秋葉原事件で思い起こす『隔離が生む暴力』 [BM時評]
秋葉原の通り魔・無差別殺傷事件を論じたブログで、最も資料性がある注目ファイルは「【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式」でしょう。犯人が派遣工員として働いていた工場で、父親が正社員という方が現場の労働状況を語っています。
「東富士工場は非常に広く、人の配置もまばら。親父いわく、『隣の人と100mは離れている』ウチの親父はいつだって大げさなので、そんなに離れちゃいないだろうけど、数十メートル単位で離れていると見ていいだろう。休憩時間や出入りの時間などに意識しなければ人と会話をすることも無いそうだ」「犯人の環境は、他者と関われないシステムとして存在している。見知らぬ土地に連れて来られ、社員からは顔を覚えてもらえず、あたかも部品の一部として明日の生活を奪われる」「他者と関わりと持てず、漫然とモチベーションの上がらない仕事をしながら明日の生活に怯える。他者のいない生活の中で、自分ばかりが肥大してしまう」
とてつもない孤独な空間に25歳の犯人は生きていたことになります。しかも近くクビになる話が流れ、犯行の直前に工場に行くと自分の作業服「ツナギ」が消えていたことで、俺はもう要らないのかと感情を爆発させました。
犯人の頭の中で何が起きたのか、説明することは不可能です。しかし、考える端緒のようなものを持っています。20年ほど前に新聞に脳内物質の連載を書きました。その中の1編『隔離が生む暴力』がこうした不条理な事件が起きるたびに思い起こされます。『心のデザイン』として本になっていますが、既に図書館でしか見られない本なので、以下に収録しましょう。
《隔離が生む暴力》
川崎市で1980年に起きた金属バット殺人事件の判決が84年4月に言い渡され、両親を殺した元予備校生は懲役13年の実刑に服した。
世に大きな衝撃を与えた事件の原因は何であったのか。二浪生活での不安、家族へのひけ目、自分の城への逃避。そして盗みや飲酒をとがめられ、父親から「出ていけ」と言われ、膨れ上がった憎悪……。
「心の病気ではなく被告の激情にかられての犯行だ」と断じた判決も、両親撲殺にまで暴走した心の動きを十分に解き明かせなかった。元予備校生自身「なぜあんなことをしたのかを考えたが、今でも分からない」と法廷で述べた。
仲間に対する攻撃は、友情と裏腹の関係にあるとする説もあるが、人間だれでもにひそむ暴力について、現在、脳の科学はほとんど語ってくれない。しかし、動物が攻撃行動する時に、脳内で何が起きているのかを描く力は持ち始めた。
乳離れしたばかりのネズミを数週間仲間から離して育てると、かなりの割合で攻撃的な性格になる。普通ならばそんなことをしないシロネズミでも、隔離しておくと同じ檻に入れた小型のハツカネズミをかみ殺してしまう。シロネズミ同士にすると猛然と戦う。
佐賀県東部の東背振村にある国立肥前療養所の内村英幸所長(精神医学)のグループは、ネズミの脳で起こる物質の変化を調べている。内村さんらの道具は、かみそりの刃をペンチで細かく砕いてガラス管の先に植え込んだマイクロナイフと、頭髪をループ状にしてやはりガラス管の先端に付けた「フォーク」だ。摘出した脳を凍結、まずカミソリで1ミリの数十分の一に薄く切って真空乾燥する。それを顕微鏡で見ながら、特製のナイフとフォークで、嗅覚を中心に、必要な部分を切り分けていく。
ネズミは、仲間がいるかどうかを嗅覚で見分ける。鼻でとらえた仲間の情報は、まず脳の前部に突き出た嗅球という部分に入り、その後ろにある嗅結節と呼ぶ神経細胞の塊を経て大脳前部に届く。情報が伝わるといっても、神経細胞のつなぎ目にわずかなすき間があり、一方の細胞からいろいろな物質が放出されて、それを次の細胞が受け取ることで信号が伝わっていく。この物質を神経伝達物質と呼ぶ。
「隔離ネズミは嗅結節で神経伝達物質が増産され、異常な興奮状態になっている。ネズミは嗅覚を頼りに生きる動物なのに、仲間から離されたために、入ってくるはずのにおいが来ないので、嗅球に『早く情報を送れ』と懸命に催促しているようだ」と内村さん。
情報を総合的に判断する大脳前部も興奮状態にある。また、嗅覚の神経経路や周辺の神経細胞は、情報が来るのを、いまかいまかと待ち構えている。隔離が続くと、この異常な状態が保たれる。そこにハツカネズミや仲間(シロネズミ)が現れると、嗅覚系は新しい刺激で火がついたように活動を始め、普通のネズミに比べて神経伝達物質を2倍も放出する神経が現れる。異常な攻撃行動への暴走である。
阪大人間科学部の糸魚川直祐教授(比較行動学)はニホンザルで隔離飼育の実験を続けている。霊長類のサルが仲間を確認するのは、目で見ることと、皮膚の触れ合いだ。「この二つを絶って隔離飼育すると、半数以上は攻撃的になる。人間なら小学校高学年にあたる2、3歳まで隔離し続けると元に戻りにくい。そうしたサルを数匹いっしょにすると、殺し合いを続ける」という。
サル以上に高度化した人間でも、仲間と生活するために欠かせぬ感覚情報があるはずだ。荒れる学校などの暴力的な世相をみると、何かを得られぬいらだちが見え隠れする。
