ネットジャーナリズム横断企画(20041126)

 最近、ブログに巡回時間を掛けている私の見るところ、ブログの多くは例の巨大掲示板「2ちゃんねる」でされている議論のレベルを出ていない。議論を議論として成立させるには言葉の概念を整理しなければならないのに言いっぱなし、すれ違いが多く、議論が噛み合わない場面が続出している。推敲されていないことが歴然の書き込みも多々である。

 それなら放置しておけば良いかもしれない。しかし、既に16年間余りネットジャーナリズムの可能性を追ってきた私には、あまりに惜しい。また、同志社大・浅野健一ゼミの「オーマイニュース オ代表が同志社大学で講演」の締めくくりで「もし日本でオーマイニュースのようなメディアを創りたいのなら、この様な『準備された市民』がまず必要です」と言われ、疑問が投げかけられて、皆さんは寂しくないだろうか。現在の日本のブロガーはまだ「準備された市民」ではないと思う。(ただし、インターネットでの知的蓄積は韓国と違ってウェブ中心に存在し、その厚さのほどは私の連載が証明している。しかし、ネットジャーナリズムとして現実に働きかける力は弱い)

 折しもライブドアが「パブリック・ジャーナリズムの実現へ向けて『パブリック・ジャーナリスト』を全国より募集開始」をうたい始めた。ブログの1%、何千人かは来る、との皮算用らしい。

 ネットにも精通しているプロジャーナリストの目から見て「その計画は無理ですよ」と申し上げるしかないが、それだけで良いだろうか。ツールをもう一つ用意すれば、日本のブログの世界を大化けさせられる可能性がある――これは岩波書店の月刊誌「世界」新年号(12月8日発売)座談会で北田暁大・東大助教授とも意見が一致した点である。

 世界で日本だけにしかない「メールマガジン」と「個人ニュースサイト」を組み入れたら、連載の第128回「ニュースサイトが生む津波アクセス」で指摘したように最大で数十万のアクセスを引き起こせ、マス・コミュニケーションとして十分な規模になる。これを「てこ」にすればブログの現状を変えられるはずだ。私自身が「ブログ時評」を新設して批評活動を始める。

 現在、ブログの世界は何十万件へと急膨張しすぎて、面白い議論であっても当事者周辺にしか分からない。「ネットと既成とジャーナリズム横断企画」では、まず「第三者が読むに値する議論」をブログから掘り起こして多くの人の目に留める。津波アクセスと言えるほど大きなアクセスが自律的に作り出せ、ネットの世界自らがマスコミになり得ることを知れば、多くの人に読んでもらうために書き手が精進して議論の質が高まる良循環に導けよう。この後、さらに紙媒体メディアとの連結ステップまで進められれば、何か変わった人たちの集まりというネット観が破れ、世間に与えるインパクトは大きい。

 大きなネットジャーナリズムのうねりを生み出す局面を切り開く仕事、それを自覚して出来るピンポイントの位置に私が居合わせたのは、偶然とは思えない気がしている。 (了)

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