大学と小泉改革:担い手不在の不幸(20020317)

 小泉改革は底割れしてしまったかに見える。内閣支持率の急落だけ捉えて、したり顔で言うつもりはない。田中真紀子外相の更迭にまで至った外務省改革の挫折は、小泉純一郎首相が一本釣りで選んだ閣僚に能力がなかったばかりか、改革さるべき現場にも改革の担い手が不在という二重の不幸を明らかにした。首相は「民間でできることは民間に」など唱えるスローガンは上手に響くものの、個別中身の専門的な吟味は出来ていない。その典型例を独立行政法人化に向けて動いている国立大学改革で考察したい。反対にしか道を見いだせない大学人と、かつては拒んでいた独立行政法人化が今や万能のように言い立てる文部科学省。この二つしか行く道は無いのだろうか。

 独立行政法人化を巡っては当初の公務員身分案から、非公務員身分での移行が検討されていて、大学人の間に危機感が募っている。東大など28大学の教職員組合は委員長連名で2月20日、文部科学省調査検討会議あてに「国立大学職員の『非公務員化』に反対する」要請を出した。その中の「公務員身分は『学問の自由』を保障するためにも必要である」には唖然とさせられた。

 大学の皆さんは「文部科学省の意向ばかり報道して、マスメディアは自分たちの意見は取り上げてくれない」と被害妄想に陥っているように拝見する。しかし、「学問の自由」を唱えて世間に訴える記事になると真剣に考えているのなら、考え違いだと申し上げるしかない。「学問の自由」の名の下に、国立大ではさして効率的な研究も教育もされず、自己チェックもなく、国際水準から遠い存在と化してしまったと、世間一般の人たちは感じているのだから。

 ここで「学問の自由」だけを唱えるのは、「自分たちは変わりたくない」と言っているのに等しい。「自分たちはこう変わるのだ」と具体的な主張で裏打ちされずにいて、冷たい目を向ける社会の理解が得られようか。

 NHKインターネット・ディベート「“構造改革”で大学はどうなる?〜遠山文部科学大臣に問う〜」。「再編・統合について」の項にある遠山発言「自主性を尊重するという趣旨でこれまで改革を進めてきている。大学設置基準を大幅に緩和し、自分たちでカリキュラム作成、流動性を促してきた。しかし、それが実際に実行に移されない」に、文部官僚としてキャリアを重ねてきた、この人の本音が見える。

 大学人の自主性に任せては、結局のところどうやっても動かないのだから、今度という今度は首に縄を付けてでも文部科学省が引きずり回すしかない――小泉首相から、どやしつけられて、遠山文部科学相はそう観念した――現在、進行している事態はそう理解して良いだろう。とすれば、「学問の自由」を掲げて何も変えないつもりの大学人の態度は、文部科学省からはサボタージュにしか見えないはずである。 (次項へ)


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