第488回「国立大の2016年研究崩壊に在京メディア無理解」

 中央官庁の官僚から教えてもらって記事を書く在京マスメディアは2016年に迫った国立大学改革による研究崩壊を理解できません。ところが今年の科学技術白書は「基礎研究力の低下が懸念」と明記しているのです。人文社会科学系や教員養成系の学部・大学院に対し社会的要請の高い分野に転換するよう見直しを迫った点だけがクローズアップされ、国立大を3ランクの枠組みに再編し、取り組みを評価した大学に運営交付金を重点配分する方針が持つ破壊的な作用が見えなくなっています。世界のトップクラスを目指す有力大学に資金が集中され、その他大勢は人件費も危うくなって研究どころではなくなるはずです。  文部科学省が作った平成27年版科学技術白書から論文数の世界シェアグラフを引用しました。2000年頃に10%くらいまで高まったシェアが最近は7%ほどに落ちています。第435回「2016年に国立大の研究崩壊へ引き金が引かれる」に掲げた論文数の推移グラフは日本だけが特異に減少していました。シェアにすると英独仏も下がり気味になりますが、日本の下降カーブは極端で、このまま将来まで下降を延長すると恐ろしい結果になると思わせます。まさに科学技術立国どころでなくなります。

 科学技術白書も「論文数の国際的なシェアを見ると、いずれの指標も相対的に低下傾向にあり(第1-2-3図)、我が国の基礎研究力の低下が懸念される」と率直に認めています。「こうした状況の背景として、量的側面に関しては、主に大学の研究開発費の伸びが主要国と比較して低い」とし、「国立大学法人化及び独立行政法人化以降、国立大学及び国立研究開発法人の運営費交付金がほぼ毎年減少してきている(第1-2-17図及び第1-2-18図)。大学においては、これを理由として、教員や研究者等の安定的なポストの減少や事務機能の低下、研究者が腰を据えた研究ができるような経常的研究経費の減少などの問題が生じている」とまで明記しています。白書の主題と離れた部分ではあるものの、よく正直に書いたと言えます。

 文科官僚が上記のように説明していたならメディアも間違わないのですが、読売の社説《国立大学改革 人文系を安易に切り捨てるな》を見ると、全く違う話を聞いているようです。《2004年度の国立大学法人化により、大学の運営や財務は自由度が高まった》とは、大学の現場を知らないで書いている愚かさが歴然です。《大学が、グローバルに活躍する人材や地方創生の担い手を育成する機能への期待は大きい。文科省が今回の通知で、各大学に改めて、強みや特色を明確に打ち出すよう促したのは理解できる》と持ち上げ、《厳しい財政事情を踏まえれば、メリハリをつけた予算配分も大切だろう。ただ、「社会的要請」を読み誤って、人文社会系の学問を切り捨てれば、大学教育が底の浅いものになりかねない》と批判のふりをして見せます。

 社説では北海道新聞の《国立大「改革」 無理ある要請だ。撤回を》が真っ当な主張をしています。《文科省の方針の下敷きには政府の産業競争力会議からの要請がある。4月の会議で、大学の役割を明確にし交付金の配分にメリハリを付ける方向を打ち出した。そもそもそれが筋違いで無理がある。04年に国立大学が法人化された際、各大学が独自性を発展させ、主体的に研究を切磋琢磨(せっさたくま)する将来像を多くの教員が描いたはずだ。その期待を裏切るばかりか、反対の方向に向かうようでは大学の未来は危うい》

 既に人材は離れつつあります。第480回「瓦解していく科学技術立国、博士進学者は激減」で指摘した通りです。科学技術白書はこの点でも信じられぬほど率直です。「大学や研究開発法人の基盤的経費の減少等を理由として、若手が挑戦できる安定的なポストが大幅に減少している」「こうしたことにより、近年、博士課程への進学者が減少傾向にあり、望ましい能力を持つ学生が博士課程を目指さなくなっているとの指摘もある」

 白書にここまで書くのなら、メディアの記者にもどうして説明してやらないのかです。書いたのは文科省の主流ではないのかも知れませんが、自分で勉強しない記者側の不甲斐なさを思わずにいられません。