正月スポーツでは『小さな華』だけど [ブログ時評44]
元日のサッカー天皇杯決勝を頂点に、正月休みをはさんだスポーツ大会が目白押し。その中の全国高校ラグビーは比較すれば「小さな華」だけど、ドラマ「スクール・ウォーズ」のモデルになった京都の伏見工が5年ぶり4度目の優勝をし、マスメディアでも取り上げられ、ブログにコメントや観戦記が多い。
この大会は5連覇を狙う啓光学園を中心にした大阪勢が圧倒的に強いと思われていた。ところが準決勝までに姿を消し、決勝は伏見工と桐蔭学園(神奈川)。どんな試合だったか、観戦記からは「二つの決勝戦」(しゅさいのブログ)を登場させよう。
「強力フォワードで押し込む桐蔭学園に対し、バックスの展開力で勝負の伏見工業……てな戦前の予想に反して、フォワード戦でも当たり負けない伏見工業が、試合運びのうまさでも上回っての完勝。細かいパスがつながる、つながる。ホント、これ日本代表(サッカーの方)にも見習ってほしいです。短いパスが、ただ繋がるだけじゃなくて、ちゃんとそこに繋げる『意味』があるパスなのだ。突出したスター選手はいなかったけど、伏見工のラグビー、ちょっとファンになっちまった」
「『信は力なり』高校ラグビー、伏見工優勝」(迷解!スポーツ観戦記)も言う。「伏見工は、仲間を信じるという『信は力なり』を体現するハンドリングラグビー」「バックスだけではなく、FWのNo.8、 フランカー陣だって、繋ぐ、繋ぐ。モールやラックからNo.8がサイドを突くと同時にそばの選手にパスし、1人で、2人の選手を引きつけ潰れ、味方を抜け出させたプレー。攻めにかかればボールを支配し続け、相手に奪われれば、最後までタックルやターンオーバーを狙い続ける」
ラグビーは離合集散の妙。いま主流になっている重量級フォワードで蹴散らして進む戦法は、実はあまり好まない。体格が違う欧州や豪・ニュージーランドのチームには、そうされてしまうのだが、ラグビー日本代表には不可能である。「伏見工のような、走力とハンドリングの魅力的なラグビーが、日本代表のレベルでも見たいものだ」。私もそう思う。
「スクール・ウォーズ」の熱血先生は、現在では総監督を務める山口良治さんである。「ラグビーシーズン」(沖縄人になりたい東京下町男の物語)は高校、大学とラグビーをし、山口さんと接触した体験を語る。「大学の夏のオフの時に伏見工の練習に参加した時にお世話になった。世間様からは泣き虫先生などと呼ばれているが、部員達からは鬼と呼ばれている。でも実際にお会いしてこんな方に指導を受けたら幸せだなぁと感じたものである。厳しいが熱いし素晴らしい指導をされる。人のミスを責めたりしない、みんなで補いミスをチャンスに変える事が大事だと教える」
公立の工業高校だから、体格の良い選手を集められる体育系の学科を持つ訳ではない。そういう条件下で全国の最高レベルと戦う、知恵と情の指導なのだろう。現在の高崎利明監督は1980年全国初制覇の中心メンバーだった。山口さんからバトンタッチされて8シーズン目になる。その監督、総監督を差し置いて、主将の杉本勇二君が真っ先に胴上げされた。決勝前夜の夕食前に、何か緩んだ空気を感じて「このままでは勝てない」と部員に訴え、一気に引き締まったことを各紙が伝えている。
朝日新聞「ひと」欄で彼の記事を読んだ「伏見工」(ひだりうみの株日記)はこう書く。「2年生の3学期と3年生の1学期はオール5。まさに文武両道」「ラグビーは高校までと決めていて、進学が決まっている同志社大学文化情報学部では『情報収集する力を身につけ、その時代で一番利益を上げられる会社を起したい』とのこと。18歳でそこまで決断できるってすばらしい」
