第113回「中国との明日をどう考えるか」

 中国へ中国へと企業の生産シフトが進んでいる。昨年後半からは浮き足だった印象にすら見える。安い人件費ばかりがクローズアップされているが、半導体大手各社は中国での設計開発体制を強化すると伝えられ、中でも東芝は2003年度中に上海の技術者を40人から1000人に増やす。一般の人件費は日本の20分の1、30分の1とも言われるが、技術者については4分の1で、毎年40万人の理系学卒者が出ていて大量雇用が可能という。対する日本は国内空洞化が心配され、「小泉改革」を掲げながらも、まるで出口が見えない有様だ。「Inner Japan〜新華僑作家「莫邦富」の視点〜喜ぶべきか、それとも悲しむべきか」には「能力のない政治家を飽きもせず首相の椅子に座らせることより、断固として行動を起こす、朱鎔基のようなリーダーを日本の首相にすることが先決だ。それができないなら、中国から貸してもらったらどうだろうか。朱鎔基を」とまで言われている。果たして中国との明日をどう考えるべきなのか、自ら設問してインターネットを読み歩いてみた。


◆中産階級の増大は中国を変えていくが…

 2001年7月21日の「人民網日本語版」は「中国国家情報センターの当局者はこのほど、中国の『中産階級』消費者は向こう5年で2億人になるとの考えを明らかにした」と報じている。中産階級とは年収100万円くらい、日本ならざっと10倍、20倍して1000万、2000万円相当の暮らしぶりと考えたらいいようだ。衣食住の豊かさはもちろん、海外旅行もできる生活。人口12億人の多くがそんな豊かさを目指して動き出し、現実に2億人もがその歩みの中にいて日々に行動している。それこそが中国経済の強さだろう。高度成長期の日本を二つ、三つ束ねたかのよう。

 逆に既に豊かさの中にいて、それが崩れかかっていることに気づきながらも為す術がなく立ちつくしているのが日本人。そう対比するのが最も適切なのではあるまいか。ハングリーでなくなっている日本の子どもたちは、特別な夢を持たず、ぬるま湯に浸かっている親たちの生き方を、自分たちも踏襲出来ると安易に思いこんでいる。だから勉強する必要も感じない。

 年率7%の経済成長を持続する中国に、世界的に景気が低迷しがちな各国はとても追いつけない。その秘密について考えているのが、中日通ウェブサイトの「中国経済の持続的安定成長の『エンジン』は何か 」である。「市場経済に適応した経営メカニズムと創意工夫の精神をもつ民営企業は、中国の経済発展の活力に満ちた要素となっている」と述べ、立て役者は大規模な国有企業ではないとしている。創意に満ちた民営の中小企業こそエンジンなのだと推論している。

 いや、むしろ、国有企業には大きな問題がある。日本総研の「中国三大改革は成功するか」(RIM 環太平洋ビジネス情報 2001年4月)で渡辺利夫氏はこう指摘している。

 「体制改革の起点1979年に工業総生産額の8割を占めていた国有企業のシェアは、近年3割を切るまでに縮小し、市場経済軌道を走る郷鎮企業、外資系企業、個人・私営企業など非国有企業群のシェアが拡大した」「国有企業が非国有企業との競合に破れ、その経営状態が深刻化したという事実に他ならない」

 「中国の財政収入は中央財政にせよ地方財政にせよ、いまなお国有企業の法人税に依存している。国有企業が経営不振に陥っている現状において、財政収入は滞り、財政支出はこれに見合って収縮せざるをえない。中国の財政支出の対GDP比が急減しているのはそのためである」「問題の起点は国有企業改革の遅れである。国有企業改革が進展しないがゆえに、国有企業の納税に依拠する財政が萎縮し、またそれがゆえに、銀行は国有企業融資をふやさざるをえず、そうして不良債権の累増を招いた」

 名宰相との評価が定着した朱鎔基首相は、アジア経済危機などで景気後退局面に入った98年9月、財政引締め路線から積極財政政策へ転換した。1,000億元、1,100億元、1,500億元(1元=16円程度)と毎年、長期建設国債を発行してきた。在中国日本国大使館経済部の「最近の中国経済情勢と日中経済関係」は最新の情勢について詳しいデータを与えてくれる。

 その中で「政府債務残高は対外債務を含めて対GDP比約23%程度であり、国際警戒ライン60%を下回っているものの、国有銀行の不良債権処理費用に加えて、社会保障関連費用等の将来に対する財政圧力をも含めて考慮すると、その債務管理は重要な課題となる(政府部内では不良債権等を加えて60%程度と認識されている模様)」と、実際の経済運営は綱渡りに近いものであることを示している。

 経済好調、中国――その上辺だけの情報で羨ましがったり、とてもかなわないと諦めたりしては困る。冷静に彼我の状況を知ろう。中国4大商業銀行の融資に占める不良債権の比率は30%を超えるという。日本における大手スーパーやゼネコン、金融の危機と対比できるものを、中国も抱えているのであり、これも根が深く構造的で解決は容易でない。

 ちなみに日本の政府債務残高について知りたければ、財務省の「一般会計、公債依存度、利払費及び長期政府債務残高等の対GDP比(国際比較)」を見ていただくとよい。平成13年度の2次補正予算後では対GDP比100%を超えてしまった。14年度以降はさらに積み増される。これもクレージーである。


◆相互理解に至っていたのだろうか

 中国を動かす中枢であり党員6000万人以上を持つ中国共産党は、今秋に階級政党から国民政党に衣替えすることになっている。1月18日に「チャイナネット」で流れたニュース「今日の中国人は十の階層に色分けすることができる」は、そのための具体的な準備だと思う。

