「読者の声」掲示板


 読者の皆さんから寄せられた感想や意見、情報を、新着順に紹介します。(00/01-01/06)



◆「プロジェクトX」について
    Mさんからメール
       団藤からのコメント------6/10追加


いつも興味深く拝見させていただいております。
私が30代のせいでしょうか。以下の部分になにかしら違和感を覚えました。

>NHKの番組「プロジェクトX」が中高年泣かせとして話題になっている。
>私は「泣かせる」ところに力点があるとは思わない。出口の見つからない、
>こんな陰鬱な時代にサクセスストーリーを見たいのだと思う。それがリフレ
>ーンでもいいから・・・。

泣かせる話をつくるポイントとはどこにあるのでしょうか。
「プロジェクトX」の番組の多くは、劇的に枝葉を端折り、ストーリーを単線化 し、未来へ向けた問題をそぎ落としてなりたたせているように思います。内容を 1つ1つ上げるときりがありませんので省略しますが、あまりの単純化された 「物語」に抗議メールしようと思ったことも1度ならず。民放で過去に取り上げ られた時の同じテーマの方が、よほど事実に忠実に、そして感動的にまとめてあ ったものもありました。一方ではNHK地方局のすばらしいドキュメンタリーが ありながら・・・この質の差は何なのかと素人目に不思議でなりません。

後ろ向きの「過去の栄光」のプレイバックは、団藤さんが編集後記でおっしゃる 「夢を語れない」点で小泉氏と共通項を持つのではないでしょうか。過去を建設 的に振り返ることを拒否し、サクセスストーリーや栄光としてのみ振り返りたく なる雰囲気をこそ、野茂やイチローや新庄に、そして未来を担う世代に、うち破 ってほしいと願ってやみません。

筆者のホームページ・・・http://homepage1.nifty.com/HQG01414/



★団藤からのコメント
 「プロジェクトX」の恣意的な作り方は、私も気になっています。
京都支局員時代に「うちのヒット商品」シリーズという大型企画を
毎週書いていました。京都ベンチャー企業群のヒット商品の秘密を
明かす記事です。単に頑張ったから出来た、という手合いのストー
リーはまず存在しません。「秘密」は相応の「科学」から出来てい
るものでした。「プロジェクトX」にはその科学性が薄すぎるので
す。



◆「教師の資質とは!?」
    Sさんからメール------6/10追加・ケース報告として紹介します


私の二人目の娘(現在小学校4年生)の元担任教諭のことでした。
次女が小学校3年生の一年間、担任からの虐待とも思える指導を受けました。
担任教諭にも教頭・校長にも数回会い直接相談もしたのですが
結局私には具体的な答えをいただけずに一年で担任が変更されました。
事実、親としては担任代えになればそれで問題は終わるのかもしれませんが
あまりにひどい昨年度の担任の指導に納得できていないのです。

娘は病院に通院し精神安定剤も処方された程ストレスを感じ、
十回程学校も自主的に学校を休みました(主に今年の2月下旬より)。

具体的に申し上げるとすると、
・ 胸倉をつかんで怒る。襟首をつかまれ引き上げられた
・ 頭をわしづかみにされ怒られた
・ 忘れ物をすると「学校に来なくて良い」と言われた
・ 忘れ物をすると「他の子が勉強できない」と言われた
・ 給食時間45分のうち40分自習させられ、5分で食事を摂らせた
・ 休み時間も次週時間に当てられ休めなかった

など、他にもありますが上記はあまりにもひどいと思われるものです。
次女だけでなく他にも一年を通じて体罰などを受けた子どもがいます。
教頭や元校長の対応についても不満は残りますが、元担任教師は
どのような処分を受けたかわかりません。
東京の品川区は全国に先駆けて学校選択の自由化を施行しました(プラン21)。
問題教師の状況を何も知らされず、これが子どものためのプラン21なのかと残念に思います。
教育委員会にも相談させていただきました。
問題のどのポイントをどのようにどこに持っていったらよいかも分からずにいます。
児童への暴力が問題視されていますが、学校という親の目の届かない場所で
教師が児童に対して暴力を行った場合、親としてどのような対応ができるのか、
分からないことだらけで今回は本当に難しいと感じました。
子どもは担任を「絶対」と考えている」状態で子どもの声が直接響いてこない場合も多いと思います。
現在は担任も代わり元気に楽しく通学しています。
ただ、元担任教諭はTT(ティームティーチング)として、まだ学校で教鞭をとっています。
娘の学校は2年前にTVで取材された(越境児童数が多いとされている)大井第一小学校です。



◆最近のマスコミ・ジャーナリストについて
    Jさんからメール------2/25追加


 私は今37歳で従業員無しの有限会社を経営しているものです。私は高卒で勉強が大嫌いなため、大学には親の希望で挑戦はするものの箸にも棒にも掛からない程度の者なので、教育についてはあまりコメントできる立場でありません。

 しかし最近のマスコミ・ジャーナリストには失望しています。よく仕事の合間に新聞社やテレビ局のニュースのサイトを見にいくのですが、日本語の使い方の間違いや、誤字(誤変換)を始め、薄い内容には辟易しています。 テレビ局のT社のニュースは一際ひどく、一度も読み直していないような初歩的なミスが多いのですが、どういった目的で運営しているのでしょうか。取り組み方のいいかげんさがはっきりと伝わってきて残念です。

