騒ぎをする。だからインド人は韓国人のことを『短い導火線』『押すだけでパニックになる人間たち』と表現する」

 日本人の立ち位置はインド人と韓国人の中間辺りなのでしょうか。

 セウォル号沈没の際に船長が真っ先に逃げ出しました。これに対比して朝鮮戦争の歴史を引いて「大統領がまず逃げた」と痛切な指摘が《[歴史と責任(1)] セウォル号の悪魔、大韓民国の悪魔…》にあります。「私たちの歴史の中にセウォル号の悪魔を上回りこそすれ決して下回らない悪魔はあまりにも多かった」「セウォル号船長イ・ジュンソクがそうしたように、李承晩は北朝鮮の攻撃で陥落の危機に陥った首都ソウルから一番最初に逃げた人だった」

 封建的身分制度が日本が朝鮮半島に介入を始める19世紀末まで存続しました。そこでは貴族階級に当たる「両班」が特権階級で科挙を受験できて上級官僚を独占しました。現在でも志の高い精神を両班意識とも言うのですが、両班階級の指導性に日本人から見ると疑問符が付くのです。両班がもし大きな官職に就けると遠縁まで含めて親族縁者が群がって来て、それを扶養する義務がありました。韓国の歴代大統領が親族まで含めた利益誘導と汚職にまみれ、職を辞した後で司直の手を煩わせ続けている構図とそっくりなのです。

 下層民から搾取したのは日本の武士階級だって同じです。しかし、有志の武士たちが明治維新を起こし、日本を近代化させました。もちろん維新政府で私腹を肥やした輩は出ましたが、維新の推進者だった西郷隆盛が最も嫌う行為でした。そして、廃藩置県、廃刀令、徴兵制と進む近代化は士族全体を裏切る形になりました。第53回「明治維新(上)志士達の夢と官僚国家」で描いた通り、それでも推進を続け、今に至る官僚制度を作ったのが大久保利通です。維新の先覚者精神と似通うものを韓国に見つけるのは難しいと感じます。

 【参照】インターネットで読み解く!『沈没事故に見る韓国の総無責任、秩序国家は無理か』