第195回「アジアと生きるしかなくも簡単ではない」

 先行きの不透明さが世界全体を覆っている感じがして、すっきりした年明け気分になれそうにありません。世界の成長センター、アジアの一角にいる有利さを生かして行くしか日本の明日はないとは思いますが、ヨーロッパはひとつの理想が体現されつつあるEUと違って、アジアは東アジアというフィールドだけで見ても様々な障壁があります。9日付の朝日新聞「週刊アジア」新年特集号でタイ人の人気作家が「欧州は絶えず域内で交流を繰り返してきたが、アジアの国々は概して隣国に対して互いに冷笑的だった」と指摘しているのを読んで、改めてアジアと生きていく困難さに思い至りました。

 そのアジアも急速に変わりつつあります。同じ紙面に取り上げられている携帯電話の普及率推移を見ただけでも歴然です。2003年と2008年の比較で、日本の(68%→83%)に対して中国(21→48)、インド(2→29)、インドネシア(9→61)、タイ(35→96)といった数字が並びます。激変と言うべきです。年末から年始にかけてネットで集めたアジアを考える情報を読み解いて行きましょう。

 世界の成長センターぶりを示すGDP推移グラフを国連貿易開発会議(UNCTAD)の情報経済報告2009から引用します。


 2007年のアジアの成長率は2桁台でした。2009年の景気落ち込みで世界全体がマイナス成長、先進国はマイナス4%にもなる中、アジアは5%前後の成長を保ち、2010年には6%を超える見通しです。これに対して先進国側は2010年にゼロ成長に戻るだけです。アフリカはアジアに次ぐのですが、半分くらいのラインを描いています。

 これだけの力を持つようになったのは所得階層の構成がこの10年余りで大幅に改善されたからでしょう。木村福成・慶應大教授の「『アジア諸国』の成長と金融・経済面での日本の役割・課題」に中国とASEAN、インドの4人家族の年間家計合計の推移グラフが出ています。1800米ドル以下の貧困層が中国では1995年の54%が2005年に16%まで減り、3000〜12000ドルの中間層が41%から57%に増えました。ASEANではほぼ同時期に貧困層が36%から19%に、中間層が33%から50%になっています。インドは1993年と2004年の比較で、貧困層が49%から42%に、中間層が18%から24%へです。インドは完全に一歩立ち後れています。

 成長しているから単純に善しとしてはいけないことを、日本人なら深刻な環境汚染を起こした高度成長期の経験から知っています。成長が著しいアジアであるからこそ表裏になっている環境問題をリードし、手を貸す必要があります。しかし、これが簡単ではないのです。植田和弘・京大教授が《「成長」「脆弱」に揺れるアジア 「アジア環境庁」創設の提言》で中国の研究者が報告した例を取り上げ「環境運動のより本格的な進展には大きな壁がある、と陳雲副教授は指摘する。地方自治や民主主義制度という社会的・政治的基盤が整わなければ、これ以上の進展は難しいかもしれないというのである」と述べています。公害被害者が泣き寝入りするしかない社会状況がアジアのあちこちで見られます。

 鳩山首相提唱の東アジア共同体構想はまだ中身が見えませんが、第一生命経済研究所の《アジア経済事情:「東アジア共同体」と政府の成長戦略》は先回りして対応策を考えています。日本は東アジア域内諸国への輸出が全体の4割を超えるほどにもなっているのに、自由貿易協定推進など貿易障壁を取り除く政府の取り組みが諸外国に比べ遅れています。「国内の反発が予想されることから一段と困難が予想される。政府には、日本経済の将来像を見据え、そのボトルネックになっている課題の解消に向けて、果断な政治的リーダーシップを採ることが期待される」と主張しています。

 年明けのニュースで《ノーベル賞学者、「2040年の中国人は日本人よりも遥かに裕福」と予測》を見て、苦笑してしまいました。いま8兆ドル弱の中国GDPが123兆ドルにもなるとの予測ですが、資源の限界を考えない暴論でしょう。もう資源量の限界があちこちで露呈し始めています。成長するアジアでどう分け合って使うか、これも頭が痛い問題です。