 政治関係の記者会見での幼稚な質問や、政治の本筋から外れる女性問題などのスキャンダルを政治記者が追及する様はとても情けない。恥ずかしい思いです。そんな質問しかしないから政治家も政策を論じる暇?がなくなってきてしまうのじゃないかとも感じてしまいます。政治家や当事者を記者が取り囲んで身動きできないようになってしまう様は、まさに烏合の衆と言う以外に表現のしようもありません。豊田事件などでマスコミは反省しているはずなのに、それが見られないのでは、何か規制が必要だなんて言われるようになってしまうのもある意味仕方ないのかと考えることもあります。なにかあれば自由を掲げるくせに義務や自分達のことは棚に上げてしまうマスコミの姿は、まるで今の若者達と変わらないように見受けられます。

 ところで、去年国税局が発表した「某外資系企業の社員150人がストックオプションによる所得を給与所得でなく一時所得と申告して脱税を図った」ような記事が掲載されました。実は私はその当事者で、国税局より修正申告するように呼び出された1人です。その対象となった年の申告は税務署に出向いて、税務署員と相談の上、税務署員に作成してもらった申告書を提出していたものでした。完全に税務署のミスなのを認めて貰えたので過少申告税、延滞税は免除してもらい納税しましたが、国税局は公には私たちを脱税を図った悪人に仕立て上げていたのです。

 この報道に憤りを感じ、ある大手の新聞社にメールしたところ、記事を書いたという国税局記者クラブの記者からメールを貰いました。彼は国税局の発表をそのまま記事にしたようで、私たちのことを「正しく申告しなかった連中が悪い」と思ったそうです。それじゃ戦時中の大本営発表と同じじゃないですか。実際の申告は色々な書類もあり計算も面倒なので、大抵の人は会計事務所や税理士さんに申告書を作成してもらっています。税務に精通した人、国家試験を通って国が免状を与えた人が作成した申告にクレームがついているわけですから、国税側だけの取材、それも発表だけで記事にしてしまう感覚が理解できません。第三者の税理士や公認会計士にコメントも求めない。それじゃ単なる政府の広報でしょ。この間のコナミやアルゼなど多くの脱税事件の中には国税との解釈の違いにより数億円の追徴課税がされてます。こんな見解の相違にこそ税理士や公認会計士のコメントを取材するべきなのに、それをしていたのはどこもありません。それでジャーナリストなんて気取って欲しくない。もちろんそんなジャーナリストは本当は極一部なのかも知れないのですが、あまりにも目に付くことが多いので。

 余談ですが、申告内容の修正は国税局側からは過去に遡ってできるのですが、申告者側からは前年に申告した内容に限られています。それも非常に時間と手間がかかる。こんな不公平なところを追求してくれてもよさそうなのに。

 政治も国も行政も教育もマスコミ・ジャーナリストもその公共性や役目を再確認しなければ日本と言う国の方向性を改めるのは難しいのではないでしょうか。これらの役割は国の存在意義に関わってくる非常に重要で責任の重い仕事だと思います。



◆「薬剤師は医療の役に立たない」
    Rさんからメール------2/25追加


 医療事故報道に関して、最近、やたらと「薬剤師の仕事が重要」「医薬分業は医療ミスを防ぐ」みたいな話が出ていて、准看護士による殺人未遂事件に関連した朝日の社説にすら「薬剤師を軽視するのはこの国の悪しき慣習」とまで出ていました。

 しかし、薬剤師資格を持つ者として、こういう話は全くおかしいと思います。薬剤師が軽視されるには、軽視されるだけの理由があります。

 日本の薬剤師は、医学知識はおろか、薬の知識すらろくに持っていません。

 「日本の薬学教育」(林一)という本にその辺の事情は詳しいのですが、かいつまんで説明しますと、「薬学部とは、言わば、飛行機の操縦方法を教えずに飛行機の構造や空気力学ばかり教えているパイロット養成所であり、教官は飛行機に載った経験すらない」ということなのです。薬学部は、医薬品の開発や製造方法に関する学問ばかりやっていて、その使い方を教えていないのです。教員には実務経験がありません。

 これは、薬科大学の卒業生にとっては自明ですが、一般国民には知られていませんし、自分から薬剤師が不利なことを言うわけがないので、とりあえず「薬剤師は薬の専門家」ということになっているのです。

 医薬分業自体も、非常に問題があります。

 処方せんを見てわかるミスは、処方せんの電子化によってコンピュータでチェック可能ですし、すでにそのようなソフトが存在します。単に薬をピッキングして袋に詰めて渡すだけなら知識は不要です。輸液の調製や薬の管理も、さして難しい知識が必要なわけではありません。学校知識よりも、実務経験や訓練がミスを防ぐのですが、多くの薬科大学は、4年間で実習をわずか1ヶ月しかやらないので、この点で全く貢献していません。

 「薬の説明を薬剤師がすることで患者の理解が高まり治療効果が上がる」論も、患者むけの説明書を、製薬会社が作って配れば済むことです。患者の相談に乗れる薬剤師がどれだけいるかも疑問です。

 薬剤師必要論を言う人たちは、いつもアメリカをモデルにしていますが、アメリカの薬剤師は、日本の薬剤師とは、名前は同じですが別の職種です。教育システムから作りなおさないと、同じ仕事はできません。

