破局の先送りと貧困国の窮乏化
米国では生産性の上昇が顕著で、相対的に低い日欧と差があるから資金が集まっていると論じる人がいる。国内でも21世紀政策研究所理事長・田中直毅さんの「『生産性上昇の衝撃』に見舞われた米国、ドル暴落は起きない」はこう述べる。
「今後、年率4%程度の改善が続くのではとの『生産性上昇の衝撃』は、米国の物価や金融政策の根底的見直しに直結し始めている。製造企業も非製造企業も米国の企業は、総じて価格引き上げに依存しなくても増益を続けられるのだ」。国境を越えたアウトソーシングの展開「いわゆる空洞化は製造業のみならず非製造業でも生じ」「もう『逆転』はありえない。米国のソフトウェア関連企業の買収をインドなどのアウトソーシング受託会社が行い、国際分業の形態の精緻化が今後は本格化する。そしてアウトソーシングを進めた米国企業は、値下げを通じて顧客満足度を高める手法に磨きをかけることになろう」
一方、米国の景気を支える個人消費の強さ、借金をしてまでの消費は、我々日本人からは異常とも感じられる。少し古いが、2000年の三和総合研究所(現・UFJ総研)「米国の経常赤字および過剰消費体質について」はこう指摘する。「『過剰』な消費は借金の増大と表裏の関係にある」「90年代は借金主導で消費が増加する傾向が強まっている。だが、家計のバランスシートをみると、必ずしも負債は過大ではない。金融資産を中心にする資産の増加に比べれば、負債の増加はわずかである」。バランスシートのグラフが示している事実は、1980年と2000年を比べれば、負債を引いた純資産は5倍にも増えた。
そういう経験を日本人も一度している。あのバブル期である。不動産価値は右肩上がりで増え続けるはずであり、それを担保にした借金には銀行はいくらでも金を積んだ。米国でも戦後ベビーブーマーが間もなく退職期になる現在、年金資金は肥大して株式相場上昇の基盤を提供している。「金融資産を中心にする資産の増加」は、米国内である程度は自立的な循環が形成されている可能性がある。ただ、それがいつまでも続くことかと問われれば「あれも夢なら、これも夢」が「信用性の増幅」で成立している現代資本主義の本質だと申し上げるしかない。国境を越えた投機の波が襲うとき国際協調でも支え切れない。
しかし、もしドル暴落が起きても、米国の強みは額面がドルである点は不変だから、受け取るドル額は同じなのである。減価した分の痛手は、海外の投資家や日本政府のような公的機関が負ってくれる。85年のプラザ合意でドルは一気に半分の価値まで落ち、借金が半分になったようにである。
そして、見逃せないのは次の視点である。北沢洋子さんのDebtNet通信Vol.2No.27(2002/8/22)「米国はHIPC?―貧困国が繁栄国に資金援助」はJubileePlusのアン・ペチファー代表の論文である。
米国民の高い消費を埋め合わせている「米国の赤字は、(1)東アジア、とくに日本、中国、シンガポールの勤勉な貯蓄からカバーされている。(2)フランスやスイスなどの国から借り入れている。もっとひどいことには、米国の赤字は、(1)貧しい国から逃避してくる資本によってカバーされている。(2)ドル高の時に、ドル保有を強制された国からカバーされている」そして、いつか米国の赤字が続けられなくなり、『調整』が起きるとき「最も大きなコストを支払うのは、これらの国の貧しい人々である。いくらかの国では資本の流入が減るだろう」
いま現在も貧しい国の発展に使われるべき資本が米国に流れ、破局の時にも最も悲惨な目に遭うのも、こうした力が弱い貧困国なのである。持続可能な成長、地球環境問題へも対処可能な成長に切り替えねばならない21世紀に、米国への資金の偏在は何の展望も生まず、逆に国際的な不公平感や憎悪を拡大するだけに終わりかねない。それこそがテロの温床ではないのか。
ただ、経済専門家には楽観的に見ている人もいる。「景気の見方・読み方」の「為替の介入について」は「最後に、頭の体操として、少し変わった見方をしてみましょう」と提起する。「日本の輸出企業と政府を連結決算で見てみると、日本という商店が米国という消費者にツケでモノを売っているということになります。米国が日本からモノを輸入するが、代金が払えないので借りておくというわけです。日本から見れば米国は『ツケで大量にモノを買ってくれる得意客』です」「日本の経常収支黒字は未来永劫続くわけではありません。高齢化が進むと30年先には間違いなく経常収支が赤字になるでしょう。その時にツケを払ってもらえばよいわけですから、それまでの間は思う存分貸しておけばよいのではないでしょうか」
円高と対米協調に縛られた日本政府にドルを買うしか打つ手は無く、「出来れば、そうあれかし」と願っているだろうが……。 (了)
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