第80回「ヒトゲノム研究での異邦人・日本」

 正月休み明け早々、科学技術に関心を持つ者にはショッキングなニュースが飛び込んできた。1月10日に米Celera社が「2000年夏までにヒト・ゲノムのDNA塩基配列解析を終了する」と発表した。ゲノムとは遺伝子の総体であり、既に90%は読み終わっているとも述べている。同社をはじめとした米国ベンチャーが、遺伝子特許を求めてヒトゲノムの解析に参入した結果、約10万個あるとみられるヒト遺伝子情報を読み終わるゴールはどんどん早まり、当初の2005年から2003年に、そしてついには2000年になってしまった。この競争激化に、この国の生命科学は呆然とし、ようやく体勢を立て直そうとしている段階にすぎない。

◆転換する生命科学局面〜根こそぎの力技

 遺伝子の話題について関心は高まっており、実に多数のウェブがある。その中で、入門と現状把握をいっぺんでこなすのが、松原謙一さんの講演『ヒトゲノム解析の最新動向』だろう。国内で、いや世界的にも草分けと言える方で、解析をすべて人手に頼っていた十数年は昼御飯のために食堂に行く時間も惜しまれ、阪大の細胞工学センターでハンバーガーをかじりながらインタビューしたことを思い出す。科学の多方面に通じた松原さんの明晰さは相変わらずである。

 遺伝子全解析と言うと、哲学のように高等過ぎて、無縁に感じられやすい。まず、なぜ遺伝子を全部読みだそうとしているのだろうか。

 「例えばガンを例に取ってみますと、一つ一つの遺伝子を攻めていっても研究はいつも中途半端になってしまうということはもはや常識です。少なくとも4つ以上の遺伝子が狂ってしまわなければ人間の体はガンにならない、様々な防御力を備えているうえに、それらがどう変化するとどうなるかという“下流”への影響で、とてもたくさんの遺伝子の働きが変わってくるからです」

 「調べれば調べるほど新しい遺伝子が次々と登場してきます。そこでこのさい、10万個全ての遺伝子を調べ、もうこれ以上遺伝子に関して調べることはないという状態から出発して、問題をもっと合理的に研究しようという提案が出てきました。1980年代の終わり頃のことです」

 問題意識は実に学問的なものだった。そして、あまりにも手間の掛かる、欲得ずくで出来る仕事ではないと思われた。松原さんのような人材がこんなにも時間を注ぐのは惜しいと、私も考えていた。しかし、ベンチャー企業の参入で状況が一変してしまう。

 「リュウマチや糖尿病や循環器系の疾患などは、研究が困難でしたが、ゲノム的なアプローチで、その原因の遺伝子を採ることが出来るのではないかと考えられています」「ゲノムの解析手法を使って、原因の遺伝子に迫れるのではないかというわけです。これらはアカデミーの分野と共に、ベンチャーの仕事になっています」「大きな製薬企業は最先端」「ベンチャーに絶えず注意して少しでも展開があればすぐ資本提携、合併、買収などに動くようです」

 手作業だった解析は高性能ロボットに取って代わられ、それを何百台も並べてフル稼働させるベンチャーが現れた。遠い先のように思われた全解析がもう実現してしまう。日本は欧米に遅れて98年から、何分の一かの予算で追随することになった。

 当面の騒ぎだけでなく、新世紀への生命科学研究の道筋を、松原さんはこう述べている。

 「文字配列を調べていくうちに、その中に誰も研究したことのない遺伝子がたくさんあることが分かり、それらの機能を調べねばらななくなった」「例えば酵母は、昔からパンや酒を作るのによく使われ、その遺伝的な解析もやり尽くされていると思われていたのですが、酵母のゲノムDNAを1400万文字全部読んでみると、その中の3分の1ほどの遺伝子は新規で、何をするのか分からないものだったのです」

 「21世紀の初頭になると、人間についてだけでなくそれ以外の主な生物について遺伝子の性格が全て分かり、その指令する蛋白の機能が記載されて、それぞれの遺伝子の働きを制御する情報が揃えられている状況ができているだろう」

