団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第111回「テーマパークの明日と複合現実感」 (2001/11/10)

 今年オープンした、ふたつの大型テーマパークが大変な人気を集めている。3月のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ=大阪。半年余600万人)と9月開業したばかりの東京ディズニーシー(千葉・浦安市)である。日経新聞の訪問者アンケート調査「友人に薦めたいアトラクション」によるとトップはUSJが「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」、ディズニーシーが「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」だ。いずれも有名なヒット映画を翻案した冒険ストーリー。私はまだUSJしか見ていないのだが、伝え聞くだけでもディズニーシーも感じは分かる。「何となく分かる」というのではなく、10年ほど前、科学部にいたころ、人間と機械システムの関係「ヒューマンインターフェース」技術周辺に関心があり、人工現実感(Virtual Reality=VR)の取材もした。当時いろいろな場面で研究者たちが取り組んでいたものが形をとって現れたと思える。それなら、現在までのVR研究を振り返ればテーマパークの明日も見えて来るのではないか。


◆人工現実感は話題にならぬ分、進化していた

 バーチャルリアリティという言葉を耳にしなくなって久しい。単純に立体感だけなら、家庭用ゲーム機の3D機能は、かつての大型コンピューターが束になっても届かないレベルにある。テレビの画面で遊んでいるから今ひとつ判然としないが、超大型画面や視野をすっぽり覆ってしまうヘッドマウンティング式の装置があれば仮想空間に没入してしまえるだろう。

 USJの人気アトラクション「ターミネーター2・3D」は、大型画面が3個も左右に連続して広がり、劇場そのものがすっぽり巨大なヘッドマウンティング式ディスプレイ(HMD)を思わせた。観客は3D眼鏡を掛けているから、空間を物が飛び交い、眼前まで際どく迫ってくる。1985年開催の筑波科学博で見た3D映像の興奮から、いかに遠くまで来てしまったか、感慨深い。

 新技術コミュニケーションズ発行誌「O plus E」(1998年3月号)にある田村秀行さんの「人工現実感から複合現実感へ」が、この間の事情を伝えている。96年に日本バーチャルリアリティ学会が発足するなど研究は活発化し、逆にVRそのものを特別な存在としなくなった。

 「『バーチャル』という言葉がごく当り前に使われるようになった。『バーチャル・カンパニー』『バーチャル・スタジオ』『バーチャル・モール』等々である。かつては,情報処理分野でも『バーチャル・メモリ』くらいしか耳にしなかったから,ほぼすべてVRブーム以降の産物である。いかにコンピュータのパワーがアップし,物理世界を電子的に代行できる対象が増えてきたかが分かる」

 そして、VRの課題は「複合現実感」(Mixed Reality=MR)へと進んだ。現実世界と仮想世界を融合し、現実世界の中にいながら、そこに仮想の物体や人物を登場させ、現実の人と交渉を持たせる。映画でしょっちゅう見る合成ではないか、と思わないで欲しい。

 「いま映像製作業界ではSFX技術としての実写とCGの合成が花盛りである。この場合は,時間をかけて1コマ1コマ手作業で仕上げても構わない。その職人芸こそが腕の見せどころとなっている」

 「MR技術の場合,現実空間と仮想空間の整合は実時間処理であり,かつ融合された複合現実環境とのインタラクションが前提となっている。これはVRから継承してきた条件である。受身で見る映画とは違い,その場で体験できなくてはならない。その上,単なるVR以上のものが求められている」

 この春までの限定運営だったMRシステム研究所の「エム・アール・システムって何ですか? 開発目的は何ですか? 」に、6分間のビデオがある。概観するのに手軽でよい。

 VR研究は、この技術を応用して遠隔地での医療行為ができないか、高放射能汚染下など極限状態に置いた作業ロボットの操縦を可能にしたい――そんな現実との関わりが進む中で、単にコンピューター内部に仮想空間を創造することから、現実世界と交流するように鍛えられていったのである。

 どんなことを試みているのか、具体例を紹介した方が直感的でよかろう。若い人たちの仕事を見よう。「学生対抗手作りバーチャルリアリティコンテスト」が毎年開かれるようになった。その第8回「IVRC 2000」の最終審査で東大工学部ARIELチームが優勝した。テーマは「バーチャルチャンバラ」であり、この報告書は細部まで分かって面白い。

 簡単にというのなら「講評」で間に合わせよう。「HMDを被って古代アリーナに没入し、フライホイールを用いた撃力提示装置つきのデバイスで、AI搭載・ワンスキンアニメーション3DCGの怪人と戦うという作品である」。怪人の姿は本来は戦っている人にしか見えていないが、スクリーンに合成して見物の観衆にも見せている。

