団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第90回「パラパラ・エイサー・鳴子踊り」 (2000/09/07)

 「パラパラ」が若い人の間でまた流行している。クラブやディスコでの、このタイプの集団踊りは日本の若者に特有の現象だ。8月半ばに受け取ったメールマガジン「The新語メール『ちぇげらう』」はそれを取り上げていて、読んでいると、そうかと氷解するものがあった。「パラパラ」の8/16号にある「読者 眼」によると、平たく言って「あれはテンポの速い盆踊りだ」と見る人がかなりいる。私には最近もう二つ、気になってならない踊りがある。沖縄の「エイサー」と高知の「よさこい鳴子踊り」である。いずれも「お盆」の習俗から発しながら、原地域の範囲を抜け出して各地の若者の熱気を吸い、広まっている。三つを併せ読み解くストーリーがあるに違いない。

◆閉塞を破ってきた踊りの力、「踊り狂」

 社会現象としての踊りが史上最も強烈な力を発揮したのは、幕末1867年の「ええじゃないか」騒動だろう。

 その年の8月も終わり、愛知県で空から伊勢神宮のお札が降ってきたことをきっかけに、「ええじゃないか、ええじゃないか」と唱えながら群衆が踊り出す。男は女装、女は男装をし、笛、太鼓、三味線を鳴らして、金持ちや庄屋の家に上がり込む。そこで無礼講ざんまい、金品を放り出す。役人が止めて止まるものではない。「ええじゃないか」騒動の勢いは、たちまち近畿一円さらに江戸から中、四国地方まで広がった。

 伊勢神宮のお札が降ってくる現象は、江戸時代に何度となくあった。そして、それまではお札が降れば、後で述べる「お蔭参り(おかげまいり)」が起きて群衆は伊勢神宮に向かった。幕末にも伊勢神宮に向かった人もいたが、多くは地元での集団踊りとなり、各地に伝播していった点が特異だ。もちろん、自然現象としてお札が降ってこようはずもなく、伊勢神宮の関係者などにお札をまく人がいたことになる。

 徳島で見られた「ええじゃないか」の姿が、挿し絵として「文明開化期」に載っている。「ええじゃないか」騒動は翌68年までとする史書が多いが、これによると、新政府の誕生を祝って一部の地方では踊り続けられたようだ。

 明治維新直前の、閉塞した不安な時期に発生した、この踊り・騒動が「世直し」の性格を持っていたことは確かだ。その後の歴史の文脈の中でどう位置づけられるかはここでは問題にしないで、「ええじゃないか」の発生を過去にさかのぼりたい。

 「お蔭参り」は、江戸時代を通じて繰り返された、伊勢神宮への集団参宮のことだ。当時の人口は3000万人ほどなのに、その1割、ときには400万人を超える大群衆が参加したのが、1705年と1771年、そして1830年である。「抜けまいり」と称して、家族に内緒で伊勢に向かう人々。その道中は無銭飲食もできた。四国八十八カ所の巡礼者を接待するように、施しがあったからだ。

 伊勢神宮は天皇が護持する国家神だったが、定期的に遷宮を繰り返すための財力を朝廷から武士に依存し替える過程で、大衆の「大神」になった。封建制度の下であえいでいた民は、伊勢参りのときだけは例外的な扱いを受けられたといえる。

 「ええじゃないか」直前の1830年お蔭参りは、徳島城下から発生した。国学者の観察記録が、奈良女子大の公開古文書に読める。

 「ことしやよひの半すぐる比より。阿波国の人々百千萬とかぞへもあへず。いやまうでにまうづるをはしめにて。今はおほくの国々みさかりにまうづと。まさめに見もきゝもして。老人のもの語。ふみのかたはしなど。おもひよそへられつゝ。いとめづらしき事どもなりかし」

 代表的な盆踊りである阿波踊りは既に成熟していた。お盆の時期には徳島城下の風紀が乱れて困ると、藩財政が悪化して権威が失われつつあった徳島藩は本格的な取り締まりに入っていた。お蔭参りで参宮した阿波の人々が、思う存分に踊って帰ったことは容易に想像できる。それも大きな影響を残して。

 「民衆発露とコミュニケーションの回路―想像の共同体意識と幕末おどり狂―」によると、最初の伊勢踊りは幕府成立直後に見られ、家康による禁令でおさまったようだが、1830年の伊勢踊りは少し違っていた。

 「一八三〇年の記録では、参宮から帰ってきてもそれを契機に、村々で『伊勢踊り』または『御蔭踊り』と呼ばれるおどりが始まる、引き続き二ヶ月、三ヶ月たっても踊り続ける。参宮に行かなくても、村で伊勢踊りを起こし、また村人こぞって踊るという地域も見られる」

 「村送りの形式で、災疫除去をする」風習「掛け踊り」について、柳田国男の「甲の村から乙の村へ踊りを掛けた時、乙では急遽に踊の組を作って甲の村へ掛け返すばかりで無く、新たに丙の村に向かって踊りを掛け、丙は丁へ丁は戌へと先から先へ掛けていくことがむしろ普通であつたと思う」を引用しながら筆者伊藤明己さんは、さらに次のように続ける。

