読者の皆さんから寄せられた感想や意見、情報を、新着順に紹介します。(01/06〜02/12)
◆第124回「少子化対策の的は外れるばかり」へ感想
Mさんからメール------10/14追加
>この事態は、人と人との間の関係を取り結ぶ力が、
>若い世代で衰退してきたのだ、とも捉えられる。
養老先生の受け売りと言えばそうなのですが
「脳化社会」では自分の中の動物的本能は(種族保存であれ自己保存であ
れ)衰えていきます。
それを目ざめさせるには危機感が一番です。
藤の花でも竹の花でも栄養がなくなったり寿命がくれば花を咲かすのです。
いろんなところで綻びの見える日本ですが
その進行がもっともっと行き着かないと
反動は生まれないような気がします。
言論人として心がけていただきたいのは
若い人の自信をそこなうような分析を
直接垂れ流さないことではないでしょうか。
私達の世代でも、いや何時の時代でも
>人と人との間の関係を取り結ぶ力
を育てきれた人の方が少ないと思います。
私はそれを「張りぼて人間」と呼んで、
自分の堕落を戒めてきました。
むしろ問題はその能力がなくても会社や組織の中枢に
登用されていることです。
こわいですね。
「張りぼて社長」に「張りぼて部長」に「張りぼて政府委員」
「張りぼて民主党代表」
◆読者共作2「ポスドク1万人計画と科学技術立国」
第114回「大学と小泉改革:担い手不在の不幸」
第115回「続・大学と小泉改革:悲惨な予感」
へ感想
Aさんからメール------10/14追加
私の感想は”「ポスドク」だけが問題なのか?”です。
それ以前の修士課程の段階で家庭の収入という面で
私より優秀な人の道が閉ざされているのではないか?という点です。
私は大学院から社会に出て3年ですが
やっと大学での授業料の重みというものが実感できるようになってきました。
私の先輩にも奨学金で4(大学)+2(大学院)を暮らし
あと数年借金が続く方がいます。
数百万の借金を抱えて社会に出た人間が、
ベンチャー企業を起こせますか?
失敗すれば即刻社会的な抹殺ですよね。
アメリカとの根源的な新規事業立ち上げ能力、
リスク負担能力の差はここにあるのではないでしょうか。
ベンチャー企業を起こせる人間が奨学金の支給人数分だけ減るわけですから。
#奨学金は否定しません。
#というかそういう文意ではありません。
#ただ、現状では借金する(リスクを負う)ことが市民としての悪なら。
#行うために借金する(リスクを負う)必要がある→国家(社会)的には
#推奨されない贅沢な行為(無駄)。
#になってる。
◆第117回「いつまで手直し主義で逃げるのか」へ感想
Yさんからメール------10/14追加
私はコンピュータの国産化設計から手がけて全国規模のシステムをいくつか
受注開発し納入してきた経験があります。
「システム統合に欠けた最低限の常識」にコメントさせて頂きます。
欧米とくに米国ではご存知のように手形が存在せず、個人も小切手または
クレジットカードによる決済が主で日米の金融機関のシステムは違い
過ぎて比較しても意味がないように思います。
日経IT Proでも銀行統合のトラブルを取り上げていましたが、銀行トップ
やCIOの気配りや権限などに論点が向かい真の原因に踏み込んでいません
でした。
私は今後の再発防止策にIT業者に発注するときの契約条項のなかに
他のIT業者に対して引継ぎを行う必要の生じた場合も説明義務を定める
ことだと考えます。
従来は超安値で落札しても増設拡張工事は業者間の引継ぎが困難で発注側も
新規業者の質問に答える実力が無かったために随意契約を期待できたわけ
です。
しかし、3行の合併は3つのIT業者のノウハウの相互開示が必要になった
筈ですが、膨大な説明資料や図面を納入済みの業者側には業者同士が直接
ノウハウを開陳する義務は法的に定められていなかったと思われます。
各銀行のシステム部門も長年の随意契約で業者に丸投げし細部はブラック
ボックスになっており技術的な主導権をとれる実力はなかったと思われます。
私が関係した米国企業との契約には発注側経営主体の変更にともなう双方の
権利義務が明記されています。M&Aが日常茶飯事での米国ならではですが
日本でも双方が遠慮なく条文について話し合うべき時代になったと思います。
>入出金明細に相手の会社名が記載されなくなったため、債権債務の
>自動消し込みが不可能になったこと。
これは自動消し込みが可能であったのは某行の特別サービスであったと思い
ます。振込みが電子化された当時のルール化が遅れて、今でも入金の消し
込みは各企業の経理部門の大変な負担になっており、回避策として入金口座
を小分けして金額による照合を容易にしたり工夫されています。また会社名
が記載されていても大会社からの場合部門名まで記入がないと照合が困難な
実情もあります。
全銀行がルールを決めて顧客に契約番号などをキーにして振り込むなどの
抜本的な改革がなければ日本の決済システムは大福帳時代で足踏みしている
ことになります
◆第117回「いつまで手直し主義で逃げるのか」へ感想
Yさんからメール------10/14追加
私は夫の転勤のためアメリカにおり、娘はアメリカの高校に通って
おります。おっしゃるようにアメリカの教育は、鈍才を労働力に