 また、一人あたり医療費を日本の2倍近く使っているアメリカの医療システムが、日本が見習うべきモデルになるとは思いません。「余計に人を雇って余計に金を使う」システムだからです。

「医薬分業のすすめ」にすら、以下のような医師の投稿が掲載されています。私も全く同意見ですね。
http://www2.nsknet.or.jp/~s-yoshi/densimail20.htm



◆自動車メーカーの現場技術者さんからメール------2/25追加

 メールマガジンをいつも興味深く読ませて頂いております。理系の新聞記者さんなんですね。そのせいか私のような現場技術者にとっても納得のいくコラムになっており,云々と言いながら読んでおりますし、あーそういう考えもあったのかと思わせられることもあります。

 自動車業界に従事するエンジニアとしましては,それに関連するコラムには興味が一層ありますし、感想もあります。自動車業界は今競争が厳しくなっており,いろんな分野での競争が激化しています。エンジニアに科せられる使命は,実は第一がコストダウンです。新車が世間に出て1-2ヶ月もすると,VE活動と呼ばれるコストダウン活動が始まり,極力機能を落とさずに各部品を安くしていきます。時には少し行き過ぎてしまい,機能が落ちたりすることもありますが、多分ユーザーは気づかないでしょう。

 どこのメーカーも上手くばれないようにコストダウンを仕掛けています。トヨタなんて上手いですよ。

 日産自動車は復活をかけていろいろやってるようですが、どうもパワーを感じません。ゴーンさんが利益を出すために仕事をしてるだけと言う印象があります。多分大いなる改革は,それを望む若手エンジニアには受け入れられるかもしれませんが,大多数の現場作業者や,管理職,下請けメーカーなどには,馴染み難いような気がします。生き残るためには仕方がないとだましだましつき従っていきますが、どの程度現場が納得してるのかは,メディアから伝わってきません。

 日経ビジネスなんかには,倒産した下請けメーカーの声が載ってたりしますが、あーいう意見が多いんじゃないでしょうか。まあうちもGMの支配力が強くなってくれば,今以上に厳しくなるんで,対岸の火事ではないんですが。ただうちの場合,元々社員全員(会長,社長など含めて)が,現場に近い感覚で仕事してるので,日産なんかよりは,コスト意識が強いのが強みなんだと思います。ついけちけちしてしまうのが難点ですけどね。

今後も現場にいる我々とは違った視点でのコラムを楽しみにしております。



■お届けしたコラムに関連するトピックが相次いでいます。
■読者の皆さんの声と合わせ、考えてみることに。‥…10/26追加

 ★アサヒビールが発泡酒の開発に入り、来年春に発売予定


 第89回「ビールから離れつつある発泡酒」では

 「もしアサヒが発泡酒でスーパードライと同じものを造れれば、ビールのスーパードライは死んでしまうし、スーパードライと味が違う、もっとドライなものを造ったら、それはもうビールの範疇にないだろう」と最後に書きました。

 ところが、10月に入ってからの報道ではアサヒは本気のようです。

 そこに、Vさんという方から
 「『アサヒが発泡酒を作らない』根拠はよく解るし、アサヒが破壊したビールの味すらなくす理由だと、なんとなく理解したが、企業は現状維持はしないだろう!打開してシェアを獲得する為には、他よりも変わった発想をするものだ!最後は伝統を守るのではなく、客のニーズに答える為に存亡を守るのである!アサヒは発泡酒を出すといっている!最良の効果を見越しての選択である要は客が買わなくては、衰退していくのが生産者達なのだ!(後略)」とのメールをいただいています。

 安い発泡酒を持っていないと「コンビニの棚に置いてもらえる商品がなくなるから」と、アサヒは発泡酒に取り組むようです。私が書いているように、それはビールとは遠い存在になるでしょう。どんな商品を開発するのも自由です。別に伝統を守れと言っているのではありません。お説教をするつもりもない。私のコラムは社会に見えていない動きを可視化する存在です。

 それにしても、私たちは競争激化の場裏で、本当に苦味が利いていたキリン・ラガーを完全に失いました。


 ★北朝鮮に食糧支援としてコメ50万トン、しかも国産米

 深刻な食糧難にある北朝鮮支援策として、浮上してきたコメ援助。自民党の農政族議員が動いているといいます。

 第91回「無策コメ農政が専業農家を壊滅へ」を読んでいただいた方には、事情が透けて見えるはず。

 Gさんはこう書かれています。

 「12年産米の取り組みについて、9月28日政府は12年産米生産オーバー分約15万トンを飼料用、予定では買い入れ0であった政府米買い入れを緊急処置として25万トン買い入れる。さらに、現在在庫されている古米を75万トン援助用として隔離(?)する。その結果10月末280万トン以上見込まれる持越し在庫を13年産米で減反をさらに5万ha追加し25万トン分を生産調整し14年末までに125万トンの備蓄米としての在庫とするそうだ」

 「数字的には政府策定の需給計画になるわけだが、これはまさしくお役所仕事の典型で、実態とはまったく乖離している。しかも、その数字を達成するために、過剰米処理費用としてどれだけの金額(税金)が投入されるのか?一説には過剰処理や転作補助金などで2000億円とも言われている。これだけのお金が投入されて稲作農業が救われるのならばよいが、団藤氏が論説している通り、専業、兼業に関わらず一律の政策をおこなわれるので、再度無駄金の投入になるのではないか」

