政権維持の強迫観念だった小泉改革(20031013)

 2001年4月に小泉内閣が発足して2年半、遂に総選挙を迎える。この間、米国では911同時多発テロが起き、アフガン、イラクと戦火が広がった。私の連載は小泉改革をウオッチすることを重視して、海外の動きを追うのは禁欲してきた。「失われた10年」を清算して、再び立ち上がることが本当に出来るか。発足間もない時期の第106回「小泉内閣が既に変革した若者の心」では疑問を呈しつつも、敢えて激励する立場をとった。改革の各論が明確になる過程の第114回「大学と小泉改革:担い手不在の不幸」など一連のコラムでは、改革が唱えられる割には個別分野で改革すべき中身の吟味が出来ていないことを鮮明にした。そして、自民党総裁選をすり抜け総選挙に打って出る今に至って、小泉純一郎首相にとって「改革」とは大蔵政務次官(1979年大平内閣)時代から刷り込まれた強迫観念に過ぎず、改革を唱えること自体が政権維持の道具と化した――と断ぜざるを得ない。

 個人の力は奇策にしかならない

 2年前に、私はこう書いた。「政治改革の方向と意志を明確にした集団、それを普通は政党と呼ぶ。それなくして小泉個人の意欲だけでいつまで引っ張っていけるものではなかろう。何時の時点かで総選挙に打って出て、基盤にする政党を純化し、ブレア政権のように社会の隅々まで変革しなければ、目的は成就しない」

 いま現実は全く違うのに、国民の支持率は6割近くに戻った。自民党総裁選で使った手品に騙されているからだ。総選挙を目前にちらつかせることで選挙基盤の弱い若手に「小泉でなくては戦えない」と言わせ、自民党各派閥の締め付けを無効にした。それと49歳、安部晋三幹事長の登用をもって「自民党は変わった」と主張する。「小泉はまだ戦っている」と国民にアピールし、「自民党をぶっ壊す」発言の残像を蘇らせた。しかし、郵政民営化をはっきりと選挙公約に掲げられなかった点が象徴するように、小泉首相さえいなければ自民が掲げる政策でない点は変わらない。

 橋本派は看板を変えざるを得なくなったが、もともと前身・竹下派から金庫番を引き継いできた青木幹雄参院幹事長が仕切る構図に変化はない。派内一匹狼の橋本龍太郎元首相を看板から降ろすだけだ。他の派閥も含めて流動化したとメディアが囃し立てること自体に疑問がある。小泉改革に中身があるとしたら、賛同する「同志」が増え、各派閥から離れて党公約として推進する――自民党がそう変わるなら「変わった」と言われて納得である。ところが、小泉首相は就任以来、同志を作ろうとしなかった。小泉内閣メールマガジン第4号の「総理大臣には孤独が必要だと思う」は一見して当然にも思えたが、出身派閥・森派内にすら有力な同志を作れないとは、孤独を楽しむ趣味なのか。

 どうして同志ができないか。それは小泉改革が改革の必要性を説くばかりで、結局のところ、どんな国にしていくのか、目指す中身を語れないことにも原因がある。銀行、大学、高速道路、郵便局……と既存制度を壊した先に生み出す新しい姿を、小泉首相は語らない。民間にとか市場にとかしか言葉は現れない。大蔵族トップの強迫観念として改革を語っているだけなのだから、新しい姿を持っているはずもない。私はいつかは語り出すのではと忍耐強く待ち続けたあげく、「丸投げ」の連発を見て、やはりと諦めた。

 現役政治家で小泉首相ほど権謀術数を好む人も少ない。永田町の情報を集め切ってから最高権力者の立場を最大限使い、意外性を演出する。田中元外相登用・辞任や日朝会談、安部幹事長などが国民に与えた影響が支持率グラフの変動に見える。踊らされてきたものだと改めて思う。(次項「総選挙は対立軸無い2大政党で」へ)


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