育てるのに適した教育のように感じます。
ほとんど毎日、各科目で行われる小テスト。そしてそれが期末試験
の結果とともに、成績に反映されます。毎日、手を抜く暇がありません。
もっとも必修のみ単位を揃えて、あとは楽な科目(芸術や職業科目等)
をとるということもできますが、ちゃんとしたアカデミックな科目を取る限り
大変な毎日です。お陰で娘は円形脱毛症になってしまいました。
上の娘は日本の公立進学校に進みましたが、もっと楽な授業でした。
とりあえず居眠っていても座っていればいいのですから。
こういうやり方は大学でも、日米それぞれ、同じようです。
実は私はコミュニティカレッジへ行っているのですが、そこのレベルの
低い授業でさえ、毎回、テキスト何ページかと、先生の手渡す記事を
5つくらい読んでいって、内容理解を試す小テストです。
アメリカの学校は学生のレベルを上げるところという教育機関の役割を
十分認識し、それを果たそうとしています。ところが日本の大学は
学生の自主性に任されたまま。 自主的に勉強する学生は、それで
良いのでしょうが、学費タダ取りという感じもいたします。(娘は
国立大で英語の授業が突然5回も休講。そしてその非常勤講師は
今年も授業を持っている。解雇に値すると思うが・・・)
これでは日本はとうていアメリカに追いつけません。基本的なところ
からガタが来ることでしょう。 おおかたの凡人のレベルを、そのまま
引き上げることをしないでおくのなら。
◆第116回「半導体技術に頂点が見えた今」へ感想
Fさんからメール------10/14追加
> 確かに並んでいる項目は、情報処理学会でかつて見たような技術的なものば
> かり。
先日、「一般情報処理教育の在り方」というシンポジウムがあったので出席しまし
た。これは、情報処理学会の分科会が主催したものですが、かなり影響力を持ってい
るのではないかと思います。
そこでの話しもご指摘のような雰囲気なので聞いてみたところ、あとで「情報処理
学会があまり文系的なことを発言すると反感を買うだけなので自重しているのだ」と
(オフレコで)教えてくれた方がおられました。
> 中学「情報基礎」の悪しき発展形が、高校「情報」になってしまった。文部
> 科学省の頭には中学「情報基礎」が失敗であるとの認識は無いのだろう。この
> 間にインターネットが登場していることすら小さなエピソードに過ぎず、眼中
> にないかのようだ。
>
> 「高等学校学習指導要領 第10節 情報」
> を読むと、こういう分野にこそ総合的学習が要ると思える。ただし、やっとコ
> ンピュータを使えている先生ではなく、優れた文化的なセンスと自在な能力の
> 先生がいてこそだ。望むべくもないのかも知れない。
まったく同感です。
別の切り口では、「情報」と名のつく学問には「図書館情報学」という分野があり
ます。もちろん、図書館情報学自体も変貌を遂げるべきなのでしょうが、だからと
いって、図書館情報学の知見をすべて等閑視してしまうにはもったいないのではない
かと考えます。
たとえば、市民の「知る権利」を擁護する機関としての図書館には、利用者の疑問
に対して適切な資料を提供するという機能が要求されます。(さもないと、疑問を
持ってきた利用者が適切な資料にたどり着けない可能性があるので)ですから、東京都立図書館のレファレンス事例などに見られるような行政サービスとしての「図書館での調べ物」が市民の権利とし
て提供されています。そのような行政サービスを教えないことは(サービスを提供し
ていない自治体があるのも事実ですが、その話はよこにおくとして)、健全な市民社
会の後継者育成という視点から見ていかがなものかと思っています。
あるいは、片山則夫氏が展開されている「調べ学習研究会」
などの実例を見ても、「情報を集めて考えること」と「コンピュータやネットワーク
を使うこと」を同一視するのは問題ではないかと考えています。
◆第115回「続・大学と小泉改革:悲惨な予感」へ感想
Tさんからメール------10/14追加
私は医学部を卒業した医師で学位を持ってアメリカで臨床研究をしています。何か
の本で読んだのですが二つの勢力がぶつかったときには制度が整った方が勝ちやすい
と言う法則があったと思います。アメリカの研究制度は日本より明らかに優れており
日本は負けてしまうと感じました。
1:終身研究員になるのが困難です。つまり多くの研究者は期間限定の一時雇いな
ので成果が出なければそこでお払い箱です。
2:アメリカの研究室は何年かに一度監査がありそこでの評価が悪いとその研究室
は閉鎖されます。その場合終身研究員といえども実質的に退職に追い込まれます。
3:下からの評価が行われます。ノーベル賞受賞者が講演してもそれを聞いた学生
がその講演を評価します。授業を学生が評価することもあるようです。
4:研究費の配分が日本より公平です。
5:企業からお金を得て研究することが日本より容易です。
6:大学の場合その大学以外の卒業生が教授になる機会が日本より遙かに多い。
公平性と競争原理がアメリカの学問を向上させています。
日本の医学部の場合教授が「よし」と言えば日本語の論文でも医学博士取得が可能で
す。その日本語の論文もその大学が出す日本語雑誌に投稿すれば落ちることはまずあ