 北朝鮮援助には従来から援助米に使われていた、輸入のミニマムアクセス米ではなく、95、96年国産米の備蓄が使われ、50万トンで生まれる予算措置が必要な差額は1000億円と言われます。

 しかし、この議論は何か変です。95、96年産米といえば、古々米もいいところです。いくら低温保存していたからと釈明しても、もしも市場に出されれば見向きもされないコメです。二束三文がよいところでしょう。そんな低価値のコメに簿価上で1000億円以上も付けていること自体が、コメ政策の破綻を証明しています。

 備蓄したコメは、翌年の秋には少し損をして売り抜き、新たに新米を備蓄して来年に回すのでなければ制度として無意味です。今の方法は、巨額の損を隠しているだけのこと。そんな「高いコメ」を援助してやると言われる北朝鮮の方が怪訝な顔をしそうです。

 コメ問題関連で、Yさんからはこういうメールをもらっています。

 「21世紀、世界平和が望まれ、新しい時代を迎える私たちが考えなければいけないことがたくさんありすぎる。他国を助けるお金は都合がつくが、介護問題では、懐のつめたい老人からふんだくる。なぜ、全ての日本における問題を根本をただそうとしないのだろうか」

 「何か起こってからじゃ遅すぎる。せめて自給自足ができる国造りから始めるべきではないか?そのためには、食文化をまもり、第一次産業の衰退を防ぐ必要があるだろう」

 この方は女性だと思います。


 ★日経新聞の企画「教育を問う」初回は刺激的

 10/23付朝刊の第1回にあるエピソードは、刺激的でした。

 東大本郷キャンパスにある保健センターに「何を勉強したらいいのか分からない」と相談に来る学生が、年間で600人いるとのこと。東大の学年定員は3000人ですから、本郷にいる学生の10人に1人に相当します。教養の駒場ではなく、専門課程に進学した本郷である点が深刻です。偏差値で輪切りにされ、ベルトコンベア式に「進学したいのではなく、進学できる大学・学科に進んできた」結果でしょう。

 時評「東大定年延長を止めない不思議」で紹介している米ハーバード大での学生たちの勉強ぶりとの落差、皆さんはどう感じられるでしょう。日米トップ大学の落差を見て、大学をこのままにして置けるのか。

 このままにしておいて良いはずがない。しかし、見回したところ、当の大学人を含めて、抜本策を具体化しようとしている人がいないのです。実は、大学の問題に限りません。政治、経済、科学、教育など構造改革が必要と言われつつ、抜本的な改革をするために引っ張っていく「エンジン」が見当たらないのが、この国の社会のようです。みんな何かの利害関係に引っ張られているだけ。Yさんがメールで言われている「根本をただす」リーダーシップはいずこに、です。



◆第89回「ビールから離れつつある発泡酒」へ読者の声集
                  ------10/21追加


 ┗┗┗┗ 発泡酒について ┛┛┛┛

 Mさんはこう書かれています。

「ブロイも飲みましたが、あれではビールらしいビールを安く飲みたいという貧乏根性丸だしな気がしてやめました。うまくもない似非ビールならいっそのことスキッと爽やかでスーパードライより甘味があり、低価格な、淡麗生がベストでしょう」
 (中略)
「飲み方にもひと工夫あります。 勿論ビールは深いビールグラスでしか飲みません。キャンプにさえグラス持参です。乾きがひどい夏の日には、1本目(500mm)は普通にぐぐっと飲みほします。2本目はアサヒの黒生でハーフにしてじっくりいただきます。こうすると黒ビールの持つ濃くと深みで、よりビールらしく味わい豊かになります。ここでもこだわっているのは同じ黒でもキリンの黒生ではないところです。キリンのはどうしてああ水っぽいのでしょうね? しかもあのすっぱさがたまりません。ラガーを作ったキリンがなぜあんなまずいものを作ったのか、スーパードライを作ったアサヒがなぜ芳醇な黒ビールを作れたのかは私には理解できません」

 「独身時代は、『モルツかエビス』だった私も今や『ブロイ』です。子供が二人になった今、発泡酒が無かったら私はこの夏生きていけなかったと思います。本当に」とおっしゃるKさんのような方が多い中で、Mさんの意見は面白いと思います。実は、それだからこそ発泡酒が変貌し、かつ売れているのです。

 ハーフ&ハーフは私も大好きです。好みのビヤホールがありますが、家庭ではアサヒの黒ビールとキリンの一番搾りの組み合わせがベストと思っています。確かに家庭用に売られているキリンの黒ビールはだめですね。


 ┗┗┗┗ ジントニックについて ┛┛┛┛

 予想外にジントニックについて書かれてきた方が多数ありました。それもかなりの「こだわり」ぶりです。一部を紹介します。

 真っ先にメールをいただいたTさんは「ジントニックの『ジンはタンカレー』には当方も納得しますが、トニックは、ウイルキンソンの方が良いような気がします。好みといえばそれまでですが、より爽快さを求めるならば小生はウイルキンソンを勧めます」と書かれています。

