新学力観の錯誤は「Japan as No.1」時代に(20020727)

 私は以前に、学ぼうという意欲を大幅に低下させた「新しい子どもたち」の登場は「団塊の世代の生き方のコピーとして現れたと考えれば理解できることは多い」と書いた。成長社会の中、右肩上がりの安寧をむさぼり、「老害」世代に追従し、新しい路線を敷く必要すら感じなかった親たち。その背中を見て育った団塊ジュニアは「出来る子」「出来ない子」にかかわらず、最初からスポイルされていた。

 教育改革のこの10年余り、文部科学省が推進している「生きる力」をつける新しい学力観は、学ぶ意欲が低下した「新しい子どもたち」に対応しようとしたものと言える。それなりの根拠があるのだろうくらいに考えておられる方は、次の発言を読んで愕然とされるだろう。

 朝日新聞の「対談『学力低下』を考える:上」で、文部科学省の旗振り役として、各地を講演で走り回っている寺脇研氏はこう言う。

 「だから、明確に言わないといけないのです。『全部百点とれるようにしますよ、だけど、その範囲はいままでより狭くします』と」「講演に行くと、最後に『いいお話だけど、何かだまされたような気がする』と言われる。リアリティーのないものを提示しているのは事実です。でも、現実をつくっていくには、いったん皆が信じてくれないと、動いていかない。万全の態勢を前提にものを変えるのは難しい。ただ、文部省が変わることで、皆さんも変わろうと思ってもらえるのではないか」

 これは高度の専門知識をもつ行政、技術官僚であるテクノクラートの発言ではない。新興宗教教祖さまのお告げを信じるかどうかのレベルだ。新学力観は斬新に見えて過去の遺物の焼き直しであり、底の浅さは専門家から指摘されている。

 小関煕純・群馬大教育学部教授による「研究における不易流行」の中で市川昭午氏のこんな指摘が紹介されている。新学力観「は知育偏重を批判しているが、新教育や進歩主義教育として大正時代から連綿と続いてきた考え方と変わらない。戦後の一時期にも、戦前の教育を主知主義と批判し、『問題解決能力』や『生きて働く学力』が主張されたが、うまくいかなかった」。

 小関教授自身もこう指摘する。指導より「『支援』を重視した授業なるものを見たこともあるが、これまた授業の体をなさず、放任授業であった」

 教科内容3割削減の新学習指導要領に先立つ13年前に、小学校に生活科が取り入れられた。今回導入の総合的学習の先駆とも言える経験重視の手法だ。その当時の旗振り役、中野重人氏が「学習指導要領における基礎・基本の経緯」で自ら、戦後の「生活(経験)主義の学力観」に触れている。「端的にいって、学校の生活化であったといってよい。しかし、この戦後の新教育は、数年にして、学力低下と無国籍の教育という批判にさらされることになるのである」

 中野氏がさらに今回の新しい学力観について説明している部分を読んで、戦後期と断然違う差があるとはとても思えない。文部科学省は学力低下批判にさらされることは承知で、確信犯として新学力観に踏み込んでいったとみるべきだろう。(次項へ続く)


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