初優勝時の主将は神戸製鋼V7の立役者、平尾誠二さん。全国高校ラグビー決勝を最後の試合と決めて、企業家への道を歩みだす四半世紀後の後輩の姿に、変わらないもの、変わっていくものの対比を見てしまう。
この大会は5連覇を狙う啓光学園を中心にした大阪勢が圧倒的に強いと思われていた。ところが準決勝までに姿を消し、決勝は伏見工と桐蔭学園(神奈川)。どんな試合だったか、観戦記からは「二つの決勝戦」(しゅさいのブログ)を登場させよう。
「強力フォワードで押し込む桐蔭学園に対し、バックスの展開力で勝負の伏見工業……てな戦前の予想に反して、フォワード戦でも当たり負けない伏見工業が、試合運びのうまさでも上回っての完勝。細かいパスがつながる、つながる。ホント、これ日本代表(サッカーの方)にも見習ってほしいです。短いパスが、ただ繋がるだけじゃなくて、ちゃんとそこに繋げる『意味』があるパスなのだ。突出したスター選手はいなかったけど、伏見工のラグビー、ちょっとファンになっちまった」
「『信は力なり』高校ラグビー、伏見工優勝」(迷解!スポーツ観戦記)も言う。「伏見工は、仲間を信じるという『信は力なり』を体現するハンドリングラグビー」「バックスだけではなく、FWのNo.8、 フランカー陣だって、繋ぐ、繋ぐ。モールやラックからNo.8がサイドを突くと同時にそばの選手にパスし、1人で、2人の選手を引きつけ潰れ、味方を抜け出させたプレー。攻めにかかればボールを支配し続け、相手に奪われれば、最後までタックルやターンオーバーを狙い続ける」
ラグビーは離合集散の妙。いま主流になっている重量級フォワードで蹴散らして進む戦法は、実はあまり好まない。体格が違う欧州や豪・ニュージーランドのチームには、そうされてしまうのだが、ラグビー日本代表には不可能である。「伏見工のような、走力とハンドリングの魅力的なラグビーが、日本代表のレベルでも見たいものだ」。私もそう思う。
「スクール・ウォーズ」の熱血先生は、現在では総監督を務める山口良治さんである。「ラグビーシーズン」(沖縄人になりたい東京下町男の物語)は高校、大学とラグビーをし、山口さんと接触した体験を語る。「大学の夏のオフの時に伏見工の練習に参加した時にお世話になった。世間様からは泣き虫先生などと呼ばれているが、部員達からは鬼と呼ばれている。でも実際にお会いしてこんな方に指導を受けたら幸せだなぁと感じたものである。厳しいが熱いし素晴らしい指導をされる。人のミスを責めたりしない、みんなで補いミスをチャンスに変える事が大事だと教える」
公立の工業高校だから、体格の良い選手を集められる体育系の学科を持つ訳ではない。そういう条件下で全国の最高レベルと戦う、知恵と情の指導なのだろう。現在の高崎利明監督は1980年全国初制覇の中心メンバーだった。山口さんからバトンタッチされて8シーズン目になる。その監督、総監督を差し置いて、主将の杉本勇二君が真っ先に胴上げされた。決勝前夜の夕食前に、何か緩んだ空気を感じて「このままでは勝てない」と部員に訴え、一気に引き締まったことを各紙が伝えている。
朝日新聞「ひと」欄で彼の記事を読んだ「伏見工」(ひだりうみの株日記)はこう書く。「2年生の3学期と3年生の1学期はオール5。まさに文武両道」「ラグビーは高校までと決めていて、進学が決まっている同志社大学文化情報学部では『情報収集する力を身につけ、その時代で一番利益を上げられる会社を起したい』とのこと。18歳でそこまで決断できるってすばらしい」
初優勝時の主将は神戸製鋼V7の立役者、平尾誠二さん。全国高校ラグビー決勝を最後の試合と決めて、企業家への道を歩みだす四半世紀後の後輩の姿に、変わらないもの、変わっていくものの対比を見てしまう。