りません。自然科学の学位は一定以上の格のある英語雑誌に掲載されることが必要と
考えます。
英語の問題もあります。国際学会で役に立つあるいは外国で働く場合に役に立つ英
語能力を持った者が高得点をとることのできる試験にすべきです。私は大学の英語入
試は現状の物を全て廃止してTOEFLの得点で行うべきと考えています。
◆第115回「続・大学と小泉改革:悲惨な予感」へ感想
Kさんからメール------10/14追加
企業の開発部門にて「時間感覚のある緊迫感の中」で日々仕事をしております。
「悲惨な予感」読ませて頂きました。
大学についてのお話でしたが、「○○○センター」といった各県に沢山存在する官組織においても同等以上の問題が有ると思います。
学官の企画する連携組織では、「ビジネスを見据えた」とのお題目を唱えながらのものが流行っております。
文部科学省の指導ではあるのでしょうが、そもそも今までそんなことを考えてもいなかった方々が音頭をとるのですから、その内容は推して知るべしです。それら組織が機能していない根本原因は、官組織でビジネスを見据えたリーダーシップをとれる人がいないことです。予算は、「ビジネスを見据えた」ということで助成金を確保していただくようですが、その使い方は従来通り「なにか良い研究テーマがあればお金を出しますよ、何かやりたい企業は手を挙げて」といった方法をとっております。そこには、「自分たちが国益のために緊迫感を持ってテーマを掘り起こす」といった感覚は有りません。当然のごとく各組織の横のつながりも有りません。
大学問題ほど裾野は広くありませんが、企業(産業)と国の接点としてここも大きな問題点であると思います。
◆第115回「続・大学と小泉改革:悲惨な予感」 へ感想
Mさんからメール------10/14追加
名古屋大学の理科系大学院生です。MSNで国立大学の独法化に関する記事を読み、普段思うことを文章にしてみようと考えました。
数ヶ月前、「そのうち日本はアメリカの何番目かの州になって星条旗の星が一個増えるんじゃないですかね。」と発言して親戚に笑われたことがあります。私は冗談のつもりではなかったのですが。
私は学部生時代は地方の国立大学で化学を学びました。その前は偏差値の低い私立大学に在学しておりましたが国立大学やその教官に対する僻みと、どうせ勝てないという諦めがとりわけ教員の間で渦巻いており嫌になって退学しました。一方、国立大学では「国立」がそんなにえらいのか?と首を傾げてしまうほどプライドと向学心あるいは向上心にあふれており私自身も充実した5年間を送ることが出来ました。地方の国立大学でもいい研究環境だったので旧帝大はもっとすごいんだろうと思いつつ名大に進学した次第ですが現実はかなりお粗末でした。教官は日ごと派閥抗争に明け暮れ研究どころではありません。私が在学していた地方の大学では人事は持ち回りでしたので争いもなく表面的には平和でした。馴れ合いかもしれませんが。
学生は昼ごろ学校に来てインターネットで適当に遊んだら夕方帰宅、学会前だけ徹夜が続きます。一方教官の側もそんな学生に何年もいられては困るので学生の代わりに論文を書いてあげて学位を添付して社会に送り出します。適当な研究生活を送り成果があがっていなくても旧帝大のネームバリューでサクサクと就職先が決定していきます。なんでこんな学生を採用している会社が大所帯を維持していられるのか非才の私にはよくわかりません。
このまま使えない大卒や院卒が大量生産され社会の中枢に送り込まれ続ければろくなことにはならないでしょう。私はこの時期に生きていることを幸せと感じています。100年後の日本人が今ほど裕福なのか、疑問です。
社会の多数が幸せに生きてそして死ぬためには少数の支配者層の存在が不可欠です。その支配者層の生産を行ってきたのがかつての東京帝大や京都帝大であったと思います。大学には研究大学、教育大学、レジャーランド大学の3種類があるそうですが、せめて旧帝大だけでも国立として存続させて、他大学の独法化によって浮いた金を湯水のごとくつぎ込み、利潤を追求する必要のない研究大学とするほうがよかったのではないかと思うのです。当然、現状のままではだめで、入学定員をもっと増やす必要があります。卒業試験や卒業資格は厳しくする必要があるでしょう。努力したとかしてないとかに関係なく、成績が悪い人間はやめさせるとか、全員成績がよくても下から10%は必ず留年させるとかはどうですかね。防衛大学校のように給料を学生に払うのもいいかもしれません。成績がよくなければストレートで卒業できないとなればおそらく志願者が莫大多くなるということはないでしょう。以前、九大が「志願者が減る」という理由で理科系の6年一貫教育を見送ったこともありましたし。所詮今の日本人はその程度です。
昨今ゆとり教育と無競争教育がはやっているようですが、いくつかの大学は学生同士が競争する大学として残して受験生が自由に選べるようになればいいと思います。すなわち、厳しい競争に勝ち抜いて支配者層となるか被支配者層に甘んじることと引き換えに安楽な生活を享受するかということですが。無論私は安楽な生活を望みます。
ちなみに私も算数の出来ない大学生の一人です。センター試験用の数学以来勉強したことも試験を受けたこともありません。
