再論・津波アクセスの社会的意味(20030111)

 ネット上に日々、津波アクセスが発生と指摘した前回には、いろいろな方面から反響があったが、実は話を複雑にし過ぎる恐れがあって重要な論点が置き去りになっていた。個人的行為と思われているニュースサイトの営みが、既に社会的に意味を持っているのだ。年が明けて、材料が出揃った。津波アクセスの話題を書くきっかけとなった第127回「音楽産業は自滅の道を転がる」が検索サイトでどのように扱われているか、見ていただくことから始めよう。なお、前回の第128回「ニュースサイトが生む津波アクセス」もやはり半月間に2万人ほどのアクセスを得た。

 ネット上から市民社会を照らす

 「音楽産業」をキーワードにして1月4日現在で主な検索サイトを調べた。まず、いま最も使われていると衆目が一致する「Google」での結果は「音楽産業は自滅の道を転がる」が8,330件中の1位。「Lycos」で112,742件中1位、「goo最新検索実験」でも1,896ページ中の1位だった。他の多くのサイトでは、まだデータベースに組み入れられていないようである。

 Googleがキーワード検索の結果で重要度順を決めるのに、リンク関係の多寡を利用していることが知られている。初期に行っていた単純なリンク数集計から進んで、いろいろな所からリンクが多いウェブを、Googleは一般ウェブから一段格上とし、そこからのリンクされた先も重要度上位に挙げる仕組みにしているようだ。他サイトもこれに習った独自な仕掛けを考案している。

 検索結果がGoogleでベスト10に入るキーワードが、私の連載には「学力低下」以下かなり多い。とは言え、「音楽産業」という全く新しいキーワードで、いきなりトップに立つために、リンク元200カ所以上の「津波アクセス」現象が疑いもなく強力に作用している。

 こうした「リンク」を利用した重要度の判定は、インターネット検索という特殊な場面でしか意味がないのだろうか。一般の人でも、ものを調べようとしたら、図書館に出向くよりインターネットで調べることが多くなった現在、検索はネット上の「遊び」ではなくなった。検索サイトは商売であり、利用件数増を図るため、利用者の重要度感覚と一致するようランク付けの仕組みに磨きを掛けている。津波アクセスの影響は、短期集中的に読ませるだけでなく、長期的にも強く発揮される。

 読者の皆さんは私の連載の中、第25回「インターネット検索とこのコラム」などで次のような描写を読まれたことがあろう。

 新聞などのマスメディアがかって社会全体をふんわりと覆っていた「知の膜」は、高度成長期以降の専門分化や社会矛盾拡大によって生まれた「知のピーク」群に突き破られている。知のピークを担っているのは特定の事柄に詳しい個人であり、メディア報道への不満を募らせ、ピークの数は増すばかり。

 知のピークは、現在ではウェブのコンテンツとして続々とネット上に登場している。市民社会の内にある限りは、何か詳しい人がいると認識できても、その人が持つピークの高さは分からない。インターネット検索の対象となるサイバー空間まで来れば、共感の多さ少なさとして自動集計される時が来た。

 個人ニュースサイトのリンク付け行動が、知のピークの「高さ」ランク付けに貢献しているのだ。これは決して偶然ではない。個人ニュースサイトの多数出現も、「知のピーク」群が林立してメディアの「知の膜」を突き破る状況が背景になって生まれたのだから。ネット上からスポットライトを投射し、市民社会を照らす機能を、意図せずして持った。それがニュースサイト群と津波アクセスの社会的意味である。(次項へ)


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