第102回「大リーグとの『垣根』は消滅した」
◆イチローと新庄、その現在と共通点と
この原稿を書いている4月25日現在で、イチローはニューヨーク・ヤンキースとの初戦で20試合目出場になり、93打数33安打の打率「3割5分4厘」とアメリカンリーグ打率ベスト10入り。新庄はミルウォーキー・ブリュワーズ戦までで15試合出場「2割6分3厘」と伝えられている。細かい数字はメディアによって少々違うが、所詮は途中経過なので気にしないことにしよう。
この数字の意味をあなたはどう見るか。「イチローvs新庄、あえて徹底比較」という便利なページがある。そこでは日本国内で残した平均打率はイチローが「3割5分3厘」、新庄が「2割4分9厘」である。何のことはない、この二人、日本国内と同じペースで頑張っているだけのことである。大リーグは日本よりも試合数が多く、まだ消化は8分の1ほどだが、彼ら二人のしていることが異常なテンションの中での特別な出来事とは思わない。
金も名声も捨てて渡米した「宇宙人」新庄の方に、あるいは別の思い入れがあるかもしれない。国内でも意気に感じてしまうタイプだった。一挙手一投足をマスコミで伝えられるとすれば、この人は燃えてしまう。新庄について現地がどう見られているのかは「『新庄&イチロー』24時間独占密着レポート」が良いだろう。フォークボールが苦手な新庄は、剛速球勝負が主流のナショナルリーグにおり、その意味でも有利と言われている。
二人、そして佐々木らのの活躍ぶりはネット上、いろいろなところで知れるが、今回あちこち調べた中では、ライコスの「メジャーリーグサイト」がよく整備されているように思えた。日本人大リーガー別にこれまで流れた一連の記事がまとめられているし、打撃20傑などの個人成績や順位表、チーム情報など便利なアイテムがいろいろある。
さて、二人の共通点を考える。イチローに続いて新庄が大リーグ入りすると聞いたとき、納得できるものがあった。前述「徹底比較」にあるとおり、二人とも「ゴールデングラブ賞7回」の好守の人なのだ。いずれも俊足をベースに強い肩を持ち、外野からの好返球で危機的な場面を救うケースが何度もあった。新庄よりもいい打者はいくらもいる。しかし、パワーはあるがドタドタと走る強打者は、大リーグには要らないと言っているのだと理解した。
◆大リーガーも驚かせたスピード、その裏付けは
三塁に滑り込む俊足走者を、右翼からの低い弾道のボールが追い越し、三塁手のグラブに吸い込まれる。三塁手がわずかにグラブを下げれば、そこは滑り込んでくるスパイクの裏側だった。4月11日のアスレチックス戦8回裏でイチローが見せた「捕殺」プレーは何度となく繰り返し放送されているから、ご覧になっている人も多かろう。ゲームの流れを決定的に変えるプレーだった。
これは日本国内以上に米国で繰り返し放送され、話題になっているようだ。マーティ・キーナート氏は「イチロー、メジャー8試合目で伝説となる」で、このプレーの意味を「野球史上10本の指に入る名場面として認められている」名手メイズの背面キャッチ「ザ・キャッチ」と並ぶ「ザ・スロー」と位置づける。チームメートたちも試合後「ザ・スロー」で持ちきりだったという。
「60メートルの閃光が地面から1メートル足らずの高さを走り抜け、ロングを突き刺した」。シアトル・タイムズのボブ・フィンニガン氏による描写はあまりに適切なので、孫引き引用させていただこう。
新庄にイチローと同じボールが投げられるか断言できないが、あの鉄砲肩は近いレベルのプレーを実現するはずだ。話題を呼ぶのは、どちらが先かと私は思ってきた。新庄にも機会は回るはずである。
Number Webにある、奥田秀樹さんの「現地密着レポート『イチロー メジャー戦記』」は現場の雰囲気を知る得難い情報源のひとつだ。その「魅了」はこう伝える。「トータルプレイヤーであるイチローのインパクトは、走攻守全てに現れている。だが、特に衝撃的なのは、守備である」
チームのベテラン投手「モイヤーによると、この10年間でメジャーの野球の質が随分変わったのだそうだ」「『ESPNやCNNのハイライトで、ホームランが野球の全てというような映像が流される。選手はみんなそれに乗ってウエイトトレーニングに励み、筋肉を増やし、バットスピードを速くする。その一方で体が重くなりすぎて、広い外野を守るには動きが鈍くなり、守備への細かい気配りに欠けてしまっているんだ』」
イチローが「ザ・スロー」を実現できたのは、上がった打球に対する素早い判断、俊足を生かした球寄りの早さ、そして、強い強い肩である。パワー全盛の大リーグにスピードで挑む。新庄も基本は変わらない。