よくこんな会話をします。
「にいちゃん大学どこかね?」
「名大っす。」
「すごいねえ。」
あほな会話です。
すごい大学でもすごくない大学でもすごい学生や教官の割合はおそらくほぼ一定なのでしょう。
いい大学の卒業生=いい人間というのが単なる幻想であることに大多数が気づいていないこの時期にいわゆるいい大学を卒業し、大多数が気づかないうちに死んでゆく私は幸せです。
長々と書いてしまいましたが、こんなテーマで議論をするような学生は私の周りには見当たりません。平和な世の中です。
失礼します。
◆第115回「続・大学と小泉改革:悲惨な予感」へ感想
「ペンネーム しんいちろー」さんからメール------10/14追加
コラムを読ませて頂きました。26歳の社会人です。
「大学人の知的レベルは私が思っていた以上に落ち込んでいると感じた。」
という部分を読んだ時、やっぱりかと思ったと同時にちょっと安心もしました。
安心したというのは、かつての学生運動のように、理想や夢をかかげ、
(そこには現実的な具体的な戦略や詳細なしに)世の中の構造を否定
していた若さというものが、まだちゃんと残っているのだな〜と感じたからです。
詳しくは河合隼雄さんの「青春の夢と遊び」という本によく書かれていると思います。
僕も数年前までは大学生だった訳で、今から思うと社会に入って生活の大変さを
知らない者が、いくら社会の事について話したとしても、その底は浅いという感があります。
昔は、生活の面や仕事の面でも、今程満たされていなかったので、多くの人達が
挫折や大きな失敗のチャンスが数多くあり、そこで多くの事を考え、自分自身を見つめ
直す機会が多かったのではないかと感じます。
今は、満たされ、事無かれ主義的な考え方が蔓延しているので、少々の失敗はすぐに
取り戻せ、たいしたリスクにもなりません。
だから、自分自身を見つめ直したり、物事を深く時間をかけて考える機会にも恵まれ
ていない時代だと思うのです。
大学を辞めてもなんとかなる時代、たった一人で生き抜く必要性が見つけ難い時代です。
そして、たった一度の失敗で一線からすぐに外され、深くまでを追求しない。事なか
れ主義失敗しても、名誉やプライドが傷つくだけで、生活や生きる事まで、窮地にたたされ
ない時代。
科学や技術の進歩に陰りを感じ始め、かなり発展しても、満たされない心の闇。
まさに、今の若者の姿は、これから世の中を反映していると感じます。
いつの時代の歴史を振り返っても、行き過ぎ荒んだ社会の構造は、破綻しないかぎり
新しいものは生まれてこないのかもしれまん。
「乱をもちいて、乱を制す」
必要性があるところまで、日本は来ているように思えます。
それが、先進諸国が求めている資本主義、技術・科学主義の次に出てくる新しい
形なのかもしれません。
当然、今の内に言える危険性は指摘し、直していけるところは直していくべきだと思
います。
しかし、何か新しい良いものを得るには、それに見合うだけの何かを捨てなければな
らないという事を、しっかりと心に納め、覚悟しなければならないのに、
いいものは全部残し、さらに新しい本当にいいものを見つけたいという考え方が多く
ある内は、その流れは緩やかにはなったとしても確実に破綻に進むと思います。
大学の事や郵便事業の事、その他多くの事を考え突き詰めていくと、
社会の有り方。家庭のあり方。に行き着くと思います。
家庭の納められない者は、いい社会を築くこともできない。
いい家庭を築く中に、これからの社会のあり方を考えるヒントがあるように
思えます。
とはいっても、人は自分の家庭はうまくいっているほうだと思いたい生き物です。
つまり、本当に社会が崩壊し、親のあり方、家族のあり方、子供の教育という
事と真剣に、生活を賭けて向き合わないかぎり、すべては一時凌ぎをしている
だけなのではと思うのです。
僕は、これから、まずは家庭を持つという所から始めてみようと思います。
◆第113回「中国との明日をどう考えるか」へ感想
上海のUさんからメール------3/12追加
上海駐在の27歳 会社員です。 トレーなどの包材メーカーに勤めています。
「中国との明日をどう考えるか」 を読みました。
「外国には日本企業のホワイトカラーはむしろ異質と感じられている。」
という部分に非常に共感いたします。
かつての好景気の時はその異質さが逆に持てはやされていたと思います。
その異質さが繁栄を呼びこんだ部分もあるのでしょうが、ただ単に順番が
来たと感じてしまいます。
弊社はバブルを知った世代と、その後の世代で大きく考え方が違います。
過去の成功がなかなか離れず当時のやり方にこだわり傷口を広げてしまう上司。
先人の苦労を理解せず今の悲惨な状況を40代50代の人達や政治家ののせいにして
何も前進しない若者。 こんな状況が現在の日本の一番の問題点だと思います。
僕は上海に来て、今燃えるような勢いのなかで仕事をすることが出来
非常に毎日が充実しています。 様々なトラブルが起きますが苦になりません。
これは僕自身の実力や能力の問題ではなく、全て回りの環境だと感じます。
実際、日本で営業をしていた頃は芽も出ない退屈な毎日を過ごしていました。
上述しました心の問題を解決するにはどうすればいいのか?
