ネット・ジャーナリズム確立の時=第100回記念コラムから抜粋(20010331)

 既成のマスメディアが伝えるものに飽き足らない――インターネット上のメールマガジンを中心にした「ネット・ジャーナリズム」は、その不満に十分応える存在に育ったと宣言していいのではないか。

 巨大なメディア組織に埋もれ失われていたジャーナリスト個人としての存在を取り戻し、自己責任で本音を伝え、受け手から反響が直接感じられるインターネットからの発信は、既存のメディアよりはるかに知的興奮に満ちている。どんなメッセージか。既成メディアとの差を具体例をあげて紹介する。真実だと直感できるばかりの見通しの良さ、切れ味を身上とする。

 1993年3月、コソボ問題を機にNATO軍が始めたユーゴスラビア空爆に、極東の地にいる身として理解しがたい違和感にとらわれた方が多いと思う。ユーゴ内戦の悲惨さは、もう見飽きるほど見た。十分だ。何を彼の地の人々は考えているのか。それなのに、マスメディアが伝えるのは、テレビゲームを楽しむようなNATOハイテク爆撃のシーン、それに現地の惨状の羅列ばかり。

 しかし、インターネット上では、既にその半年前に国際ジャーナリスト田中宇氏のレポート「バルカンの憎しみとコソボの悲劇」で知らされていた。コソボ問題にはいずれ火が着かざるを得ない。「セルビアの武力によって他の民族の離反を防ぎ、ユーゴ連邦を維持しようと考えた」ミロシェビッチ前大統領が、大統領になる前から仕掛け、想定していたユーゴ民族戦争の発火点は、あのボスニア・ヘルツェゴビナなどではなく、コソボだったと。87年、コソボの中心地プリスティナで行った「セルビア人には、コソボを取り戻す権利がある」との演説に全ての始まりがあった。 (次項へ)


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