T記者名暴露:新時代象徴なら貧しすぎる [ブログ時評23]

 JR西日本の脱線事故ではネット上、マスコミ報道の行き過ぎが大きな話題になり、最後は記者会見での言動が問われた読売新聞大阪社会部・T記者の実名がブログで暴露される騒ぎになった。社会部長名の謝罪記事まで掲載された結果にブログがどれほどの影響力を持ったのか。測定する方法はないものの、Yahoo!で記者名をキーワードに検索すると967ページのヒットがあった。これを見ると今回はぎりぎり脇役だったと言えよう。実はリアルな世界を動かした最初の例かと気になりつつ、これが新時代の象徴なら余りに貧しすぎる、何年か先に歴史を書く際に、この事件から始めるのは勘弁して欲しいと思った。

 ブログ界が騒いで現実の世界に力を及ぼした米国の例に、昨年9月にCBSテレビでブッシュ大統領の軍歴疑惑報道で幹部4人が辞任、この2月にはCNNテレビのニュース部門最高責任者が米軍をめぐる不謹慎発言を追及され辞任した。日本のブログも間もなく、そうした力のレベルに到達するのではないか。一人一人のブログは小さくても数百、数千と集まれば、周囲の人々を巻き込んで抗議の電話を殺到させたり出来る。そうして誰かの人生を変える力を持つだろうことを、ブログを開いている皆さんは今度の機会に認識して欲しい。

 地方支局で駆け出し記者を始めたとき「たいていの取材対象者は人生でその一度きりしか新聞に出ない。あんたがどう書くかで、その人の人生が変わる」と言われたことがある。今や匿名の小ブログだって同じ結果になる潜在力が備わってしまったのだ。「JR西日本を恫喝した『髭記者』の実名にたかるブログ・スクラム」(すちゃらかな日常 松岡美樹)は次のように指摘しているが、上に述べた恐れを重ねてもらうと深刻度が深まろう。「自分は匿名のくせに、髭記者の実名を晒してすっかりコーフン中のあるブログは、こんな趣旨のことを書いている。『既存メディアはもうやりたい放題できないぞ。われわれネット住人が監視してるんだからな』 や、監視されてるのは別にマスコミだけじゃないよ。ブログだって同じだ」

 「記者会見はもっと抑制的にできなかったのか」との声があちこちから聞こえる。ところが、取材現場で抑制的に振舞うのは至難である。新しい情報、新しいモノを手に入れるのは取りあえず良いことであり、手に入れる前にその質を延々と議論しても始まらない。この場合の取材対象・JR西日本のペースで管理された情報しか貰えなくて、そうですかと帰ってくる記者はいない。記者会見の裏側では分析チームが動いているに違いないから、色んな問題意識を持ち出して入手を早めたい。凄むくらいのことは私でもする。ただ、その時に社会正義は自分の側にあるとの思いが行動をおかしくする。

 ライターが営むブログの「取材者も襟を正せ」(◆木偶の妄言◆)も自らの経験からそうした現場で「社会正義そのものになったかのように思いこむこと」を自戒しつつ、T記者名を「コピーペーストしてあちらこちらに晒しているブログは、ただの『つるし上げ』ではなかろうか。自ら『社会的制裁』を加えて自己満足をしている、という意味では問題の記者の行為となんら変わりがない」と喝破している。

 T記者名暴露事件はマスメディアとブログ界が大して違わない位置、立場になっていることを示したと考えられる。ブログ側の大動員指向は持って生まれた仕組みだから、一個人が嫌と言っても拡大するばかりだ。確言しよう。やがて今度のことが予行演習だったと思える事件が起きよう。米国の例のようにマスメディアや公共機関などに対する勝利になるかもしれないし、ブログによる集団舌禍事件になり、いま「マスゴミ」と呼んでいるように「ブロゴミ」と言われる事態になるやもしれない。



 【追補】このコラムについて、いくつか論点を引用しながら、Japan Media Reviewサイトで"What They're Saying ... Journalist Yasuharu Dando on Blogging's New Era"という記事が書かれています。