僕はまず若い人が立ち上がるしかないと思います。 それを一番啓発する力が
あるのはテレビをはじめとするマスコミではないでしょうか。
もっと考えさせる、夢を持てる内容にするべきだと思います。
早朝から深夜にかけてくだらない番組を延々と垂れ流す現状を改善すべきと思いま
す。
もっとがんばれニッポン!! そんな気持ちで海外で頑張っている日本人は
たくさんいます。 中国では、中国だけには負けたくない。と皆必死で働いてます。
団藤さんの書く記事がもっともっと前に出てきますことを祈ってます。
頑張ってください。
◆第113回「中国との明日をどう考えるか」へ感想
TSさんからメール------3/12追加
はじめましてNew Zealandにワーキングホリデービザで滞在しているTSと申
します。
MSNの記事を読ませていただき、中国への考え方が変わっただけでなく、何か負け
てたまるか!という気持ちになりました。ありがとうございます。このたびはNew
Zealandで私が感じている中国人事情についてお話したくて、メールさせていただき
ました。
私はここNew Zealandに来る前に人件費の安い中国=発展途上と思っていました。
大学でも中国経済を勉強し、中国経済が年7%の成長を続けていることも知ってまし
たが、
まさかここまで中国人の世界進出が進んでいるとは思ってもみませんでした。
New Zealand中の英会話学校は中国人学生でいっぱいです。彼らはNew Zealandで英
語を学んだ後、帰国子女として中国の大学に特待入学したり、欧米の大学に進学する
ことを目指しています。
また、町では中国人経営のMotelや商店がならび、New Zealandで一番と言われている
Fish and Chips(NZの定番ファーストフード)ショップは、なんと中国人経営です!
もとから世界中に広まっている華人コネクションをバックボーンにして、彼らはどこ
の国でも比較的容易にビジネスを始めているようです。
そして、最も私が驚いたのは中国人旅行者の多さです。New Zealandは観光産業が
盛んで、欧米をはじめ、世界各国の人々がNew Zealandを訪れます。その中で中国人
観光客の数は年々増加傾向のようです。彼らは観光施設に大型バスで大勢押し寄せ、
片言の英語で買い物などを楽しんでいます。かつて日本人観光客がそうであったよう
に。。。今でも彼ら一人当たりが観光に使う金額は、アメリカ人、日本人に比べ半分
以下のらしいですが、近いうちNew Zealandの一番のお客さんは中国人になるでしょ
うし、New Zealand企業もそう睨んでいます。
また、中国人観光客の特色として、同じ中国人でも階層や出身地によって観光の仕
方や格好が全く異なります。経済特区から来た人は英語も流暢ですし、格好も日本人
よりむしろお洒落ですが、
あまり聞きなれない地域から来た人や大型バスで乗り付ける人々は、どちらかと言う
と地味で、
英語もあまりしゃべれません。団藤さんがご指摘の通り、中国人を一括りで見ること
は不可能です。
人数、活躍ともに他を圧倒する中国人たち。でもそんな彼らと話していて不思議に
思うことが
あります。彼らにとって最もうらやましく、目標とする国民はやっぱり我々日本人な
んです。
近所に住んでいる北京出身の奥さんや、留学生と話すと、よく日本はすごい!日本は
すごい!と
日本製の工業製品を指差し、感嘆します。それだけでなく、私が以前日本でプログラ
マとして働いていたと言うと、すばらしい!きっと高級取りだったに違いないとか、
ソニーで働いていたのかなど質問攻めにあう始末です。
6畳一間のアパートで暮らしていたなんて恥ずかしくてとても言えませんでし
た。。。
今やNew Zealandのどの町でも石を投げれば中国人に当たる状況です。一方日本人
パワーは年々衰え、New Zealand人ももはや日本人観光客を宛てにしてません。でも
そんな日本をうらやましがる中国人。日本にいたらこの不思議な事情を知ることはな
かったでしょう。これからも大和魂を忘れずに、「中国人に負けない!」を旨に頑
張って生きて行こうと思います。
◆読者共作3「医療情報の大衆疎外が改まる日は」へ感想
Kさんからメール------3/12追加
医療制度について勤務医の私見を述べさせて頂きます。
【医療制度に象徴される日本型社会主主義の行き詰まり】
公的な大病院では頑張って救急患者を沢山診ても、「満床だ」、「専門外だ」といって全部断っても医師や看護婦の当直料は同じです。これでは質もサービスも改善される訳がありません。日本の医療保険制度では成功した手術と失敗した手術は同じ値段です。卒業したての研修医と卒後15年目の医師の診察料も同じです。
医療制度に象徴される様に戦後の日本は「最も成功した社会主義国家」と称される程、税制にしても教育にしても「差」がある事を「非」として来たのですが、現在の閉塞状況はその行き詰まりとも言えます。授業が成り立たない公立学校でも熱心な先生とそうでない先生の給料に差がありません。不祥事が続く警察でもストーカー事件の予防に熱心な警察官とそうでない警察官の給与に差がありません。破綻寸前の金融機関やゼネコン業界も護送船団方式に守られて来て差が無かったと言えます。
私は「日本型社会主義をやめよう」という小泉改革を基本的には支持します。例えば、「住宅金融公庫が廃止されると民間銀行では長期低利の融資ができないので低所得者が住宅を持てない」という異論がありますが、「低所得者も高所得者と同様に住宅取得を可能とすべき」というのはまさに社会主義であり、逆に住宅金融公庫が甘い審査で誰にでも融資をしたから少し不況になっただけでローン地獄に苦しむ人が続出しているとも言えます。
少子高齢社会に於いて社会保障制度を支えるためにはある程度の国民負担増は避けられません。小泉政権の痛みを伴う聖域なき構造改革で「診療報酬の引き下げ・健康保険料の引き上げ・サラリーマンの自己負担増」が決まりの様ですが、「社会主義をやめる」という観点からすれば、医療制度の抜本改革は混合診療の導入ではないでしょうか?
