時評・小泉改革と競争社会化の必然性(20010812)

 参院選は「小泉純一郎」旋風が吹き荒れ自民圧勝に終わったが、対抗する民主党にもほどほどの議席を与えた。選挙戦を通じて何回も世論調査が繰り返され、各メディアのそれをウオッチしていると、構造改革断行の先行きについて有権者の間に微妙な揺れがあり、また、内部矛盾をはらんだ自民党を勝たせていいものかとの不安が感じられた。案の定、選挙後には山崎幹事長が「構造改革、構造改革とお経のように唱えていれば票になる」と口走ってしまう。その程度のものなのか。今回は、進む事態について寓話を作り、私見を述べたい。

◆寓話「倭国もし春秋戦国の世にあれば」

 宮城谷昌光さんの歴史小説「沙中の回廊」をヒントに、寓話を作ることを思いついた。春秋戦国時代とは秦の始皇帝が古代中国統一を果たす前の、長い長い戦乱の世である。

 島国日本と違って、大陸の国境は常に動く。民も何処からか流れ来て国をつくる。中華世界の中央部を「中原」と呼ぶ。その一角に「倭」という小国があったとしよう。兵は弱く、戦って国土を増やすことは難しく、国は細るばかりだった。

 遠く南方の「楚」は昔から強兵の国として知られ、一人一人の武芸が抜きんでていた。戦場で一対一の白兵戦になれば敵はなかった。また、西方の「秦」も着々と大国への道を歩んでいた。

 数千、数万の歩兵が争う戦場に、倭国の軍師は新しい戦法を導入した。楚の急な侵攻にあい、その強い兵に自国の兵を少しばかり武芸修業させても、かなうはずもないと、やむにやまれず採った奇策である。長い槍(やり)を多数の歩兵に持たせ密集した「槍ぶすま」を作った。一致して進み、一致して退く。肝心なのは決して隊列を乱さないことだ。

 厚い「槍ぶすま」の前では武芸に優れた楚兵も力を発揮できない。楚の侵入を撃退したばかりか、続く隣国との戦にも勝って「槍ぶすま」戦術は倭国のお家芸になった。「槍ぶすま」の幅はますます広がり数キロにもなる。敵がたじろいでいる間に、後方から射手集団が敵の頭上に矢の雨を降らせ、向かうところ敵なし。やがて中原を制覇する。

 槍の長さをもっと長くしたらどうか。「槍ぶすま」戦術の改良に、その後もいろいろな手が尽くされた。一方で、個人の武芸を磨くことは「ダサイ」とされ、代わりに槍の穂先をぴかぴかに磨くことが兵の基本動作になった。

 武芸志向の若者も少しはいたが、他国へ流れ出た。多くの若者は「一致して進み、一致して退く」訓練に明け暮れた。白兵戦などこれからの戦場では存在しないのだから、これで十分と思えた。「つまらない」と、この訓練にすら加わらない若者も増えた。

 一世代以上続いた倭国の覇権は、しかし、突如消滅した。

 戦場に騎馬軍団が現れたのである。正面方向には強い「槍ぶすま」軍団にも弱い「側面」がある。歩兵戦なら側面へ敵が回り込む前に対処できた。機動力に優れた騎馬軍団は容易に側面を衝き、「槍ぶすま」を蹴散らした。隊列が乱れたとき、倭国の兵は為す術を知らなかった。異常に長くなった槍では一対一の勝負にならない。もし槍が短かったとしても、個々の兵が武芸を磨いていないのだ……。

 寓意しているところは汲み取っていただけただろうか。日本的生産方式も、学力低下問題も、ITの登場も。(次項へ)


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