当時の脳の科学から現在がどれほど進んだか、この分野から長く遠ざかっていて分かりません。ただ、記事は古くなってもサイエンスのファクトは変わるはずもなく、示唆するところは今なお鮮やかだと思います。
「東富士工場は非常に広く、人の配置もまばら。親父いわく、『隣の人と100mは離れている』ウチの親父はいつだって大げさなので、そんなに離れちゃいないだろうけど、数十メートル単位で離れていると見ていいだろう。休憩時間や出入りの時間などに意識しなければ人と会話をすることも無いそうだ」「犯人の環境は、他者と関われないシステムとして存在している。見知らぬ土地に連れて来られ、社員からは顔を覚えてもらえず、あたかも部品の一部として明日の生活を奪われる」「他者と関わりと持てず、漫然とモチベーションの上がらない仕事をしながら明日の生活に怯える。他者のいない生活の中で、自分ばかりが肥大してしまう」
とてつもない孤独な空間に25歳の犯人は生きていたことになります。しかも近くクビになる話が流れ、犯行の直前に工場に行くと自分の作業服「ツナギ」が消えていたことで、俺はもう要らないのかと感情を爆発させました。
犯人の頭の中で何が起きたのか、説明することは不可能です。しかし、考える端緒のようなものを持っています。20年ほど前に新聞に脳内物質の連載を書きました。その中の1編『隔離が生む暴力』がこうした不条理な事件が起きるたびに思い起こされます。『心のデザイン』として本になっていますが、既に図書館でしか見られない本なので、以下に収録しましょう。
《隔離が生む暴力》
川崎市で1980年に起きた金属バット殺人事件の判決が84年4月に言い渡され、両親を殺した元予備校生は懲役13年の実刑に服した。
世に大きな衝撃を与えた事件の原因は何であったのか。二浪生活での不安、家族へのひけ目、自分の城への逃避。そして盗みや飲酒をとがめられ、父親から「出ていけ」と言われ、膨れ上がった憎悪……。
「心の病気ではなく被告の激情にかられての犯行だ」と断じた判決も、両親撲殺にまで暴走した心の動きを十分に解き明かせなかった。元予備校生自身「なぜあんなことをしたのかを考えたが、今でも分からない」と法廷で述べた。
仲間に対する攻撃は、友情と裏腹の関係にあるとする説もあるが、人間だれでもにひそむ暴力について、現在、脳の科学はほとんど語ってくれない。しかし、動物が攻撃行動する時に、脳内で何が起きているのかを描く力は持ち始めた。
乳離れしたばかりのネズミを数週間仲間から離して育てると、かなりの割合で攻撃的な性格になる。普通ならばそんなことをしないシロネズミでも、隔離しておくと同じ檻に入れた小型のハツカネズミをかみ殺してしまう。シロネズミ同士にすると猛然と戦う。
佐賀県東部の東背振村にある国立肥前療養所の内村英幸所長(精神医学)のグループは、ネズミの脳で起こる物質の変化を調べている。内村さんらの道具は、かみそりの刃をペンチで細かく砕いてガラス管の先に植え込んだマイクロナイフと、頭髪をループ状にしてやはりガラス管の先端に付けた「フォーク」だ。摘出した脳を凍結、まずカミソリで1ミリの数十分の一に薄く切って真空乾燥する。それを顕微鏡で見ながら、特製のナイフとフォークで、嗅覚を中心に、必要な部分を切り分けていく。
ネズミは、仲間がいるかどうかを嗅覚で見分ける。鼻でとらえた仲間の情報は、まず脳の前部に突き出た嗅球という部分に入り、その後ろにある嗅結節と呼ぶ神経細胞の塊を経て大脳前部に届く。情報が伝わるといっても、神経細胞のつなぎ目にわずかなすき間があり、一方の細胞からいろいろな物質が放出されて、それを次の細胞が受け取ることで信号が伝わっていく。この物質を神経伝達物質と呼ぶ。
「隔離ネズミは嗅結節で神経伝達物質が増産され、異常な興奮状態になっている。ネズミは嗅覚を頼りに生きる動物なのに、仲間から離されたために、入ってくるはずのにおいが来ないので、嗅球に『早く情報を送れ』と懸命に催促しているようだ」と内村さん。
情報を総合的に判断する大脳前部も興奮状態にある。また、嗅覚の神経経路や周辺の神経細胞は、情報が来るのを、いまかいまかと待ち構えている。隔離が続くと、この異常な状態が保たれる。そこにハツカネズミや仲間(シロネズミ)が現れると、嗅覚系は新しい刺激で火がついたように活動を始め、普通のネズミに比べて神経伝達物質を2倍も放出する神経が現れる。異常な攻撃行動への暴走である。
阪大人間科学部の糸魚川直祐教授(比較行動学)はニホンザルで隔離飼育の実験を続けている。霊長類のサルが仲間を確認するのは、目で見ることと、皮膚の触れ合いだ。「この二つを絶って隔離飼育すると、半数以上は攻撃的になる。人間なら小学校高学年にあたる2、3歳まで隔離し続けると元に戻りにくい。そうしたサルを数匹いっしょにすると、殺し合いを続ける」という。
サル以上に高度化した人間でも、仲間と生活するために欠かせぬ感覚情報があるはずだ。荒れる学校などの暴力的な世相をみると、何かを得られぬいらだちが見え隠れする。
当時の脳の科学から現在がどれほど進んだか、この分野から長く遠ざかっていて分かりません。ただ、記事は古くなってもサイエンスのファクトは変わるはずもなく、示唆するところは今なお鮮やかだと思います。