団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

公論の場を貧しくするネット右翼の病理 [ブログ時評13] (2005/03/07)

(「ブログ時評」に同文掲載。TBなどはそちらに)

 ブログの世界を中心に時事問題への議論を収集して3ヶ月余り、ネットに右翼的言辞が氾濫しているのに、個別政策的な課題では右からの発言がほとんど無いことに驚いている。NHK・朝日問題に関連して、在米研究者の卵による「むなぐるま」は「日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか」と問いかけて話題になった。私の立場からは保守系のハブサイトこそ教えて欲しい。「小さな目で見る大きな世界」の「リベラルの不在、保守の不在」が「何を重視するかということで違ってくるのだろうけれども、保守の人たちはずいぶん取り上げていない問題があるよなあと感じている」と指摘する思いに近い。

 「ネット右翼」と目される集団が押しかけ、多数のコメントの山を残した「小倉秀夫の『IT法のTop Front』」では、ネット右翼というものがあるのなら自分こそと名乗ってみて、との趣旨の呼びかけがされたものの、反応は無かったようだ。ネット上で主に対中国、対韓国・北朝鮮、対マスメディア関連で右翼的言辞を並べているブロガーの立場には共通点がある。「自分は真ん中。右に見えるのは、あなたが左にいるからでしょう」といった感覚。そして、自分のブログを持たず、コメント欄だけに書き散らしているグループと大集団を作って居心地の良さに納得している。

 国を誇る、真っ直ぐな思いを貫いている――大集団の光景はスポーツナショナリズムに極めて近い。サッカー・ワールドカップ予選でテレビ中継が始まった瞬間に、ニッポン・ガンバレに切り替わってしまう心情である。どちらも、ナショナリズムが生まれるメカニズムは共通している。日本という共同体の一員として、他の共同体と向き合い、日本国家を意識する場面だ。「マスメディアによる自虐的報道」を非難するスタンスも同じである。このメカニズムで生まれた右翼的志向である限り、目を転じて共同体内部の個別の問題に対処する基盤を持たない。外に向かっては一致していても、内部利害はばらばらだ。

 自民党政権が磐石だった時代、最初から政権を取るつもりが無い野党に代わってマスメディアが政権批判の柱だった。今、政治家、官僚を含めて国家が生き方モデルを見失い、攻め手のマスメディアも整合性があるモデルを提示できない。こんな時代だからこそネット上に公論の場を造りだす意味が大きいと考えているが、ネット右翼では「右」を代表することは出来ないと早く気付くべきだ。惰性に任せては先行きが見えない社会を変えるために、大手術が必要と右の立場で考えたら、相当に骨太の枠組みを考え出さねばならない。左の立場なら弱者のために抵抗するくらいでも形は出来る。現政治状況に当てはめると、中曽根元首相なら、不肖の後継者・小泉首相の課題ごと丸投げ路線に忸怩たる思いをしているはずである。



 :小泉改革については最初から否定的に扱ってきた訳ではありません。特集「小泉構造改革を考える」で考えてきた流れが一覧できます。



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