第319回「福島原発の放射能早期流出、防災計画に大影響」

 福島原発事故から1年半も経過して「事故翌日 双葉町1590マイクロシーベルト」(東京新聞)との驚くべき数字が公表されました。公衆の年間被曝限度を40分ほどで浴びてしまう高線量で、資料を見直すとさらに高濃度の放射能の雲が原発から流出したのは確実です。その範囲は25キロにも及び、今後の防災対策では30キロ圏内は事故があれば直ちに退去すべきとなるでしょう。避難人口が膨大になり、足の確保など地域の防災計画に根本的で大きな見直しが迫られます。

 震災や地震で事故当時に記録が回収できなかったモニタリングポスト25カ所について、福島県は「昨年三月十一日から同三十一日までの、放射性物質の飛散状況をモニタリングポストで観測した結果を公表した。空間放射線量の最大値は、原発から北西に約五・六キロの双葉町上羽鳥で、十二日午後三時に毎時一五九〇マイクロシーベルトを記録した」。下のグラフが上羽鳥での変化です。  格納容器の圧力を下げる大規模な蒸気排出「ベント」が1号機で午後2時半ごろに実施され、流出した放射能の雲が襲来した結果です。午前10時にも毎時6.9マイクロシーベルトのピークがあり、こちらは中途半端なベントで失敗した時刻と一致しました。  午後2時半ごろ実施のベントで雲はどう流れたのか、上の地図を見てください。東電が「福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について」で公表しています。双葉町役場の東側を北へ流れ、浪江町を経て午後5時過ぎには南相馬市役所付近に達しました。上羽鳥モニタリングポストは双葉町役場から西に1キロ以上離れています。放射能の雲は真上を通っておらず、雲の直下はさらに高線量だったはずです。ベントでの放出量は希ガス3000兆ベクレル、ヨウ素131が500兆ベクレル、セシウム134が10兆ベクレル、セシウム137が8兆ベクレルという膨大なものでした。

 この時刻、住民の避難は原発から10キロ圏内に限られていました。20キロ圏内の立ち退きが指示されるのは午後6時25分です。ところが、今回のデータで超高線量の雲が既に20キロ圏を超えていた恐怖が判明しました。原発側で把握できていなかったのでしょうか。福島第一原発モニタリングポストの配置は以下の通りです。  1号機の北側で生きていたモニタリングポストは「MP−4」だけで、ベントの際に毎時1050マイクロシーベルトのピークを記録しています。しかし、放出高度が120メートルと高く、真北に流れた経路から西に外れていたためにモニターしきれていません。本来は放射能の雲の線量を把握して風向きから関係自治体に警告を発すべきなのに、監視体制は全くのザル体制だったと言わざるを得ません。まさしく緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム「SPEEDI」の出番だったのです。新しくできた原子力規制委員会は「防災計画も整わなければ原発再稼働はない」と明言しています。

 【参照】「SPEEDIデータ隠しで乳児を犠牲にした政府」
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