 準優勝した奈良先端科学技術大学院大学・戦國チームは、騎馬武者が互いに並走しながら矢を射て戦う。

 新設部門のインタラクティブCGでは、マウスを使って「立体万華鏡」というべき鮮やかな作品を生み出す九州芸術工科大・松永康佑氏の「COSMOS3」が優勝した。この報告書にも実物の作品が見られ興味深い。

 ちょっと毛色は違い、やや幼いものの、長崎ペンギン水族館には、客があらかじめデザインした3Dの魚を3.5×7メートルの巨大画面で泳がせる「参加型VRシアター」がある。この種の展示もインタラクティブCGなどを応用して、意表をつく展開も可能なよう、ひとひねりしたら興奮できるものに仕上げられるはずだ。

 テーマパークで次に現れるのは、現在のように観客全体をひとくくりにしないで、仮想生物・物体とのもっと進んだ個性的な「交渉」であろう。家庭のビデオ・ゲーム機やゲームセンターでは味わえないものを作り出すポテンシャルは、MRの世界にすでに蓄えられつつあるとみた。


◆エンターテインメント消費の構造変動は

 93年に開業した、長崎・佐世保にあるハウステンボスは独自の世界を掲げたテーマパークとして、一時は年間400万人以上の客を集め成功しているかに見えた。今年はその苦境ぶりが顕在化した。私も家族連れで行ったから、旅費も含めてかなりのお金を使って見た。正直な感想は「アトラクションのレベルは筑波科学博段階」だった。東西に出来た新テーマパークとは競えない。ハウステンボスはテーマパークではなく、都市開発だとのポリシーは空回り気味である。

 だからと言って、技術をひけらかすことだけで、例えば最新CG(コンピューターグラフィックス)で映画を作り倒しただけで大衆に喜んでもらえるものでもない。JMR生活総合研究所の「ネット評判記」第31回「映画『ファイナルファンタジー』と『千と千尋の神隠し』の明暗」はシリーズで3100万本を売り、知名度抜群のゲーム「ファイナルファンタジー」が映画化して失敗した問題をモニター調査に基づいて分析している。ゲームファンの劇場動員はとても少なかったという。「ゲーム『ファイナルファンタジー』の世界を映画で表現しようとしたが、そもそもゲームユーザーは自分が参加しながらつくり上げていくゲーム『ファイナルファンタジー』の世界が好きなのであって、それを映画に求めてはいなかった」

 テーマパークでも、人工的な現実感付与だけが万能でないことも、また明らかである。USJの「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」は冒頭に挙げた「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」に迫る人気アトラクション。登場する恐竜たちはそこそこの出来であるが、魅力はそこではないようだ。最後に凶暴なティラノサウルスの襲撃を逃れた後、客を乗せたボートは真っ逆様に湖面に落ちていく。盛大な水しぶきが上がり、ビニルポンチョはかぶっていても、もうびしょぬれ。友達や家族と「わぁー、やられた」と騒いで楽しむものらしい。

 テーマパークも映画もマーケティングの見方で切り取るのが流行のようだ。何か、少し、違う気がする。ハウステンボスのマーケティングも最初は成功していた。

 社会学は随分前から消費のあり方の変容として説明している。「【ソキウス】見識ある市民のための社会学リファレンス」の「記号消費の時代」は「自分を他者と区別する記号としてモノを消費する、記号としてのモノ、ということは、とりもなおなず、消費が一種の言語活動、すなわち一種のコミュニケーションであることを示している」「多くの人びとにとって消費は『商品との対話を通じた一種の自己探求の行動』となっている」「消費者は消費によって一種のアイデンティティ操作をおこなうのである。これがアイデンティティ形成の新しい形といえそうである」と説いている。

 子どもたちがターゲットのディズニーランドはアルコール禁止だったが、ディズニーシーにはお酒を飲める場所がある。人気アトラクションを楽しむために長い行列に並びまくるのもよかろう。あるいは、いくつか回った後は、「ゆっくりグラスを傾けてディズニーシーの雰囲気を楽しんだ」と周囲に言うのがお洒落な事柄になるのかもしれない。

 家庭用ゲーム機のバーチャルリアリティ度を飛び越す魅力を備え、仲間や家族との「交渉」も存在し、同時に個としてスペシャルな体験も可能――高度な消費社会にあるテーマパークの明日は、そこに向かっているはずだ。



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