第2回「100校プロジェクトと教育現場」
春先のある日、新宿の京王プラザホテルで行なわれた「100校プロジェクト成果発表会」に詰めかけた1,000人を超える先生たちの発する熱気は、遠い昔の先生たちを思い出させるものがあった。規則だらけの学校生活から逃れるチャンスをつかんで、自由の空気を吸い始めた人たちの匂いだと思う。海外からもプロジェクト参加校へ見学者が訪れ始め、教育現場の期待の星になった感じさえする「100校プロジェクト」と、中学校へのコンピュータ本格導入だった「情報基礎」授業とから、今、教育現場で起きていることを考えたい。
◆文部官僚たちの失策
'93年度から、中学校の授業として技術家庭科の「情報基礎」領域が新設された。それまでコンピュータ教育は、各教科の先生が自分なりのアイデアで細々と実験的な試みをする程度のものだった。正規の科目として学校教育に入っただけでも大きな変革だったかもしれない。しかし、あまりにも大きくボタンを掛け違えての出発だった。
最大の問題点はコンピュータ教育を、読み書きそろばんと同じ感覚で導入しようとした錯誤にある。教育である以上、コンピュータも「読み書き」できるようにすべきだ。コンピュータの読み書きとはプログラミングできること=新学習指導要領の短絡した発想が、数学科でも理科でも英語科でも国語科でもなく、技術家庭科の先生に、初めてコンピュータに接触する子供にコンピュータを教えさせる道を設定してしまった。
技術家庭科の先生には、とても真面目なタイプの人が多い。たとえば、技術教育研究会「技術のおもしろ教材集」ページに紹介されている「交通信号のプログラムをつくろう」などを見て、改めてそう感じる。こうした工夫をしない先生は、学校に与えられるソフトウェア予算の不足もあって、子供にいきなりBASIC言語を教えて、図形を描かせたりすることになった。今ではほとんど見向きもされなくなったBASICでなく、C言語とかなら望ましいだろうか。子供向けのかわいい言語ソフトも生まれた。
いや、大多数の子にはプログラミングなど教える必要はないのではないか。大人になった彼らがそれを使う可能性はほとんどない。遠い将来を見通して、コンピュータ利用の柔軟なイメージを形成する教育こそ必要なのではないか。私は'92年2月に夕刊に書いた署名記事で警鐘を鳴らした。「コンピュータ嫌いを生む恐れがある」と。あれから現場のウォッチは続けているが、いい成果を生みだしているようには見えない。
◆100校プロジェクトも危うかった
文部省と通産省の予算持ちで、全国から選んだ小中高校100校にインターネットと接続させるプロジェクト「100校プロジェクト」。気前よく聞こえるが、現在のインターネットの隆盛は予想もされておらず、'94年に持ち上がった当初の構想はかなり貧弱なものだった。参加が決まった111校の希望に押されてみんなが情報発信可能なサーバーが持てるようになったが、当初7割の学校は単にアクセス可能でいいとしていた。パソコン機器は1サーバーと1クライアントが支給されるだけで、先生たちは必死の工夫をして旧式の80386パソコンを接続したり、パソコンの新規購入に走り回って何とかネットワークらしいものにしていった。「Windows 95が登場してこなかったら、とても素人の手に負えなかった」という声を何人もから聞いている。実は過半数の学校はアナログ回線でインターネットと接続してあるだけで、その通信速度は回線事情が悪いために実質で16kbpsくらいと報告している学校さえある。パソコンを何10台も従えていると20分に一度くらいしか応答しないありさまだ。'95年11月時点の参加校による利用調査で、そのあらましが知れる。
それでも外の世界と結ばれてみると、想像以上の力を発揮し始めた。先生1人ずつが教材を工夫することはこれまでもあったが、1人の力は知れている。それがネットワーク化されていると、生徒側は1つのテーマを追って全国の先生が作ったものを見て回ることができる。さらに積極的に多彩な分野の専門家をプールしておいて、生徒側が選んで質問のメールを出す「全国おたずねメール」など、意欲的な取り組み方をしている大津市の平野小を好例として挙げたい。ここは回線事情も比較的よい。
予期せぬ事件が起きた例は、広島市の鈴張小だろう。原爆の子の像をめぐって始めた千羽鶴プロジェクトで戦争と平和について声を集めていたら、ハーバード大助教授から「ドイツ人は悪いことをしたと世界に謝り、犠牲者に償いをする正義感と勇気がありました。しかし、不幸なことに日本人はどんなこともしていません」と、厳しい指摘のメールがやってきた。文部省が検定する教科書の範囲を越えた、生きのよい教材が易々と学校の中に侵入してくるのだ。
◆窒息しかけていた学校
大阪教育大の報告などによると、インターネットに接続している学校数は'97年2月末現在で1,600校くらいだという。100校プロジェクトに続いて、NTTなどの企業群が1,000校を支援する「こねっと・プラン」が離陸し始めているから、毎週30校くらいずつ増えているらしい。それを除くと、どのプロジェクトにも属さないで自主的に始めた学校が、すでに1,000校以上存在する計算になる。一時の流行だろうか。
かつて校内暴力などで荒れる中学・高校を押さえ込む過程で、学校内の管理が厳しくなり、スポーツ部活動を盛んにして生徒を囲い込む手段が奨励された。進学指導一本やりの学校でなければ、先生たちも休みを返上してまで部活に力を入れさせられた。一方で、教育委員会や管理職から教育内容にまでわたる締め付け、教職員組合の無力化と、私の目には先生たちは窒息しかけていたように見える。先生1人1人が創意工夫する教育の自由を取り戻すきっかけとして、インターネットへの接続が利用されようとしているのではないか。そして、生徒自身にも学ぶ自由がやってくる。
クリントン政権は、2000年にはすべての学校をインターネットに接続すると表明した。ニュースを聞くと大変な決断に見えるが、米教育省調べによると、'95年段階ですでに米国の公立学校の半分が接続済みだ。これに対して、日本国内の学校数は文部省調べで小中高だけで41,000校を超えているから、この春でインターネット接続率はざっと4%。2年の時間差を持つとはいえ現時点での差があまりに大きい。
「100校プロジェクト成果発表会」全体会での、通産省と文部省の担当課長のあいさつは対照的だった。通産省の情報処理振興課長は結婚式の披露宴のように褒めちぎる上機嫌ぶり。しかし、文部省の中学校課長は予想外に苦渋に満ちていた。「学校には、17%しかコンピュータを使える先生はいない。評価が定まったものを使って最大の効用をあげるのが教育のやり方であり、多くのところには少し遅れてついてきてもらうのもやむを得ないかもしれない」。
私にはお金や人材だけの問題とは思えなかった。