 私も最初はウイルキンソンから入りました。でも、最近は手に入りにくいのでデパートにならあるシュベップスをあげています。

 Kさんは「ジンは『ボンベイサファイア』がおすすめです。あとは、シュゥェップスのトニックウォーターがあればOK。両方ともキンキンに冷やして、氷を入れたグラスを用意して、すっきり感を楽しみたいときはトニックウォーターを多めに、酒を楽しみたいときはジンを多めに、そのときの気分次第で配合を変えて飲んでます」とおっしゃいます。

 ふーむ、ボンベイサファイアですか。青いサファイア色のボトルに入っているジンですね。そのままロックにして飲むのが一番かも、とも思いますが、どうでしょう。



◆第89回「ビールから離れつつある発泡酒」で
    Hさんからメール------8/30追加


はじめまして。いつも楽しく読ませてもらってます。 今週のコラム、すばらしかったです。こんなすごい 分析があるんですね。最高でした。今まで、経済誌とか で、数多くビール会社のネタを読んできましたが、 ここまで多角的な切り口で分析してるものは読んだ事が ありませんでした。

これからも頑張ってください。毎週楽しみにしてます。



◆第88回「読者と対話・日本の医療その病巣」で
    Kさんからメール------8/30追加


毎回色々な情報を大変興味深く読ませて頂いております。 今回は、医療に関する記事に対して自分なりの意見を述べさせてもらいます。

私自身、仕事の一部として看護学校で医療英語とコミュニケーションスキルを教えて います。 それなりの医者と看護婦・看護士との交流のなかで、今医療現場で行われ ている事は、従来の企業の中で行われてきた事と全く違わないと思います。

企業理念に基づく社会性を重視した業務というより、経営陣は企業の一方的な利益を 追求し、その恩恵を給料の安定と毎年上がる昇給に自分の価値を見出してきたサラ リーマンという構図が終身雇用という中で強烈に結びついてきた社会では、それぞれ の利害関係でしか物の見方ができない、偏見に満ちた論理で日本的民主主義があたか も正義であるように国民も固定概念を植えつけさせられてきたのですから、ある病院 で行われている不条理を自己批判することもせず、ただ利害関係のないフィールドで 積もり積もった秘密を吐露して、精神的均衡を保つ人達が圧倒的に多いのです。

たとえば、毎日新聞の8月6日に掲載された、胃癌学会の公表した医療技術の差は明 らかに何かが変わりつつあることは表しているものの、メディア事態も一会社の掲げ るジャーナリズムによって紙面に出る情報は極めて社会正義とは程遠いものではない でしょうか。

また、先月来の雪印食中毒事件にしても経営者に対しては厳しい責任の追及はあるも のの、炎天下のもと運搬業者が素手で返品された加工乳をタンクに戻す作業をただ 「汚い。」としか見ていなかった雪印社員の無責任さは公に非難される事はありません。

いろんな事柄がアメリカと比較されますが、きっとアメリカでは内部告発という形が 何らかの企業ででる場合がありますし、利害が絡んでいても一旦社会に出たものは、 公聴会や裁判を通して懲罰的結果がでるものです。  これは、多民族国家であるが ゆえにある程度のアメリカ的正義が、ある程度の数の国民を納得せしめるだけの効果 をあげる事ができます。

しかし、会社=家族というようなグループ主義が根強く残っている社会では、子が親 を糾弾するすることなどもってのほかである為に、単なる時間稼ぎで噂の消えるの待 つだけが常套手段として行使されてきたわけですので、本質的改革や浄化作用は自ら できる訳がありません。 

インターネット上で医療従事者が医療現場のことを自虐的に話すのでなく、内部告発 として情報を公開し本当の意味での医療というものを公に話しあえる環境を連携して 作っていただきたいものです。

こういうのも、日本人は全く国際舞台で日本人以外の人と対等に意見を戦わせるのが 苦手な国民はいないからです。

例えば、ちょっと前ではアメリカで行われる学会に出席し、日本人ドクターの発表に なると、会場から出て行く人が結構いた時代がありました。

理由は、何を言っているかわからないし、段々その音が不快になってくるというもの だったそうです。

現在でも、簡単にアメリカの医療システムと比べると困ると主張する方が大学や医療 現場に沢山いらっしゃいますが、その違いを実際にアメリカのドクターとの公共ディ スカッションという形で討論してみれば、おのずと日本の閉鎖性が見えるはずです。 アメリカ東部の代表的な病院(フィアデルフィアあたりの歴史のある病院)とか、学 会で最先端の心臓外科治療を実践している西部地区のドクター達と、日本からは旧帝 大系大学から同人数出席させて、話をさせれば話の内容以前に、彼らの堂々とした自 身に満ちた表情豊かなしゃべり方と比べれば、おのずと医療現場での患者に対する姿 勢がわかるというものです。

アメリカのやり方は決して全て肯定できるものではありません、特定の富裕層と病気 でも治療を受けられない貧困層が両立している国ですから、医療現場も保険会社に よって牛耳られていると言っても全く過言ではないでしょう。

しかし、アメリカの情報公開性と患者にとって有利な治療を提供するということにお いては、ある程度フェアーであると思います。

日本では、インフォームドコンセントにしても、ただ患者に一方的にある医療方法の 有利さ不利さを、短い間にしゃべりきり単に情報を伝えただけで、それとするやり方 がまかり通っている現実があります。

