消費者側も変化していないか
例えば音質へのこだわりが消費する側で薄らいでいるのではないかと、前々から感じるところがあった。今度、同じ数千円クラスのイヤホンをいくつも比較して、現在、消費の主体である若い世代は、そんなに音にこだわっていないとの思いを強くした。
現在、日本のものづくりで世界と差を付けている一番手はデジタルカメラだろう。かつてビデオデッキVTRの主要部品が国内でしか生産できないことを梃子(てこ)に事実上の独占を続けたように、世界需要をほぼ賄っている。(VTRなどの経緯は私のVTR・DVD首座交替とEMS台頭にみる,物作り王国変貌(20001225)を見ていただきたい)
携帯電話そのものは決して国内勢優位ではないが、デジカメを搭載することで海外でも売れ始めている。私もカメラ付き、しかもムービー撮影可能なケータイを手にしている。友人のケータイにも触り、このサイズまで小型化し、この価格でよくここまでと思う一方、練り込みの足りなさ、コンテンツの幼さ、ちゃらちゃらした感じに、マニアックとも言えた物作り志向の変質を感じた。これまで高機能・高品質を求め、お金を惜しまぬ消費者側の、良い意味でのオタク性と相まって、欧米では発展しえない製品を生み出し続けてきた。この仕掛けは長く続かないかもしれない。どうやら消費者も変わったのだ。
政策の流れを見よう。小渕内閣時代の「第1回ものづくり懇談会議事概要」にこうある。「国内では若い技術者も居なくなっている。先日、シンガポールの工場を見学したが、そこではプラスチックの金型を作っていた。日本では、手で最後の感触を確認しなければならないような精緻な金型を作れる人は60代の人のみであり若い人にはおらず、シンガポールの人に頼むしかないんだそうである」「85年を境に元気な中小企業は居なくなった。40代より下の世代において、まともな技能工は育っていない。工業高校の位置付けが低い。偏差値でも下の方であるし、卒業しても製造業に就職するのは2割位である」
この論議の延長だろうか。今年度の「ものづくり白書」概要は「第3節ものづくり労働者の育成のための環境整備」で「ものづくり若年者の育成」をうたい、工業高校や地域でのものづくり人材の育成を言う。大学改革・国立大学法人化も同じ流れに位置づけられ「高等専門学校や大学の理工系学部などにおいて、科学技術の高度化や産業構造の変化など社会のニーズにも対応しつつ、創造的な理工系人材の育成に向けた教育実践的なものづくり教育を実施」するそうだ。
結局のところ「昔のように戻りたい」との発想でしかないと見受ける。しかし、ゲームソフト開発でなら世界に通用しているように、若い世代は3次元の物体を扱うより、2次元空間、あるいはバーチャルな空間の方が得手らしい。最近改めて認識し直す機会があった。この夏、ヒットした映画「マトリックスリローデッド」には、最初にヒットした「マトリックス」と間をつなぐ九つのエピソードからなるアニメ作品「アニマトリックス」がある。ウォシャウスキー兄弟らが日本のアニメ・クリエーター達を起用している。アイデアをぶつけ合い、原作のイメージから膨らませて創作し、人類と機械(ロボット)の「未来史」などが語られる。才気と完成度に驚かれるだろう。
油にまみれる仕事の大事さを説くのも結構だが、現実に国内で決定的に人が足りない分野はソフトウエア開発である。今後も深刻さは増すばかりだ。私の新聞社の例では、組み版機のソフト改善を注文する会議で、請け負うソフト会社の背後にインド人の技術者グループが陣取ったもの。ソフト会社担当者は出された注文の詳細をインド人側に説明して、見積もりを聞き出し、元のテーブルに戻って答えるという有り様。
国内の大学がソフトウエア技術者の養成で、国際レベルから完全に取り残された結果だ。いま若い世代に油まみれを押しつけるより、教育方法を根本的に改めてソフトウエアに向ける方がはるかに現実的ではないか。油まみれを含め理工系の職業には、銀行・商社などに比べ遙かに低い報酬しか与えて来なかった日本の現状をそのままにして、若い世代に納得してもらえるはずもない。もちろん、現在の大学でされているソフトウエア教育はお話にならない。何を育てるのか、教官自身が分かっていない。
半導体技術に頂点が見えた今(20020415)の後半に関係する問題意識を書いた。情報教育について書いたものを再び掲げると――中学「情報基礎」の悪しき発展形が、高校「情報」になってしまった。文部科学省の頭には中学「情報基礎」が失敗であるとの認識は無いのだろう。この間にインターネットが登場していることすら小さなエピソードに過ぎず、眼中にないかのよう――これだから昔に戻る発想しか出来ない。(了)
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