 これは中国社会科学院の重要研究プロジェクトの成果であり、公式に認められ党が関わっている。「もとの『二つの階級、一つの階層』(労働者階級、農民階級と知識人階層)という社会構造は、新しく生まれた、さらに細分化された、より豊かな社会階層を網羅することができなくなったため、われわれは中国の今日の社会階層に対して新たな色分けを行うことが必要になった」

 「国と社会の管理者階層、経理要員階層、私営企業のオーナー階層、専門技術者階層、事務要員階層、個人経営商工業者階層、商業・サービス業の従業員階層、産業労働者階層、農業勤労者階層、都市と農村の無職・失業・半失業者階層という『十の階層』に色分けした」

 研究者たちは「中間階層が大幅に拡充し、それがすでにはっきりとした趨勢となった」との表現を使っている。それこそが中産階級であり、主に専門技術者階層、経理階層と私営企業のオーナー階層からなるとされている。とすれば国と社会の管理者階層こそが「上流階級」であり、事務要員階層とその他は「無産階級」と呼ぶべきかもしれない。社会主義中国の看板からは論理矛盾の極みだが、それを公式に認めようとしていること自体、中国共産党が建前から本音の世界に下りてきたことを示している。

 われわれ日本人は、隣人中国のことをよく知っていると思いこんでいる。98年に桜美林大であった日中関係国際シンボシウムのふたつの講演録を読むと、中国側の理解ほど、日本側の理解が的確でなかったと思えてくる。ふたつの講演録とは「中国の日本研究:回顧と展望」「日本の中国研究」である。

 例えば「中国の日本研究」はベネディクトの『菊と刀』に先立つ存在として『日本人―― 一外国人の日本研究』(蒋百里1939年)を挙げ、戦前からレベルの高い研究があったとしている。同書は「日本の自然、地理、風土及び人種から書き出し、次いで日本の歴史、政治、経済等の方面の多くの代表的な人物の経歴について分析比較し、その上で結論を導き出している。即ち、日本人は先見性に乏しく、性情が粗暴で、かつ、定見がなく、悲観的で、運命論的で、常に矛盾に満ちている」と、『菊と刀』に先行して心理と個性の二重性格を言い当てていると紹介する。

 翻って近年の「日本の中国研究」は本質を見ていなかったようだ。「文革後に明らかにされた事実は、文革を肯定的に捉えた人びとの期待を完全に裏切るものであったのはもちろん、批判していた人びとの想像をも、はるかに越えたものでした」と認め、その後は現実に進行する「多様化」に振り回されている様が浮かび上がる。

 もともと欧米には戦前、巨大な中国を分割するべきだとの意見があったが、「そんなことをしたら日本を十個作るようなものだから止めた方がよい」ということになったそうだ。地方ごとの地理的個性や歴史的いきさつからみて、中国には国がいくつもあると考えた方が良い。あの巨体が一枚岩であったり、建前通りであったり出来るはずがない。知ったかぶりをしないで、実証的な理解を重ねることから始めるしかあるまい。


◆ここでも日本“特殊”論

 日本企業が中国に進出してビジネスがうまくいかなかった一時期、中国の方が遅れた特殊なルールを敷いているとの論調がメディアにあった。しかし、アジア・マンスリー「中国の家電製品輸出と国内メーカー」が「中国のエレクトロニクス製品の輸出額は91年の49億ドルから95年には165 億ドル、2000年には640億ドルへと急速に拡大した。その牽引力となっているのは外資系企業である」と伝える通り、外資系は存分な力を発揮できないと勝手に思いこんでいたのではないか。

 この年明け、中国最大の家電メーカー海爾(ハイアール)集団と日本の三洋電機が包括的な業務提携をして話題になった。中国家電の本格的な日本上陸が始まる。この交渉は極めて短期間で成立しており、海爾側のコメントに「三洋電機は他の日本企業と違って判断のスピードが速い」との趣旨が盛り込まれていたことに注目したい。

 欧米企業から見て台湾も香港も、そして中国のビジネスマンたちもパートナーとして組めるが、日本企業のホワイトカラーは異質と感じられているという。例えばMBA(経営学修士号)教育について中国の現状をまとめた「中国MBA教育関連資料」を見ると、有名大学がずらりと並んでいて、これは日本の大学よりずっとやる気だと分かる。成績ランキング1位が多い清華大は、朱首相ら指導者を輩出すると同時に、最近ではハイテク・ベンチャー企業を次々に生み出す実践の「学府」になっている。北京大と並ぶこの名門大学のありようは、東大以下の日本の大学と比べるより米国の有力大学と比べる方がふさわしい。

 躍進を続ける中国にとって大きな問題を指摘すれば、人の問題より環境と資源から来る制約だろう。この連載第27回「酸性雨問題に期限が切られた」で大気汚染などについては指摘済みである。一人っ子政策で人口爆発に歯止めをかけたとはいえ、食糧問題も注視せざるを得ない。巨大な中国の様々な面を教えてくれる資料に「中国 事実と数字2000」がある。

 繰り返すが、知っていると思わないで虚心に理解することから始めたい。工 業的な集積は数年来、段違いに進んだ。JETROの「2001年上半期の日中貿易」 に「IT貿易拡大の結果、対中輸入総額に占める機械機器のシェア(29.3%)がこれまで最大品目であった繊維製品のシェア(26.9%)を初めて上回った」とある。加工貿易日本にとり決して不利ではない。「WTO加盟で激変する中国」は言う。世界銀行の予想では「中国はWTO加盟によって毎年830億ドルから1160億ドルの受益額を享受できるという。ちなみにEUは710〜810億ドル、日本は610〜620億ドル、米国等は380〜440億ドルである」。

 中国をこの世紀の新しいパートナーとして見直す時が来た。それには蒋百里に「乏しい」と看破された先見性が是非とも必要である。