私の医療制度改革は次の2点です。
1)医療費というパイの切り方を変える。
日本のGDPは経済協力開発機構29ヶ国の中で第2位ですが、98年の総医療費の対GDP比は7.6%で1位の米国13.0%の約半分で18位です。高齢化率と1人あたりのGDPが比較的近いドイツ、フランスの総医療費の対GDP比は10%前後で、ドイツ、フランスと比較しても日本の総医療費は少なく見積もっても対GDP比で約2%、約10兆円も少ないと考えられます。情報公開が重要と言いながらマスメディアはこの数字を公開しません。
日本の医療費は国際的に見れば決して多くないのですが、日本の「薬や医療材料は高過ぎる」とは言えます。米国の3〜5倍もします。小生は整形外科医ですが、例えば、米国では6万円の髄内釘が全く同じものが日本では18万円で取引されています。それに反比例して医師の技術料が安すぎます。米国の8〜10分の1、例えば手根管症候群に対する手根管解放術は米国では3000ドル約39万円に対して、日本では39000円です。情報公開が重要と言いながらメディアはこの数字も公開しません。
更に、この屈辱的に安い技術料で手術室のメインテナンスと手術室のナースには看護料もないのでナースの給与も賄わなければならないのです。
2)医療制度の抜本改革は混合診療の導入です。
混合診療とは保険診療と自由診療を組み合わせるもので、医科では禁じられていますが、御存知の様に歯科では既に歯の補綴などで認められています。
例えばシップ剤の1回の処方は保険では28枚までとするならば、42枚欲しい患者さんは14枚分の差額を自己負担するという極めて当たり前の事です。(おばあちゃんが湿布をもらってくると安いのでおばあちゃんに沢山もらって来させて家族みんなで使っているのが現状です。)或いは、大腿骨頚部骨折(日本で年間8万例発生する骨折)に使う人工骨頭でも保険では安いステンレスのモノポーラー、差額を出せば合金のバイポーラーを使うという事です。
また、医療の現場では混合診療が認められていないため、例えば、米国のFDAでは承認されている抗癌剤を患者さんが「自費でもよいから使ってくれ」といっても日本で保険適応になっていない薬は使用できません。使用する場合はその癌に関わる治療が全て自費となります。
自由主義経済の下では支払う金額の多寡により受けるサービスに差がある方が「公平」です。支払う医療費の多寡にかかわらず、何時でも、何処でも、誰でも同じ医療内容を享受出来る制度というのは極めて理想的ですが、保険料も税金も納めず、自己負担もゼロの生活保護の患者さんと保険料も税金もちゃんと納めて、自己負担分も払う患者さんが同じ病気になった時、受ける医療サービスは同じという制度は共産主義に他ならず、理想郷を求めたソ連や東ドイツや北朝鮮と同様に崩壊の道を歩んでいます。
クラウンに乗ってもカローラに乗っても負担が同じなら殆どの人はクラウンに乗るので財政的に行き詰まるのは当然です。別の言い方をすれば、日本の医療保険制度は、「皆カローラに乗りなさい」という制度で、「差額を払うからクラウンに乗りたい」という人を認めない制度です。
混合診療を何に導入するかという事はこれから議論すれば良いと思いますが、少なくとも医療材料・薬・治療効果の乏しい医療(高齢者の重症脳卒中、脳死患者の延命など)には導入可能だと思います。混合診療の導入には基本的には厚生労働省・財務省・勤務医は賛成です。反対しているのは医師会の執行部だけで、混合診療が導入されると病院や医師の費用対効果が明らかになり競争原理が導入されるからです。
【追記1】日本の病院の入院日数が長いと指摘されますが、病院はベットの回転を良くしたいので少なくとも当院では入院を長引かせるつもりは全くありません。逆に、医者の一番大変な仕事は高齢の患者さんを退院させる事です。一度高齢者を病院に預け高齢者の居ない快適な生活を経験すると家族の方は、なかなか自宅へ引き取ってくれません。また、日本ではまだまだ「おばあちゃんを老人ホームへ預けている」というのは世間体が悪く、「おばあちゃんは体の具合が悪いので病院に入院している」という方が、体裁が良いのも現実です。
私の妻が米国に入院した時は、個室でしたが一泊16万円でした。これではとても長期入院などできません。日本では入院している患者さん達の多くは米国では近くのホテルから通っているのです。16万円出せばスウィートルームに泊れます。
【追記2】「強者の論理だ」というご批判は甘受致しますが、医療にたずさわっていると本当の弱者とは誰だろうかと思います。私の病院の待合室では光物を身にまとった生活保護の患者さん同志が「エステに行って来たとか、10万円なんてはした金」という会話をし、中にはクラウンに乗っている方もおられます。
以下は私の市の生活保護給付月額です。
●4人世帯:夫40歳・妻38歳・子12歳・子6歳