 「ゲノムに担われた情報の一部を変化させると、細胞あるいは個体にどういう変化がもたらされるか予見ができるようになると考えられます。ごく簡単な生命は、試験管の中で再構築する可能性も出てくるのではないでしょうか」

 松原さんのような明晰な人材が中央にいて研究予算の世界を仕切るようであれば、この国の生命科学も道が違っていたかもしれない。私はある時、そう夢想したが、実際にそんなことがあろうはずもなく、科学技術の各分野ごとの「枠」、そのまた中での「枠」は固定的で、この国では戦略的投資はほとんどされず、前例踏襲主義が変わることなく続いてきた。

◆機能解析競争はこれからだが見通しは暗い

 産業界が国家産業技術戦略検討会に報告するために99年末にまとめた「バイオ産業技術戦略」を読んでいると、悲痛な感じさえする。日本はもはや米国から見て、圏外のアウトサイダー、生命科学の異邦人である。

 「米国の報告書の中で我が国のバイオテクノロジー産業に対する評価は、80年代始めに『最も手強い競争相手』として捉えられていた」「伝統的な味噌や醤油の製造から連綿と続いてきた発酵工業などの技術基盤が強固であり、近い将来必ず台頭するであろうと予測し、米国がバイオテクノロジーの開発競争において優位を保つためには、これに対抗して実用分野への研究投資を充実、応用分野の技術者の育成等を強力に推し進める必要があると指摘している」「90年代に入り、我が国に対する評価は『生命科学分野において何ら脅威ではない、プレーヤーですらない』と一変した」

 まず、人材の比較。「米国と日本の大学における生物学の学位取得者(1996年)を比較すると、学士では米国62,081人に対して日本では30分の1の1,875人、博士では米国5,723人に対して30分の1の192人と著しく少ない」

 研究開発費の比較は「米国では、『小さな政府』を標榜する中にあっても、『情報技術』に次ぐ戦略分野としてバイオテクノロジーを含む生命科学に重点的に取り組んでいる。1998年における生命科学分野研究への政府の投資(推定)は米国では約2兆円に対して日本では4分の1の約5,000億円」という有り様である。民間会社を比べても、国内製薬各社は関心が薄かった。

 ゲノムの文字解析が済んだとしても、それが直ちに特許にはならない。特許庁による「DNA断片の特許性に関する三極特許庁比較研究について」の結論を見よう。

 「機能や特定の断言された有用性の示唆のないDNA断片は、特許が受けられる発明でない」「例えば特別の病気の診断薬としての使用等、特別の有用性が開示されたDNA断片は、他に拒絶理由が存在しない限り特許可能な発明である」

 これからは、読み出された10万個の遺伝子がどんな機能を持つのか解明した者の勝ちなのだ。特定の遺伝子だけ働く状態にして機能を調べるなど、新しい手法はある。まだまだ勝負は先ではないか。しかし、そう楽観的に言えぬほど、彼我の基盤に既に大差がついていることを、私は神戸大学長をされている西塚泰美(やすとみ)さんの研究を通じて知っている。

 西塚さんは、細胞に外部からの情報を伝える物質「蛋白質リン酸化酵素C」(プロテインキナーゼC)の発見者である。この仕事は、80年代に何度も、世界で年間に最も多数の研究論文に引用されることになった。当時見つかったエイズ以上の関心が払われた。実際、この酵素は体内のあらゆる細胞で様々な機能を担っていた。

 引用した海外の学者からは論文が山のように送られてきた。引用した相手と直接コンタクトしたいと考えるのが欧米流で、それにしても国内の反応が薄いのが気になった。やがて研究室に何度もお邪魔していた私にも事態が理解できるようになった。欧米の研究者は人まねを嫌がる。自分だけのオリジナルな実験系を作ることに生き甲斐を感じる。国内の研究者が欧米の流行を輸入して飛びつきやすいのと対照的である。当面は有用かどうか明らかでない、いや毒物が関与したりして実用に遠いような実験系でも、その研究室にしかない存在として誇る。だから、非常に広範囲に機能する新酵素が現れると、直ちにその実験系での役割が明らかに出来る。驚くほどの論文が寄せられた背景はこうだった。

