マスメディア報道に開く大穴
新聞の作り方を内側から見ていると、全てに約束事の踏襲で進んでいる。その最末端には「読者との約束」が存在し、新聞を開いたとき、どの面にはどんなニュースがあり、相応の大きさ、見出しの派手さも決まっている。そこから逆算して、編集する整理部門に渡す出稿部門の原稿に盛る中身も決まる。記事を書く記者側も前任者から引き継いだ約束に従って仕事をこなし、デスクに原稿を出すトレーニングを受けている。1面からの総合面や裏側から開く社会面などは、がんじがらめ状態だ。新聞の真ん中あたりでは新しい面が作られ、新しいニーズに対応しようとするが、何がニュースかまで刷り込まれていて、それを対自的に捉え直せない状況では必ずしも効果的でない。
メディア関係者による放談「情報の三遊間がスコーンと抜けている」は、良かった過去に縛られ引きずられて、報道すべき中身に大穴が開いている現状を皮肉っている。
「10年前、20年前と比べてどうですか」「明らかにヒドイ。IT社会になったけどITが分からない。相変わらず『俺は政治の専門家だ』って威張っている。だけど世の中って全部リンクしてるはずだろ」
「じゃあ、メディアが以前より駄目になったのではなくて、世の中の動きについていけてないと」「だって、新聞社の部が増えたって話、聞いたことがある? 政治部、経済部、社会部…。みんな三遊間、抜けているだろ」
前回「ニュースサイトが生む津波アクセス」は個人ニュースサイトを持ち上げるだけでなく、ちょっと辛口に展開したから反発を含めて多彩な反応が予想できた。ニュースサイトのリンク元でどんなコメントが書かれているか、出来るだけ多く読ませていただいた。すべて取り上げる余裕はないし、私の主張に異議ありとした方も、ここに描いてきた、ネットと市民社会とメディアの構図を読まれたら、見方が変わるだろう。
敢えて言えば、自分の感性だけ信じてもらっても困る。メディア批判できているから自分はメディアを超えていると思う――それだけなら、トレーニングしてきたメディアの記者だって、対・体制に対して同じレベルだ。自分は誰で、どこにいるのか、知っていただきたい。それには「何事も比べなければ分からない」という、最も単純な弁証法の応用が効く。
その意味で、ひとつだけ代表になってもらうコメントを紹介する。
「メディアを手にした大衆の欲求と、その問題点をまとめた文章で、インターネットへの接し方のちょっとした啓蒙になっている。ただ、残念ながらオープンソース・ジャーナリズムはご存じないようで、わたしにはちょっと物足りなかった。/.Jは知らなくてもいいけれども」――個人ニュースサイトではなく、それなりの組織で運営されている「スラッシュドット・ジャパン」の「yourCatの日記」からである。
スラッシュドットは存じ上げている。昨年、スラッシュドットが取り上げて有名になった、ある大学での事件を、新聞記事にしようと取材もしたのに果たせなかった。もちろんニュースソースはスラッシュドットではないが、新聞記事のありようについて改めて考える機会になり、ときどき訪問している。今回の文脈上で言わせていただくと、あれだけのスタッフが揃いながら、守備範囲があまりに狭いのではないか。世評に言うほどハイテクおたくの集まりとは思わないが、看板「アレゲ」にこだわり過ぎ、「三遊間放談」の喩えを延長するなら、メディアが捉えられずに抜ける三遊間ヒットの三塁手寄りばかり拾っている印象がある。
個人ニュースサイトには得手不得手があるのは当然である。それでも傍目で評価して格付けする動きがあって「精進します」と表明する書き込みをいくつも見た。スラッシュドットほど知恵とセンスのある皆さんがエネルギーを投入するのなら、一塁線、三塁線の長打コースも既成メディアにない切り口でさばいて見せてこそ、みんなが見えている所で料理が進む「オープンソース・ジャーナリズム」を標榜する意味が生じよう。(了)
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