食べ頃の妙を死後硬直の糸口で(20030814)

 会社の同僚と居酒屋で食事をしていたら「韓国で美味しかった焼き肉屋は、その朝、と殺した新鮮な肉が自慢だった」と報告があった。最近はやりの「当日朝」ブランドもの――朝絞め地鶏や朝採り卵、朝取りトマト・レタスと同じなのだという。ちょっと待ってよ、動物には死後硬直があるんだから、牛や豚なら死後硬直時間中に食べることにならないかい。例えば季節の魚カツオについて高知の漁師さんから「釣って半日は食べてもゴムを噛んでいるよう。それから丸一日が食べ頃で、後は急速に味が落ちる」と聞かされていた。死後硬直をキーワードにして食肉の食べ頃の妙・追求を試みた。

 硬直現場は電子顕微鏡下の世界

 推理小説やサスペンスドラマがお好きな方なら、死後硬直は殺人事件でお馴染みの法医学用語だ。それだけに食事の話では無粋とも思うけど、今回は真夏の読み物ということで少しひんやりしていただこう。やっぱり人間から入らないと現実感が無いもの……。

 東北大医学祭資料のサイトに「法医学 〜死体現象について〜」がある。「死後2〜3時間経つと、はじめに顎の関節が動かしづらくなり、口を開けるのが難しくなります」。6〜8時間ほどで全身に硬直が回り、半日後には死体を壁に立て掛けられるほどになる。そして「硬直は、死後30時間くらいになると始まったところから解けはじめます」。この変化は温度に左右される。「気温が高い程硬直は早く始まり、早く緩解します。完全に全身が緩解するまで、夏ならば2〜3日」「冬ならば4〜7日かかります」

 では食肉について科学的な解説はないかと探していると、岡山大農学部に日本獣医畜産大畜産食品工学科肉学教室による連載「今さら聞けない肉の常識」が掲示されていた。60回に及ぶテーマは多彩ながら、今回は第7〜9回がポイント。

 死後硬直は筋肉で起きる変化であり、筋肉が多い男性は女性より硬直の度合いが強いことになる。「食肉となる筋肉は骨格筋で,これを電子顕微鏡でみると,筋原線維が2種類の線維,すなわちアクチンとよばれる細い線維とミオシンとよばれる太い線維からできていて,実に規則正しく配列している」。アクチンはミオシンの間に入り込んで収縮時には、きゅっと引っ張る。弛緩時には離す。

 収縮・弛緩反応の引き金になるのがカルシウムイオンの登場であり、縮んだ仕掛けを緩めるエネルギー源がATP(アデノシントライフォスフェート)である。生体が死んでしばらくするとATPの補給はなくなり、逆にカルシウムイオンが貯蔵器官から流出、筋細胞にあふれて収縮一辺倒になる。つまり、死後硬直が始まる。

 この時、肉はこうなるそうだ。「死後硬直時の筋肉は,すべてのミオシンがアクチンと結合した硬直複合体を形成しているため非常に硬くなります。その上硬直時の筋肉はpHが最も酸性になっていて保水性が悪いため食肉としては不適当な状態にあります。煮ても焼いても食えないとはこういう状態の肉の表現にぴったりではないでしょうか」

 しかし、いつまでも硬いままではいられない。やがて組織の小片化や脆弱化が起きて食用に適した軟らかさになる。いわゆる「熟成」であり、腐敗とは別の化学変化と捉えた方が良い。「熟成に要する時間は,死後硬直に至るまでの時間と同様に,諸々の要因の影響を受けます。5℃に貯蔵した場合,牛肉では8〜10日,豚肉では4〜6日,鶏肉では1/2〜1日となります」

 ここに至って、朝絞め地鶏が食べ頃なのは納得できた。冒頭の焼き肉はどうだろう。死後硬直に入る前に食べる可能性が残されているものの「食肉店店頭の肉は,包丁で切ることも,スライサーでスライスすることもできますが,と畜後しばらくの間は,一定の形,大きさに揃えて切ることは非常に困難です」と解説されているように、全くありそうにない。筋肉質でない内臓、いわゆるホルモンは新鮮なほど美味しいことが知られているから、その説明と混同したと考えるしかないだろう。(次項「活魚ブームと生き絞め・生け絞め」へ)


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