 もう何が言いたいか、察していただけよう。新しい遺伝子が知られたら、それが作るタンパク質の機能を飼っている実験系で調べれば、関係の機能があるものなら容易に割り出せる。欧米の研究室には、そうしたオリジナルな実験系が膨大に蓄積されている。翻って国内には乏しい。特許化競争には、最初から大きなハンディがある。

 ヒト遺伝子の機能を割り出して特許化されると、他国は特許料を払わねば使えなくなる。医療の在り方そのもの、あるいは一国の医療費総額を左右することになりかねない。この連載第72回「遺伝子を資源化するクローン技術」でも触れたが、この局面でも高級和牛をクローン増産しようとする研究ばかりが目立ち、重大な仕事のように取り上げ続けるマスメディアに、私はあきれている。

 ゲノム研究関連で、良いリンク集があったので紹介しておく。「GenomicPort」である。

◆酒豪の遺伝と原日本人集団の壮大な旅

 遺伝子はヒト全体として研究するだけでなく、個々人ごとの差も非常に大きな意味がある。例えば、ある病気になる遺伝子を持っているかどうか、調べると有用だ。従来は手間の掛かる方法しかなかったが、最近、DNAチップと呼ぶ10倍も高速に割り出す手法が開発され、こうした応用分野では国内勢も活躍している。http://biotech.nikkeibp.co.jp/SENMON/DNACHIP/index.htmlを専門の情報サイトとして挙げる。

 ここでは、今回少し難しい話をし過ぎたので、個人差の例として、注目されているお酒に「強い・弱い」遺伝子の話をしたい。筑波大社会医学系の原田勝二さんらが調べている仕事で、最近、マスコミに何度も登場している。

 おもしろい遺伝子をいろいろ紹介しているページ「遺伝子名鑑」の「アルコールに強い遺伝子と弱い遺伝子」を見ていただくと良い。アルコールを分解していく過程でできるアセトアルデヒドがポイントになる。アセトアルデヒドは非常に不快な気持ちにさせる作用があり、これがお酒に弱い原因である。一方、アルデヒド脱水酵素(ALDH)がどんどん酢酸に変えていく人はお酒に強い。この酵素が一部、不活性になる遺伝子を持つ人が黄色人種に存在している。日本人もその仲間だ。

 しかし、日本人にもお酒に強い人もいるではないか。原田さんたちが調べるとこの不活性の遺伝子分布には地域差があり、東北や南九州に少なく、この地方はお酒の消費量も多い。連載第7回「縄文の人々と日本人の起源」で紹介したとおり、これは縄文人の血が濃い地域と重なる。日本人のうちで、縄文系の血が濃いと酒豪型になり、弥生系が強いと中国人や韓国人と共通で酵素不活性になるようだ。

 原田さんがテレビ番組のページ「お酒の適量知ってる?」に出している地図が興味深い。オーストラリアやアメリカの先住民も、お酒に強いタイプである。

 縄文人は成人T細胞白血病ウイルス(ATLVともエイズウイルスに近いためHTLV-1とも表記)を母子感染を通して集団内に持ち続けることも、連載第7回に書いた。「成人T細胞白血病について」にもあるように、このウイルスは南西日本や離島に感染者が多い。アメリカではカリブ海周辺などに同じウイルスを持つ先住民集団がいて、最近、両者のウイルスは遺伝子的に同一と考えられるようになった。

 そして、この国の南ではオーストラリア先住民やパプアニューギニアの一部住民が、このウイルスの感染集団である。

 失われた輪をつなぎ合わせていくと、原日本人の集団は原オーストラリア大陸付近から出発し、日本海が形成される前の日本付近を通り、アラスカを経て、太平洋のまわりを4分の3周したとのストーリーが浮かび上がってくる。凶暴なエイズウイルスと違い、このウイルスによる白血病発病率は極めて低く、感染集団を滅ぼしたりしないから長く長くいっしょにいられる。

 壮大な旅があったのは過去1、2万年の間であろう。人類の誕生から300万年。このウイルスをたどれば、それが語るルーツの物語はさらに遠い過去にも続きそうで、アフリカの黒人にも分布していることが知られている。