東電事件でエネルギー政策は破綻へ(20021107)

 もはや「東電不正事件」と呼ぶしかなくなった。東京電力の原子力発電所で多数の異常隠しがあった「不祥事」から発展、10月25日に福島第一原発1号機定期検査で格納容器の気密試験に偽装工作があったと断定された。経済産業省原子力安全・保安院は極めて悪質と、原子炉等規制法に基づき1年間の原子炉停止処分にする方針。1991年と92年の定検での不正であり、電気事業法違反(定期検査妨害)は既に時効、刑事告発はしない。しかし、停止処分で済ませる問題と経済産業省が考えているとしたら、大きな錯誤である。安全確保への信頼が完全に失われた以上、原発は新規に造れなくなった――そこまで踏み込んで、信頼回復には何をすべきか懸命に考えるべきだ。停止による損失200億円は、結局は利用者の国民が負担する。それよりもエネルギー政策の破綻が目の前に見えてきているではないか。

 異常隠しから始まった東電事件で一貫しているのは、誰が何故どうして、そんな行動をしたのか、全く説明されない点である。「これくらいの傷なら問題は少ないと考えたのでは」と言われるだけ。当事者は現在では反省しています――そうですか。このオブラートに包まれた感覚は、北朝鮮による拉致事件と同じである。

 北朝鮮は責任者である誰それを処罰したと日本側に通告したものの、どの幹部レベルまでが関係していたのか、その人物像、どう処罰されて、今どうしているのか示さない。特務機関関係者だから、ひょっとすると特別休暇でももらって、のんびり別荘暮らしでもしているかもしれない。そう勘ぐりたくなる。

 東電の場合、異常隠し段階の社内調査は個人名を明かさないとの前提で進められた。だから当事者は特定の個人ではなく、現在でも「無用に原発を止めて会社に損害を与えたくなかった、会社思いの一群の社員」なのである。刑事罰がある事件を起こした現在でも、そこから脱していない。

 もしも時効になっていないなら司直が強制捜査に入る事件。起訴され有罪になれば当然、懲戒解雇が待つ。日本ハムの牛肉偽装事件と何ら変わらない。電気事業法のような法律が刑事罰を持つ理由は単純である。勤めている会社の事情を考える以前に、社会の作ったルールを守って下さいね、ということだ。どちらが大事か、はっきりさせるために、国家は刑事罰を科す。時効3年が過ぎたから放置できるのか。今回明らかになったように、法律を破ることを厭わない体質の人たちに、国土の破滅にも繋がる原発の安全を委託できるはずがない。

 監督するはずの原子力安全・保安院からも、今回、笑い出しそうになるコメントが出た。日経新聞によると、梶田直揮・原子力発電検査課長は「そもそも現在の検査手法は、意図的な偽装工作を想定していない」と述べた。では、いったい何を検査に行っていたのか。接待付き「ご確認」役など国民は期待していない。あらゆる検査は「ザル」だったと自白したのと同じだ。

 何を勘違いしているのか、格納容器の気密試験だけが問題であるかのごときコメントもある。あの不正があった以上、あらゆる安全確認に国民は不信・不安を持たざるを得ない。全ての不信の払拭、それを担保する役所が原子力安全・保安院であることを自ら忘れているかのよう。信義誠実の原則「信義則」が失われた今、原発はご免だと思わないのは、あなた方だけではないか。

 私も原子力を論じるとき、出来ることはしているとの前提で検討してきた。手抜き自由ならば、検討自体が無意味である。原発トラブル発生は90年代に入って際だって少なくなった。品質管理手法QCを活用するなどした成果だと思ってきたが、偽装工作の結果だとみることも出来る。福島第一1号機の格納容器気密試験だけにしか、不正がなかったと証明するのは、もはや不可能である。(次項へ)


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