222460円+住宅手当(最高5万円)=272460円
●単身世帯:50歳
82390円+住宅手当(最高5万円)=132390円
●母子世帯:母35歳・子10歳・子6歳
193040円+住宅手当(最高5万円)=243040円
●老人世帯:夫73歳・妻70歳
131930円+住宅手当(最高5万円)=181930円
384万円という日本の課税最低限は米国の243万円や英国の126万円に比べて高すぎるので、課税最低限を引き下げようという議論がようやく取り上げられる様になりましたが、上記の如く夫婦と子供2人の生活保護世帯の年間最高給付額は約327万円となり、下手に課税最低限を下げると「真面目に働くよりも生活保護を受けた方が良い生活ができる」ことになってしまいます。
生活保護の患者さんの場合、所得税も社会保険料も免除され、医療費の自己負担もなく、タクシーで通院すればタクシー代も出ます。一方、年収400万円の人は社会保険料も所得税も納め、病気になった時は医療費の自己負担分も払わなければなりません。情報公開が重要というマスメディアこそが公正な情報公開をしていないのでないでしょうか?
医師会が健全な競争原理の導入を阻害する利権団体である事は否定しませんが、マスメディアが盲目的に「医師=金持ち=悪」、「患者=弱者=善」とするのはいかがなものかと思います。
◆第112回「食塩摂取と高血圧の常識を疑う」へ感想
Kさんからメール------3/12追加
インタ-ネット初心者の主婦です。
高血圧の記事を読みメ-ルさせていただいています。
とても、気が軽くなりました。
私は、まだ高血圧と診断されたわけでもないのですが、遺伝的に気をつけないといけないタイプの人間です。
最近急に少しずつ上がってきているようで怖かったのですが、すごく狭い範囲の知識に振り回されている自分に
気がつきました。主婦なので、主人にも塩の強制をしつつある時期でもあったので(主人は不満)、
もっと広範囲に知識を持たないといけないと考えさせられました。
食べる事は、人間にとって ----とても楽しみですよね。生きる事にも直接関係しますが。
主婦の仕事は、手抜きをすれば限がないですが、家族のために深くすれば これまた限がない。
家族みんなの楽しみである食事を もっと勉強したいと思います。
これからも、書かれる記事を楽しみにしています。
日々の研究に、感謝いたします。
◆読者共作2「ポスドク1万人計画と科学技術立国」へ感想
Iさんからメール------3/12追加
大学での教授の横暴、経済的制度的支援制度の貧弱さ、
終了後の受け入れ口のないこと、
まさにその通りなので、笑ってしまいました…。
私は人文系ですが、都内の某国立美術系大学院の修士を出ているので、
育英会の借金もちゃんと負っています。
現在フランスに留学中ですが、日本での大学院生活との差に愕然とする毎日です。
フランスで目に付くのは、学生一般とりわけエリート学生優遇制度です。フランスでは、高校卒業資格者が行く大学と、
コンクールで選ばれたエリートが行くグランゼコールといわれる特殊上級学校の2系統があります。
私は今グラン・ゼコールに在学しているため、授業料は無料(大学では年に2万円程度の登録料のみ)。
国籍を問わず学生に与えられる住居補助が月に1140フラン。
フランス政府給費留学生として奨学金4900フラン
プラス住居補助が830フラン。
しめて7000フラン、大卒初任給よりすこし安い程度が給費。
フランス人の同級生は8500フラン程度の月給をもらっています。
豊富にある研修や見学に出向くときなどは、
交通費食費などが全支給されます。
ただ、グランゼコールの学生はすでに高級公務員としての将来が決まっているので別格として、大学で文科系の博士をとっても就職が難しいのは、フランスも同じだと聞いています。理科系は知りません。
教育内容は直接比べることは難しくはありますが…
これほど密度の濃いカリキュラムは日本では受けたことがないし、
聞いたこともありません。
文化的環境は日本とは比較にならないくらいリッチだし…
こんな恵まれた条件で教育を受けたフランスのエリートに、
日本のエリートがかなうのだろうか?
とりあえず感想まで。
◆iモードサイトからの感想
Dさんからメール------3/12追加
あまり政治や世の中の動向に興味が無く、ただ自分の生活だけを考えてきました。しかしここに書いてある様々なジャンルの話題を読むと、かなりの情報を調べ、なるべく公正、冷静に分析し、統計の出所、バイアス等も検討している事がわかります。
日本を良き国とするため私なども少しは頭を使わなければいけませんね!日本が爽やかなアイデンティティーを持つ国で有りますように、外交も頑張って欲しいですね。かくいう私は舶来文化のオペラ歌手を目指しているので強くは言えませんが…。ともあれこれからも頑張って取材してください!