人と人が、まっすぐ向き合ってコミュニケーションするということは、絶対に社会の 根源にないと、決して社会のシステムは変わらないと思います。  一生懸命に働い ていらっしゃるナースの方々には本当に頭が下がる思いですが、リスクマネージメン トという新しいシステムにおいて、医療現場は今までより厳しい運営管理になって行 くと思います。

その風潮のなかで、ミスを犯した場合その矢面にたつ確立が高いナースの人達に対 し、社会は実名報道という形で報いようとしています。

現に、横浜の患者取り違え事件やうつぶせ事件では、ナースの実名を公表しています。

社会において情報の公開性や個人と個人のコミュニケティーにおいても自己開示性な くしては、今の日本のシステムは変わりそうもないと思います。

被害にあった人がただ泣き寝入りする社会でなく、マイクを向けられても毅然と主張 をし、その人達を支えるネットワークができ、もし加害者として起訴されたナースや ドクター達も、病院の運営方法を公然と非難し法廷の場で戦えるようになれば、病院 や行政または医師会までも変えることができると思うのですが。 先進国の中で医学 部で国家試験を合格した後の医師を、日本のように宙ぶらりんの状態で指導している 国はどこにもないのですから、ドクター達がなぜそれらを自己批判しないのでしょうか。 

最後にインターネット上で情報を公開したり、率直な意見を述べてくださる医療従事 者の方々にはその姿勢に敬意をはらうとともに、感謝していることをつけたさせてい ただきます。



◆ネットブレーン寄稿「携帯電話のネット接続1000万台 情報リテラシーの貧困を見る」と、連載第2回「100校プロジェクトと教育現場」で
    Kさんからメール------6/3追加


「100校プロジェクトと教育現場」に大変共感いたしました。 この春フィンランドに旅行したのですが、そこでのネット教育の先進ぶりに驚かされました。

ご迷惑かと存じますが、旅先から友人に送ったメールを転載させていただきます。

-------以下、転載----

Alppia upper level comprehensive schoolという中高一貫の公立学校へお邪魔した。 これは、コンピュータ&ネットの教育がフィンランドでどうなっているのか興味があ ったからだ。

結論から言うと、彼我の格差は実に大きい。パソコンやインターネットの習熟といっ た基礎レベルの段階をとうに過ぎ、なんと一部生徒にはすべての教科をネットを通じ た在宅教育に置き換えてしまっている。しかも、ネット上では多の生徒や担任の先生 だけでなく、高校や大学の学生や教授ともやり取りをして課題を進めたりしており、 ある意味では飛び級に近い教育かもしれない。ネット上では年齢や地域などの違いは 問題ではないので当然なのか。教育という点では日本はおろかアメリカをもしのいで いるのではなかろうか?

コンピュータとネットの教育は中学以上は必須で1週5時限。これはパソコンでの計 算や文章作成、インターネット接続などの基本操作を学ぶ。また選択制でさらに最大 5時限の授業が受けられる。これはパソコンまたはネットを使い、生徒が自由に自分 たちの課題を設定してこなしていく。プログラミングやパソコンで絵を描いても良い し、ネットを通じて自由研究をして発表しても良い。この特別教室にはLAN接続さ れたパソコンが並び、生徒は当たり前のようにネットを利用している。フィンランド では10年前からコンピュータ教育、6年前からインターネットの教育に力を入れてお り、学校でのネット接続は当たり前。こちらでは教科ごとに教室が異なり、生徒が移 動して各授業を受けるが、どの教室にも1台か2台はネット接続されたパソコンがあ る。6年前から全生徒にアドレスが割り当てられるようになったというから驚く。

専門教師の養成も怠りなく、このネット授業を見せてくれたライヤ・ハロネンさん (42)は20年間会社でコンピュータ関連の業務をこなしていたが、6年前に現職に招か れた。このような採用ルートが確立されており、「生徒を育てることに魅力を感じ て」転職したと語る。40人の教師のうち、ハロネンさんのような専門教師は2人置か れている。もちろん一般の教師もパソコン&ネットの習熟は程度の差こそあれもはや 当たり前であり、「ヘルシンキでパソコンやネットを使いこなせない教師はいない」 という。教師への研修制度も充実しているとのことである。

驚いたのは、完全な在宅学習が認められていることだ。

現在日本の歴史について調査研究しているという中学3年生のヘンナ・カルカイチさ ん(15)は、在校生350人中15人いる在宅授業を受ける生徒のひとり。今日はわざわざ登 校してきてくれたとのことだ。彼女の場合小学校からパソコンやネットを使っていは いたが、中学になってから選択授業を受けるなどして本格的に取り組みを始めた。 「自宅が23キロ離れていて通学が大変なのと、自分でプロジェクトを持ちたい」とい うことで、中3から選べる在宅学習を受講している。検索サイトはもちろん、メール やチャット、インスタントメッセージを駆使して情報を集めレポートをまとめる。 「自分の国と違う文化を持つ日本に興味を感じて歴史を調べています」と話し、これ は近々訪れるオランダのグループの前で英語で発表するのだという。在宅学習に関し ては、各教科の先生のチームが指導に当たるが、ここに他校や大学の教授らも関わる のが特筆すべきオンライン学習の真骨頂だろう。

