高松塚壁画保存では素人だった文化庁 [ブログ時評56]

 国宝・高松塚古墳壁画の保存状態が危機的な状況にあり、発見から30年以上も経つための自然劣化ではなく、保存を担った文化庁が繰り返しミスを犯した結果と推定されるようになった。4月半ばからマスメディアが再三再四伝えた惨状から、文化庁が古墳壁画保存の専門家ではないことを国民は知ってしまった。情報公開によって明かされた作業日誌には驚くべき事柄が書かれていた。照明器具を倒すなどして壁画を何カ所も傷つけ、公表しないまま周囲の土を塗ってごまかした。2001年に石室の前まで防護服を着ない普段着の業者が入って作業し、直後に起きたカビ大発生を呼んだ疑いが濃厚になった。マニュアルには「防護服は石室内でとある」と弁解がされた後、1989年に素手で石室を開ける文化庁職員の写真が発見されては、カビ防護など最初から口で言うほどに重視していなかったと考えるしかない。

 いたたまれなくなって文化庁の役人を排除した調査委員会ができた。「高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会(第1回)議事次第」に資料がいくつも掲げられている。「資料4 国宝高松塚古墳壁画をめぐる経緯と現状について」で壁画がどれほど悲惨な目にあったか見てもいただきたいが、ここでは「参考資料 国宝高松塚古墳壁画保存対策の経緯(平成18年3月31日まで)」を開こう。7ページ目に2001年2月から3月に「取合部及び石槨躯体壁両脇崩落部分の強化工事を実施」とあるのが防護服を着ない普段着工事である。そして3月26〜29日の点検で「取合部施工部分を中心に夥しいカビの発生を確認」となり、石室を開けるのを半年延期するも、9月に開いてみれば「密閉していた石槨内にもカビ発生を確認」するに至った。以後、損傷事故や多数の虫の死骸が繰り返し報告されている。

 「誰が国宝・高松塚古墳壁画を殺したのか?高松塚古墳石室解体にみる文化庁の体質」(kitombo.com)という注目すべき長文リポートが昨年10月に書かれている。問題はカビだけではなく、壁画全体が退色しているのだ。渡辺明義・文化審議会文化財分科会会長へのインタビューで「壁画の劣化を意識したのはいつですか?」と聞いて「渡辺:2001年に青木繁夫くん(東京文化財研究所国際文化財保存修復センター長)に指摘された時かな。昔のきれいさが薄れたかな…と思いました。それまではカビに関心を取られていたのです。1980年にカビが発生したときは、心臓が止まるほどびっくりしましたよ。心配で仕事が手に付きませんでした。このときに全面的に情報を公開するチャンスがあったのかもしれませんね。でも転換が出来なかった」との返事である。いつか公表との思いはあっても、保身に走る役人根性が阻んできた。

 論点は数多いが、もう一つ。高松塚現地には壁画保存のために1億円をかけた施設が出来ているが、この役割も私が聞いていた、石室の温度・湿度を管理するものとは違っていた。「保存施設には三つの部屋があり、石室に近づくにつれて部屋の温度と湿度が変化し、石室の真ん前の部屋では石室と同じになる。つまり石室の中で作業する技師たちが石室の扉を開けたときに、外の乾燥した空気が直接、石室に入り込まないようにしているのだ。つまり、技師たちが作業するとき以外は、この保存施設は眠っているだけなのだ」

 昨年夏になって冷却管で外部を覆う工事がされたが、石室の環境はほとんど発見当時のまま推移してきたのであり、虫も出入り自由。いったい、文化庁は何をしてきたのだろう。実は壁画発見当初に訪れた、ラスコー洞窟壁画保存の研究者だったフランスの専門家は、直ちに剥ぎ取って保存するよう助言していた。「『高松塚古墳壁画を石室から剥がせ!』発見当時の72年に、フレスコ画の専門家が提言していたが、文化庁は無視した」(天漢日乗)に詳しい。

 壁画が描かれている「(b)石灰層の現状は極度に危険である。層は剥離している。この原因は過剰の湿気による石灰層の老化で、それは更に石と下塗りの間および下塗りそれ自身の中に入り込んだ木の根によって、事態が重大化している」「(c)この壁画は、剥がして強化し、移し替えを行うべきであると思われる。この作業は現在では実現可能である」「日本の現地で協力するためにヨーロッパの熟練者を日本に招くことが望ましい」とアドバイスを受けた。しかし、その後は樹脂接着剤を注射して浮き上がっている部分をあちこちと貼り付ける対症療法で逃げてきた。今となっては、最近一般公開されたキトラ・白虎図のように剥がすこともままならなくなった。

 「外国人に剥がされるのはイヤというだけの理由で、フレスコ画である高松塚古墳壁画は、文化庁の不作為によって破壊されたのだ。高松塚古墳壁画を30年かけて破壊したのは、文化庁である」という憤りは正当なものに思える。このブログは昨年7月に書かれているので、今となっては不作為に加え、文化庁の重大な注意義務違反も破壊に荷担してきたと指摘できる。