もんじゅ判決は安全審査を弾劾した(20030215)

 1月末に名古屋高裁金沢支部であった高速増殖原型炉「もんじゅ」(出力28万キロワット)の設置許可処分無効訴訟の控訴審判決は、日本の裁判史上で初めて原発に反対する住民の請求を認めた。敗れた政府は最高裁に上告の手続きを採った。裁判の勝ち負けもさることながら、判決が安全審査の在り方そのものを「誠に無責任で、審査の放棄と言っても過言ではない」と痛烈に弾劾した事実が、今後、重くのしかかる。批判された国の原子力安全委員会は裁判結果への技術的反論をまとめる方針を決めたが、裁判の進行にこれまでほとんど関心を払ってこなかった一事を見ても、委員が自分の頭を使って考える自立性を欠いていたと認めたに等しい。旧・動燃の技術レベルも内部情報を知れば疑義がある。

 普通人の理解から遠い安全審査

 もんじゅ訴訟の歴史は長い。原告適格を認めるかどうかで、まず最高裁まで持ち込まれ、1992年にようやく福井地裁で一審が始められた。94年にもんじゅが初臨界、翌95年にはナトリウム漏れによる火災事故を起こして原子炉停止。動燃(現・核燃料サイクル開発機構)による事故の再現実験で鋼板製床ライナーに穴が開き、ナトリウムとコンクリートの爆発的反応が現実になる恐れがはっきりしたにもかかわらず、2000年に福井地裁が行政、民事訴訟ともに原告の訴えを棄却している。

 一審敗訴の前に書かれた「『もんじゅ』訴訟事実上の結審」は「確かに他の原発訴訟とは違って裁判所に勝訴判決を出しやすい条件が整っています。『これで勝てなきゃどこで勝つんだ』と海渡弁護士がいうとおりなのです」と、住民の思いを語っている。それでも敗れた一審と控訴審の差は、裁判に新しく持ち込まれた「進行協議」だったと言われる。

 検察官と弁護人がやり合う刑事事件と違い、通常の審理は準備書面と呼ばれる分厚い主張資料の提出で進み、傍聴していてもあまり面白くない。技術的問題で素人の裁判官には理解が難しいとしても、ともかく主張すべき論点は全部、書面で出すのが鉄則。逆に裁判官側は「ここをこう主張すれば原告の勝ちなのに」と思ったとしても、誘導するような言葉は口に出せない。

 しかし、98年に民事訴訟規則に盛り込まれた「進行協議」を、この訴訟に導入した結果、書面審理とは別に原告、被告、裁判官が月に1回ペースで集まり、資料を説明しあい、疑問をぶつけることが可能になった。朝日新聞1月30日付「緊急報告・もんじゅショック・中」で、住民側の説明者として参加し、この訴訟に心血を注いできた核化学者で元阪大講師、久米三四郎さんが「裁判官がわからない点をどんどん質問して高速増殖炉への理解を深めていった」とコメントしている。

 判決を書くのに、読んでもよく解らない膨大な技術的説明を前に悩むとしたら、無難な国の主張を採用して済ませたくなる裁判官の気持ちはよく分かる。今回、普通の知性を持った人が、合計17回の進行協議で双方からじっくりと説明を受け「国の言っていることはおかしい」と認定した点が、従来になく画期的なところだ。

 国が敗れた論点はいくつもあるが、やはり最大のものはナトリウム漏れによる影響であろう。国はどう考えたか。事故からなんと5年も経て、原子力安全委員会安全審査指針集にある「高速増殖炉の安全性の評価の考え方」には「平成12年10月12日原子力安全委員会決定」として「解説」が追加されている。

 「もんじゅにおける2次冷却材漏えい事故に関する調査審議の過程において、空気雰囲気下でナトリウムが漏えいした場合、鉄、ナトリウム及び酸素が関与する界面反応による腐食が原子炉施設の構造材料の健全性に影響を与える可能性があることが認識された」「液体金属冷却高速増殖炉(LMFBR)の安全設計及び安全評価の基本的な考え方に影響を及ぼすものではなく、空気雰囲気下でのナトリウム漏えいによる火災については、従来の安全審査においても審査を行っているところであるが」念のために、という感じで素っ気ない。

 これに対し「もんじゅ行政訴訟控訴審判決・要旨」は「高温のナトリウムと鉄の腐食機構の知見を、本件申請者及び本件安全審査に携わった関係者が本件ナトリウム漏洩事故が発生するまで有していなかったことは、被控訴人の自認するところである」「ナトリウムが漏洩した場合の床ライナーの温度は、本件申請者が想定していた温度よりもはるかに高いものであり、本件申請者が設定した設計温度と比較しても、これを200度以上も上回るものであった。これを看過した本件安全審査は、その評価、判断に過誤・欠落があったことは明らかである」と具体的に指摘、自信に満ちている。

 原子力安全委員会による裁判結果への技術的反論がどんな説得的なものになるのか、見物である。(次項へ)


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