「在宅ではきちんと勉強できるかどうか学校が不安で、日本では考えられない」と尋 ねると、ハロネンさんは「生徒を信頼しているし、教師の推薦も必要です。また親と の話し合いも当然行われ、全員が認められるわけではありません。今年度は32人の申 請のうち15人について在宅授業を認めています」。「特に成績優秀ということだけで 選ばれるわけではありません。心理学の専門家も交えて適性を判断しています。だか ら、飛び級のようなエリート教育を目指しているわけではありません」。とはいえ、 中3にして自分から課題を設定し、1年に何度も発表を行うというカルカイチさんに は驚く。うちの社のアドレスを尋ねてきたので教えると早速アクセスしていた。

在宅授業でのパソコンやネットの接続料は学校側で負担してくれる。必要に応じてラ ップトップパソコンの貸し出しも行っている。

ネットでの検索は英語がメインとなる。フィンランドでは英語教育は「いろは」。小 学3年生から必須科目となっており、インターネットということを除いても会話にも 不自由はない。このほか欧州ではデジタル衛星放送が各国で打ち上げられており、フ ィンランドでも欧州全域の放送が受信可能、各国の語学を学ぶのに一役買っていると も聞いた。国民が500万人ちょっとということで、国際的なマーケットを強く意識した 人材教育が前提となっている。

同校は特に進んだ例ということでもなく、このようなネット教育・在宅授業は珍しい ことではない。自主性を重んじる教育方針で、授業時間も緩やか。カルカイチさん も、取材が終わると同時に下校していった。

時期的に関係はないのかもしれないが、Linuxを生んだ土壌を感じさせるのに十分な衝 撃であった。

-------

長々と失礼いたしました。

しかし、この状況を高校で教員をしている友人に送ったところ、やはり絶句していました。

このままの教育では、よくないと私も感じており、団藤さんのご指摘の通りだと思います。

今後とも、このような連載を期待しております



◆時評「少子化対策で政治にできること」で、
    20代後半の女性技術者からメール
          団藤からのコメント------3/20追加


  (結婚されているが、こどもの予定はないそう。出張・残業多々とのこと)

同じ様な状況の女性と話していて私が思うのは、
日本のキャリア女性ってまだ、子供を産むこと自体がイヤな訳じゃないという事です。
(海外を知ってるわけではないのですが…(^^;)
 多少無理しても、状況が許すなら産みたい。
 意図してなくても、出来てしまった子供は出来れば産みたい。
 ダンナはいらないけど、子供は欲しい。……等々、
率先してはあまり欲しくないって人は年齢と共に増えていますが
基本的には、自分の人生の中で子供を産むことを全く考慮に入れていない人
(出来ても即、堕ろす。産むという選択肢が最初からない人)はまだ少ないと思います。

本来、父母、家族、地域等々、みんなで慈しんで子供を育てるのが理想だとは思います。
でも、本気で、出産率を上げたいのであれば、家族、夫婦、結婚、籍に
こだわらず、一人でも子供を出産・育てられる環境を整えるのが一番だと思います。
金銭的にも、社会環境的にも。
・女性一人の収入でも、出産が可能なこと。(もちろん男性一人の収入でも同様)
・男性・女性どちらか一人でも、育児、教育等が可能な環境があること。
今のところ、金銭的な問題はまだどうにかなっても、特に育児環境が難しい様ですね。


非婚・晩婚も原因の一つではあると思いますが、間接的な要因です。
特にキャリア女性はその辺りにあまりこだわらない傾向があります。
 結婚してる−していない。籍を入れている−いれていない。
 男女が共にいる−いない。等々
ただでさえ状況が厳しいときに、そんな間接的な要因にこだわるのではなく、
子供の欲しい夫婦、女性又は男性が二人でも一人でも、産める、育てられる。
環境を整えるのが一番だと思います。


また、ちなみに非婚・晩婚に関しては、対策に労力を払うだけ無駄だと思います。
なぜかと言いますと、

私は、人は「社会的生活能力」「基本的生活能力」の二つを持ち備えていて
当然と考えています。
「社会的生活能力」は、生活に必要な社会的労働能力と知識等を備えていること。
「基本的生活能力」は、衣食住(炊事・洗濯・掃除等々)の生活面での労働能力と
知識を備えていること、です。

今までは、男性は後者、女性は前者の劣った人が多かった。
でも、両方を備えた女性が増えてますよね。それに比べて、両方を備えた男性が
あまり増えていないと思います。
そんな女性にとっては、後者の劣った男性と一緒に生活をすること自体、
負担でしかない。さらに子供が出来たら、悲惨な事になります。
でも、子供は出来なくて当たり前。大きくなると共に教えることも出来る。
でも、ダンナはそうはいかない。教えるのもめんどくさい。
だから、ダンナはいらない。子供は欲しい。ということになる。

で、両方を備えた二人が結婚した場合、
これは私の感覚でしかないかもしれないですが、あまり「結婚」「戸籍」の形に
こだわらない傾向があると思います。
こだわらない人たちに対して、形を押しつけても無駄です。だってその人達は、
一度はそこで立ち止まって二人で考えて、一見不都合があるように見えるけれど
二人が一番自然でいられる選択をしている訳で、今更窮屈な状況に戻る気は
なくて当然です。

女性が「社会的生活能力」を身につける事を今更止められない以上、
欠けた部分をお互いに補う形で安定していた(逃げられなかった)結婚率の高さは
もう取り戻せないと思います。
だから、労力を払うだけ無駄だと考えています。


