第669回「皇帝習近平は定年延長で民から1424兆円奪えるか」

 
 習近平総書記の3期目突入、事実上の終身化を前に中国の定年退職年齢引き上げ問題が頭をもたげて来ました。中国社会科学院教授の推計でベビーブーマー退職が始まる2022年から定年延長移行措置を始めないと2050年までに年金資金不足は累計1736兆円に達し、延長が出来れば312兆円で収まると判明しました。差し引き1424兆円を庶民の懐から奪う計算です。善政を敷いて天子になるのが中国皇帝の姿だったのに、とんでもない不人気政策が「皇帝就任」とセットになります。先行して3月に江蘇省で始まった定年退職年齢延長は本人の希望優先と恐る恐るであり、提唱されているような現在定年55歳の女性は3年ごと、60歳の男性は6年ごとに1歳ずつ引き上げて65歳に統一するといったドラスティックな措置ではありません。

 復旦金融評論に掲載された中国社会科学院政府管理学院の鄭秉文教授による《定年延長は年金基金にどう響くか》(中国語)で示されている定年延長の有無による年金不足比較グラフを掲げます。  中国元を日本円に直すには20倍する換算です。検討対象は都市部職員基礎年金保険で2020年には4億5600万人が加入しています。これは日本の厚生年金に相当し、農村部の年金は創設間がなく貧弱でわずかな支給しかありません。現行のままなら2035年に資金は枯渇して2040年代は毎年100兆円以上もの赤字が発生します。社会科学院提唱の定年延長の改革が実現した場合、赤字幅は劇的に減ります。もしも改革なしで推移するなら2050年までの1736兆円赤字に対処するために「現在の価値で400兆円の資金準備が必要」と指摘されています。日本の年間GDPが550兆円程度なのでその莫大さが分かります。  2010年の国勢調査による5歳区分の年齢構成を掲げました。ここで45-49歳層の女性は55歳から受給なので2020年に年金受給者側に入っています。残りの男性側から下の年代が最大のピークを形成しています。毎年2000万から2700万人の新規受給者が雪崩れ込みます。一人っ子政策による少子化などで若い世代はずっと減っており、現役組が高齢者を支える構図に激変が起きます。鄭秉文教授は年金制度に加入しても5500万人が保険料を払っていないと分析し、これを加味すると定年延長無しでは2050年に現役1.04人で高齢者1人を支える最悪状態なると言います。もし延長が実現すれば現役1.5人で1人を支える構図に改善できます。

 鄭秉文教授は現在、年金資金残高が4.8兆元あるとの前提で推計していますが、実はその大半は存在しない恐れが強いのです。2020年の第624回「14億人中国の暗雲:男女人口大差と年金使い込み」で中国人研究者博士論文を引用して論じた通り、地方政府が預かっている個人積み立て口座が勝手に使い込まれています。2014年時点で3.6兆元も使い込まれ、公務員に支給したボーナスを返還させるほど困窮している地方政府が穴埋めしているとは思えません。

 今年の大卒者は1076万人もいて尋常でない就職難になっており、定年延長は就職難をさらに悪化させます。一方で年金財政枯渇も待ったなしであり、放置すれば傷が大きく深まります。習近平皇帝化は大変な年にめぐり合わせたようです。

 定年延長の評判について、ダイヤモンドオンラインの《中国でもいよいよ「定年延長」、日本と違って猛反対が多い理由》で王青・日中福祉プランニング代表がこう述べています。

 《先述したように、日本とは反対に、中国はほとんどの人が「退職年齢の延長」に反対している。中国のある調査機関の調査では、その割合が80%である。その理由をざっとまとめると、「年金をもらう年数が少なくなり損する」「家族と一緒にいる時間が欲しい」「第2の人生を旅行や趣味などで楽しみたい」「体力に自信がない」などが挙げられる》《多くの高齢者が喜んで孫の面倒を見たがり、これを「生きがい」と感じる。ゆえに、退職後の生活をとても楽しみにしているのだ》

 中国の平均寿命が78歳しかなく、65歳定年では年金受給期間が短いのも延長反対の理由になっています。日本の平均寿命は84歳を超えていて差は歴然です。こうした事情から欧米先進国並みの定年にすると言っても説得力が無く、また民主主義体制でみんなで決めたから従う仕組みでもない中国ですから、個人の懐具合や老後の楽しみを強権的に制限するのは難しいのではないでしょうか。年金巨大赤字の全体像が今回のように示された例も無かったと言えますが、権威主義の独裁国家では国民がこれを見て判断する仕掛けが存在しません。