◆学力低下について
Nさんからメール------3/12追加
毎回、興味深くよませてもらってます。
当たり障りのないコラムとは、違い一歩踏み込んだ視点から、構成されていると思います。
私は、今スペインに留学中の大学生です。
海外から日本を見て、今回の若者の学力の低下について一言。
今の若者に一番欠けているものは何か?
それは、「知識」、そして「議論する能力」ではないでしょうか。
例えば、微分ができるできないがそれほど重要なことでしょうか?
述べられていたように、確かに実社会で必要であれば、確かに数学の「学力」をもっているかいないかは重要かもしれません。
ただ大部分の学生には、社会に出た時に、数学というものは必要ないのではないでしょうか。
他の教科についても同様です。
よって、河合塾の偏差値を見比べることにそれほど意味があるとは、私は思いません。
本題に入りますと、こちらに来て、実感するのは学力ではなくて、日本人の知識不足。
例えば、歴史について、日本人の学生に一問一答式の問題をやらせるなら、高得点が採れるでしょうが、それでは、何故、朝鮮戦争が起こったのか、何故日本は太平洋戦争に踏み切ったのか、などという問いに答えられる学生がどれだけいるでしょう。
だから、学力はあっても、知識がないから、外国人とまともに議論ができない。
日本人が議論下手な理由の一つに知識不足があげられるでしょう。
また日本人はその国民性から議論することを好まないという性質があります。その性質自体を否定する気はありませんが、他国の人間と対等にやりあうにはその能力が必要でしょう。
例えば、アメリカ人が議論に強いのは、学校でディベートの授業があるからではないでしょうか、幼いころよりその訓練をしている人間とそうでない人間に差があって当然です。
だから、日本人は外交が下手くそだと言われることになるのです。
繰り返しになりますが、今の日本人に最も欠けているのは、「知識」と「議論する能力」だと考えます。
国際化の波が押し寄せ、日本市場も徐々に開いていくでしょう。
必然的に外国人と接する機会も増えるでしょう。
その時に必要になってくるのが、これらの能力ではないでしょうか。
知識をつけるためには、本を読むことが必要であるし、
人と議論するためにはその知識、そして胆力も必要になるでしょう。
そういった観点から教育というものを見れば、
学力(偏差値)の低下というものは、たいして重要ではないと、私は考えます。
数学、古文、生物etc・・・ができることに意味などありません。
今、日本ないし世界で求められているのは、豊富な知識、他人と議論し交渉する能力を持つ人間ではないでしょうか。
長々と書いてしまいましたが、これからもどういった記事を書かれるのかを楽しみにしています。少しでも多くの若者がこういった記事を読み、真剣に日本の将来を案じる人間が増えていくことを願っています。
◆時評「小泉改革と競争社会化の必然性」について
泉幸男さんからメール------3/12追加
本日号の倭国の槍ぶすまの比喩、おみごとでした。
欧米の競争社会化の契機を日本が作ったというご指摘も鋭いですね。
人間みな「槍ぶすま」の安逸を求めるもので、これが「東」では社会主義の安逸、
「西」では植民地主義の安逸へと向かったのでしょう。
(どちらのシステムも、一度 商品を設定すれば、未来永劫同じ商品を売り続ける
ことで安逸な生活を確保することを、システムの前提としていました。)
眠りを破られてすばやく対応したのが「西」だったということでしょう。
国際派時事コラム「商社マンに技あり」
◆第107回「非婚化の進展をITが阻み始めた」について
まなさんからメール------3/12追加
非婚化の進展をITが阻み始めた、というコラムを面白く拝読いたしました。
ITは、人と人との関係を変えていく面があり、それは確かに結婚動向にも影響を与えずにはいられないでしょう。親友にもなかなか話さないようなことを、見ず知らずの人と匿名で話したり、友人のいない人がネットでは人気者だったり・・とね。
でも、こうした非婚や少子というのは、あまりなぜか触れられませんがもっと本質的な理由があるように思います。それは、端的にいえば、経済的に自立した女性にはもともと結婚の必要がなく、戦後一貫して続いている女性の社会進出は、当然に未婚率の上昇を伴うということです。
彼女らは別に家事負担や育児との両立が心配だから結婚しないわけではない。男性の「意識」が低いから女性が結婚しないのではない。はっきりいえば、経済的に自立した女性にとっては、生活のために結婚する必要がない以上、尊敬できる、ありていにいえば所得、学歴等で自分より上の男性でなければ結婚するメリットはないのです。
そして、このような「結婚の必要のない女性」はますます増えているので、非婚率は長期的には今後もやはり増加していくと思います。
こうした「結婚の必要のない女性」は、しかし「結婚したくない女性」ではありません。自分が結婚したい縁のある人はなかなか現れないと思いながらも、自分の生命を受け継ぐ子供を持つことを切実に望んだりもしています。もし、少子化(私はこれはこれで社会規模、地球規模ではメリットのほうが大きいと思うのですが)に歯止めがかかるとしたら、未婚女性の間で、人工授精や「尊敬できる男性との交際」によって未婚でも子供を持つ、ということが普通の人生の選択肢として広まったときではないのでしょうか。
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