ダラダラと思うままに書いてしまいましたが、
何の問題にせよ、今は基本的な考え方が、男性、女性、夫婦(結婚)とかいちいち
いろんな事で括った考え方になっていると思います。
私は、これからは「個」の単位で人を捉えないと上手くいかないと思います
「個」が充実した生活が出来て、「個」が出産・育児
(男性の場合は育児だけですが…(^^;)することが可能なこと。
「個」が充実すれば、個の組み合わせである夫婦、家族、地域等々も充実させられる
と思います。個の組み合わせから生じるいろんな問題は、その組み合わせを構成する
個々がその都度相談し、工夫していけば良いことです。


◇団藤からコメント

 おっしゃるとおり、こんな男性に教えるのも面倒くさいでしょう。男女
共同参画社会というのは、社会的にそれを保証しようとする試みだと理解
しています。しかし、あの法案には、それすら無いのですね。



◆第79回「脳のドックから痴呆症の現在まで」で、
   海外にいらっしゃる研究者からメール------1/6追加


「脳のドックから痴呆症の現在まで」について

 現在海外の痴呆性疾患の研究施設で仕事をしている医学研究者です。団藤さんの記事は毎回興味深く読ませて頂いております。日本のマスコミの科学記事が痴呆性疾患についても、必ずしも重要なポイントを押さえられていないことを感じることがしばしばあります。団籐さんは良く調べられていると思いますが、数点気になりましたので、投稿させて頂きました。

 脳ドックは御指摘の通り、当初脳外科医が未破裂の動脈瘤を発見するのが目的でした。しかし実際健康な高齢者の方で磁気共鳴画像(MRI)を施行すると、動脈瘤よりはるかに高率に無症候性脳梗塞が見つかったという事情があり、日本脳ドック学会の「脳ドックのガイドライン」で「無症候性脳梗塞」が最初に挙げられているわけです。MRIの画像解析力は素晴らしく、これまで神経疾患と言うのは症状が出て初めて診断が可能だったのですが、その概念を変えかねないものでした。健康な高齢者でこれほど多くの無症候性脳梗塞があるのかと私自身大変驚いた覚えがあります。

 しかし死後解剖された脳(剖検脳)で認められる脳梗塞よりMRIで脳梗塞が発見される頻度が高かったため、その後剖検脳とMRIの比較が検討され、MRIで認められる無症候性脳梗塞が全て脳梗塞とは限らず、脳白質を構成する髄鞘が粗鬆化した脱髄現象を捉えていたり、Virchow-Robin腔にある髄液成分を捉えていることが明かになりました。従って無症候性脳梗塞と考えられる病変をMRIで認めた時、それが全て病変であるかどうかを判断するのは専門医でも必ずしも容易ではありません。従って無症候性脳梗塞の病的意義を明かにするにはさらに慎重な検討が今後必要だと考えられます。

 混乱に拍車をかけたのは、実際の脳ドックの場で受診者に説明する時、医師によりこの無症候性脳梗塞の説明がかなり異なったことです。病的意義を認めている医師は、「これは脳梗塞を今後いつ発症するかもわからない危険な兆候だ」と説明し、病的意義を認めてない医師は、「症状がでないところに病変があるのだからいくらこういうものがあっても心配がない」という趣旨の説明が行われました。高血圧患者で無症候性脳梗塞が多いことや、病変数が多い場合認知機能に問題を認める率が高いことは多く報告されており、過剰に危険だという説明も、過少に評価するのもおかしいと思われ、現在脳ドックの場でどれだけ適切な説明がされているかが心配です。

 団籐さんの表現に「「脳卒中で倒れた」とかいう表現をよく耳にされると思う。倒れなくても、くらくらと感じるだけでも、あるいは本人が意識しなくても脳内では微細な血管の詰まりが随分発生している。」という部分がありますが、「脳卒中で倒れた」という表現は実際に倒れて転倒したという意味でなく、現在多くの場合は脳卒中に罹患した意味で用いられていると思います。ところが次の「倒れなくてもという」くだりは実際に転倒する意味ですので、むしろこの部分は「麻痺がなくても」と書いていただいた方が適切だと思います。

 兵庫県立高齢者脳機能研究センターの「アルツハイマー型痴呆の比率について」のデータは確かにアルツハイマー型が高率です。これは書いておられるように付属病院に入院し最終診断が痴呆性疾患とされたとの条件がかなり影響していると思います。病院へ痴呆のため受診に行くということは、身体症状が軽い(重度の麻痺がない)ことを意味し、その分脳血管性痴呆が少なくなるからです。脳血管性痴呆の患者さんは身体症状の重度が高いため、要介護度が高く、これまでの日本の状況では入院または介護施設に入る確率が高かったのです。

 それと共に家族が痴呆で困るというのは、動けない脳血管性痴呆ではなく、身体機能は衰えていないアルツハイマー型痴呆なのです。従って比率の問題はいずれにせよ、アルツハイマー型痴呆が今後最も大きな問題であることに間違いありません。

 アルツハイマー病は脳内に異常なアミロイドが蓄積していく疾患ですが、最近Science、Natureに続けて異常なアミロイドを作るβsecretaseが報告されました。この酵素は本質的な治療のターゲットになる部分ですので、今後の研究が期待できると思います。

T. M




【INDEXへ】