輝きが無いソニー改革人事の違和感 [ブログ時評14]

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 初の外国人会長CEO(最高経営責任者)と下馬評になかった地味な技術畑社長で、ソニーの顔が一新されることになった。本業のエレクトロニクス分野で魅力的な商品が出なくなって久しく、ゲーム機や映画ソフトの儲けで食いつないでいる事情は広く知られている。ソニーの製品は古くから広く家庭に浸透している。私の家の皮切りならアンプ部が真空管だったテープレコーダー。それだけに一般の関心が高く、本当にこの危機を乗り切れる経営陣か、株価は上がってもネット上では危惧する声の方が多いと感じた。

 「ソニーの原点はモノづくりだと思います」とする「ソニー経営陣交替について考える1」(大いなる夢)は少し前に出たハワード・ストリンガー次期会長のインタビューを読んだ感想として、こう指摘する。「モノづくりを重視せずに、クールなエンターテイメント企業としてのイメージ、ブランドを維持しようとするのでは、ますますソニーとしての強みを失っていくことになるでしょう」。そして、オンリーワンのモノづくりで息を吹き返したアップル社と対比している。

 「ものづくりこそ本筋」というのが米国メディアでの反響でもあるらしい。「Made in Japan」(Studying Journalism in the Bay Area)はNew York Timesビジネス面などの紙面を埋めていると伝え、Financial Times紙の社説の結び「rediscover its inventive roots」を紹介している。

 そんな中で好意的な評価をしているのが「PSPのAV機能を活用する!」の「ストリンガー氏の下で進む米国法人主導のソニー復活戦略」。「『ハードに魅力がないから売れていない』のではない。むしろ逆で、『ハードと連携すべきソフトやサービスが貧弱』なことがハード自体の魅力を大きく損ねている」。アップルのiPodに負けたのも独自の音楽圧縮再生規格にこだわって、市場にそっぽを向かれたからだ。「ソニーなりに、ハードとソフトとサービスの善循環モデル=コンバージェンス戦略を作っていかなければならない」「ストリンガー氏が米国にいることはソニーにとって意味がある。なぜなら、ソニーの社運がかかったコンバージェンス戦略はもっぱら米国法人が進めているからである」

 私は新社長になる中鉢良治氏の発言「今のソニーの商品をみると消費者の視線が少し欠けている。もう一度消費者が何を求めているのか、原点にかえらなければならない」の言葉が気になってならない。妙に当たり前すぎるのだ。歴代のソニー社長が言って、ふさわしい言葉だろうか。文字通り世界を相手にした創業者・盛田昭夫氏のことを思い出さずにはいられない。

 「ソニーねえ。。。」(プログレッシブロックな非線形衝動)はこうみる。「ソニーが確実に失ったのは『文化』に他ならない。簡単に言えば出井CEOは、盛田氏ほど音楽や映画・映像が好きではないし、クリエイティブなことや人間がワクワクする気持ちを知らない」。声楽家出身だった前の大賀典雄社長だって、ワクワクする商品づくり志向の方だったと記憶する。

 ネットを歩いているうちに以前読んだタイム誌「20世紀のアジアの100人」の記述が脳裏をよぎった。「Letter from Abroad」の「盛田昭夫」で翻訳が公開されている。カリフォルニア大のジョン・ネイサン氏が書いている逸話はこう。「盛田の放っていた輝きそのものは、彼の残したソニーへの遺産のひとつとして今も生き続けている」。大賀氏に出井氏を抜擢した理由を聞くと「ソニーを率いる者には、輝きがなければならない」と語ったという。出井伸之会長も95年に登場してしばらくは輝いていた。ストリンガー・中鉢体制にそれが全く感じられないことが、今回のソニー改革で最大の違和感だ。