 「おどり狂と呼ばれる現象には、必ずこの『掛け踊り』方式が伴い、この村から村へと送ってゆく現象が次から次へと広まり、次第に爆発的に流行することになると考えられる」

 キリスト教が支配した欧州では、こうした自然発生的な踊りは邪教・異教として禁じられた。「日本のものは、民衆の宗教的思考がそのまま踊り狂となっている。力としてのおどりに何かを託し、それが華麗になり、盛大になり、激しくなり、群衆となり」「それは効果のある祭となり、鎮魂となる」

◆若者たちの心をつかむもの

 「ええじゃないか」の伏線になった阿波踊りは、現在でも観光行事として隆盛を極めている。しかし、地元の若者のエネルギーを存分に発散させる踊りではなくなっているように見受ける。

 現在の上品な踊りと違い、明治には女性が太股も顕わにして踊った。それは風紀を乱すと規制され、昭和初期にあった若者の試みは「“ジャズ踊り”は排除」と、観光協会が押し切り、「純化」に努めた。

 よさこい鳴子踊りは戦後生まれの踊りで、隣県徳島に対抗しようとして出来た。1970年代からサンバ調も許すなど独自の発展をし、90年代になって各地に飛び火した。鳴子を持つ共通点さえあれば、自由な振り付け・衣装、音楽編集を許すため、95年頃から急速に全国に広まり、各地の伝統の祭り・踊りを再興するカンフル剤になっている。

 動員規模は182万人と本家以上になった札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」が生まれたのが92年。今年2回目の「にっぽんど真ん中祭り」は名古屋で観客80万人を動員したという。「よさこい全国大会」に全国各地で行われている祭りのマップがある。

 動画や音楽がなくて物足りないものの、本家の「よさこいギャラリー2000」で、はじけるような笑顔や華麗な所作に出会える。凝りにこった振り付けを毎年取り替えるチームが多く、ストリートダンス風の要素もどんどん入っている。参加者も振り付け師も若者が多い。

 エイサーは基本的に盆踊りだが、古い共同体から外に踏み出しつつある。8月に沖縄市である全島エイサー大会は、参加者1万人、観客20万人以上の祭りだ。関東や関西でエイサーチームが生まれ、最近いろいろなイベントに参加するのを見るようになった。

 首都圏の町田市で、この9月17日「第一回町田エイサーまつり」が開かれる。なぜ、町田でなのか。「町田市と沖縄の関係」に福祉関係で交流を重ねるうち、全島エイサー大会を訪れて「初めて生のエイサーに触れた町田の人達は、その勇壮な演舞に見とれ、感動し、『何とか町田のイベントに呼べないだろうか?』と町田に戻り次第各方面に連絡を取った」とある。毎年招いているうちに、自分のたちのエイサーチームが生まれたのだ。

 CDからの音楽だけ、さわりならば「園田エイサー」などで聞ける。

 沖縄県立芸大の久万田晋さんは、エッセイ「落ち穂」でエイサーについてこう書いている。

 「昨今は地域共同体から離れたエイサー活動がめざましい。各種エイサー大会や市町村祭り、イベントにも小学生や婦人会のエイサー団体が盛んに出演する。またクラブチーム型の団体も都市部を中心に続々と登場している」「もともとエイサーのなかった宮古八重山や奄美、そして沖縄出身者によって東京や大阪、ハワイ、アメリカ、南米にまで飛び火している」

 「エイサーを伝統的な村落共同体で育まれた『民俗芸能』としてではなく、沖縄のエスニシティー(民族性)を積極的に主張する『民族芸能』として捉えてゆく視点である。今やエイサーは、沖縄が自らの『沖縄らしさ』を主体的に表現する、最も強力な文化運動なのである」 

 そうしたエイサーを本土側、しかも東京が受容する。そこには、若者が共感できる、本物の自分たちの音楽・踊りがあるのか、という問題と関係していると考えられる。明治政府は文明開化の名の下に古い習俗を追放しようとした。繰り返し盆踊り禁止令を出し、都市部では本当に死んでしまっていた。

 日本ポピュラー音楽学会第8回全国大会(1996年)のワークショップ「グローバリゼーションのなかの日本」で、報告「日本のヒップ・ホップ:『真似だけじゃないのか』」が紹介されている。日本のヒップ・ホップ文化について「ブロンクスの黒人たちが身の回りの社会問題をラップするように、日本のアンダーグラウンド・ラッパーたちもラップというスタイルを借りて学歴社会や芸能界などに意義申し立てを行なうのである」という。確かにそうなのだが、若者の血の騒ぎに応えきれるものだろうか。

 さて、パラパラは1980年代半ばに「竹の子族」世代が生み出したが、言葉として存在する、言い換えると「社会的に存在する」ようになったのは、第2次ブームである1993、94年からだ。エイサーや鳴子踊りの拡大と同時期とみてよかろう。この国が陥っている閉塞感が若者に作用して、閉じこもっていられないと感じる者、皆がそれぞれのいる場所で出来ることをしている感じがする。共同体やチームを作れる場所か、孤立した個人かで行動が違うだけだ。

 ネット上で実物を見たければ「パラパラ2000」にQuickTimeムービーがある。盆踊りかどうか、見て納得してもらいたい。下半身の動きは少なく、上半身の振り付けは複雑だ。無表情な場合が多い。欧米では宗教色を禁じられた集団の踊りは、遊びのフォークダンスとなり、舞踏会の踊りへと発展する。パラパラはどちらに似ていると、あなたは感じるか。



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