ポスドク1万人計画と科学技術立国(20011013)

 大学院を出た若手研究者に研究の場を与える「ポスドク1万人計画」が科学技術基本計画で打ち出されて5年が経過した。研究戦力を増やすため90年代に入って進展した「大学院重点化」の結果、大学院生の定員が大きく増えた。大学院を卒業した研究者の行き場がなくなる事態を前にして、表向きの名分はともかく、この計画は泥縄式に生み出されたとも言える。そして、今や、その「ポスドク1万人」からも「卒業生」が大量に溢れ出ようとしている。例によって、その先は考慮されていなかったのだ。

 毎年数千人の博士号取得者が職を見つけられず路頭に迷いかねない。生命科学系の専門誌「蛋白質核酸酵素」の特集は「わずかなポストに応募者多数という状態が続いている。フリーターになった博士の噂話も聞くようになった」と現場からの悲痛な声を伝えている。

 ポスドク問題の本質を見るとき、天高くから鳥瞰するより、一個人の現場を先に知った方がよい場合がある。今回は、そのケースだろう。

 「岡崎基礎生物学研究所(総合研究大学院大学博士課程)において学位取得をめざすも」「指導教授の暴言に抗議し」「研究指導・教育の不備を訴え、教授の横暴を改善させる指針を示すまで授業料半年分の納入を拒否すると宣言したため、除籍処分」「莫大な借金(日本育英会奨学金)の返済に苦闘」「フリーター生活を送っている」尾上伸氏の「大学院教育 その恐るべき実態」は、あまりの幻滅感に、研究者を目指している若い方たちに読ませるのをためらうほど。

 「私の体験談/」「大学における科学者の実態/」に現れている、教授の横暴や研究室運営の不当なありようは、この国の高等教育が人を育てるように出来ていないことを示している。さらに言えば、研究や個々人の能力に対する評価が妥当にされていないことが、根本の問題である。「評価システムがないところに自律と自立はない」。これは、私の連載第74回「大学の混迷は深まるばかり」で明らかにしたとおりだ。

 ポスドク制度は欧米にもある。しかし、日本とは仕組みが違う。欧米と日本の比較をしている「日本と米国のシステムの比較から問題点を探る」はこう述べる。

 「アメリカではポスドクはきちんとしたポジションであり、学位取得後数年ポスドクをするのが一般的ですが、ポスドクの後のシステムが完全に日米で異なることが重要な意味をもってきます」。日本では「助手以上のポストがすべて原則として(教授以外は教授が人事権をもつので教授次第の面はあるが)終身雇用であり、その部分は旧式のシステムのまま」ポスドクだけが任期制で、大幅に増やされたのだから使い捨てにされかねない。 (次項へ)


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