スピードの裏付けとなっているイチローの筋肉トレーニング法として、「初動負荷理論」を欠かすことはできない。鳥取に滞在型トレーニング施設「ワールドウイング」を持ち、多数のスポーツ選手の肉体改造を手助けしている小山裕史氏が94年に構築、提唱した。ご本人のウェブは見つけられなかったものの、女性プロボーラーの中谷優子さんが「私のトレーニング法」と「トレーニングに対する多くの誤解と初動負荷理論(トレーニング革命より抜粋)」で、比較的詳しく紹介してくれてい
る。
拾い読みしてみよう。
「トレーニングにおいて、関節の可動範囲や力の発生メカニズムを考えないで『筋力アップ』していても、つまり、ただバーベルを持ち挙げたり、マシーン類を適当に動かしていれば良いといったトレーニングでは大きな効果は期待できません」
「スピードを高めるためには、スピード系のトレーニング種目が必要です。そして、これと相反するようですが、『力は強くなったけれど、スピードはアップしなかった』という現実は、そのベーシックなトレーニング・フォーム、つまり鍛える際の出力形態に問題があることも多いのです」
「筋肉を発達させるテクニックの一つに反復リズムがあります。一般的には『ゆっくり上げて、ゆっくり下ろす』トレーニングが主体とされ、スピードを高めるトレーニングでは最大速度の反復を基調とします」
「従来の、油圧・チューブトレーニング等に代表される終動負荷トレーニングでは、動作の初めから終わりまで一定の負荷がかかるため、うっ血や体がこわばりなどで、競技の動きが鈍くなった経験があると思います。そのことが筋肉が発達しているためのこわばりと誤解して、満足してしまうケースも少なくありません」
初動負荷理論で動作の初期に大きな力をかけ、後は抜けてしまうようにトレーニングすれば、スピードをつけるための最大速度の反復練習が可能になる。終動負荷型と違って疲労による筋肉での乳酸などの発生も少なく、疲労物質除去も容易になるという。「ワールドウイング」ではこのための独特のトレーニングマシンが造られ、イチローも国内で訓練を受けてきたが、4月初めにシアトルにいるイチローのところに新しいマシン・セットが届けられた。
◆日本プロ野球がマイナーリーグ化する日
野球は優れてバランスのスポーツである。イチローの肩を見せられた大リーガーたちは、外野フライが上がってからの三塁タッチアップさえ慎重になっている。これを見てイチロー、新庄のようなスピードを持つ人材を求める球団が増えても不思議ではない。
巨人の松井もまもなくフリーエージェントの資格を得る。単にクリーンアップを打つ触れ込みではなく、走攻守トータルにできる選手として売り込めば、もちろん新庄以上の打撃力を持つのだから引く手あまただろう。今年の新庄の出来が多くの有力選手を大リーグに誘うはずだし、大リーグ側の見方も変えよう。王、長嶋現役時代のような球団への忠誠心を若手選手に期待するのがおかしいし、現実の日本の球団がそれに値するようなモラルの高さを持たないことは知れ渡っている。
また、近年の打撃パワーアップによる、あまりの打高投低傾向に、今年からストライクゾーンを見直し、昨年までのベルト付近から、ルール通りに高めまで広くとるようにもなった。「イチロー、拡大ゾーン『高すぎる』」で言われているように、高めいっぱいに時速160キロのボールが来たら、打てと言うのが不可能だ。この連載第92回「新・日本人大リーガーへの科学的頌歌」で紹介したように、打者の生理的メカニズムで、バットを高速で振れる範囲は個々人ごとに決まっている。イチローの広角打法が科学的なトレーニングで支えられているのは間違いないが、時速150キロまではともかく、160キロもの高めボールに負けないスイングは無理なのだ。
佐々木や野茂には、この見直しは願ってもない。今シーズンの好調ぶりが雄弁に語っている。通常のフォークボールは必ずボールになっしまうが、佐々木のように高めから落ちて低めのストライクゾーンいっぱいに入ってしまう種類のフォークまで持つ投手には、変幻自在の範囲が大きく広がった。これはフォークボール投手以外にも、縦の変化を利用する投手に新たに大リーグで活躍できるチャンスを提供する。
「新・日本人大リーガーへの科学的頌歌」で描いたように、野茂たちは米国投手には少ない高速フォークボールで道を切り開いた。高速スイングする大リーグの世界では、フォークと直球の区別が打者には付かないからだ。今度は、もっと別のタイプの投手にも大リーガーへの道は開かれたと思う。
こうして、野手も投手も日本プロ野球界の最良の部分は雪崩を打って流出し始めるはずだ。佐々木を欠いた横浜、イチローを欠いたオリックス……精彩なく客足も落ちている。巨人もその例外ではなくなるだろう。これについて善悪を論じたり文句を言っても仕方がない。みんなルール通りに動いていることなのだから。
【参照】インターネットで読み解く!「大リーグ」関連エントリー
『10年連続200安打、まだまだ夢は続くイチロー』(2010年)
第427回「マー君の変幻配球、打者ごとに違う攻略法で翻弄」(2014年)