第8回「臓器移植法と脳死・移植の行方」
◆対立構図は解けず
脳死移植について、積極的な批判を展開してきたのは阿部知子・小児科医らのグループだ。「政治へのメッセージ」に新聞への意見広告掲載など、さまざまな動きが記録されている。厚生大臣への質問状から「私共は、一人の人間の死の上にしか成り立たない脳死を前提として臓器移植は基本的に『医療』としての普遍性を持たない、極めて限局的なものと考えます。またそのことの及ぼす社会・文化的混乱と弊害は、歴史上類をみない程深刻なものと考えます」。資料類の中の「臓器移植立法ではなく『人権監視委員会』の設置を」という見出しが、批判が何よりも医療への不信に根ざしていることを明言している。
それに対して、移植推進グループもインターネット上で実に本格的な情報提供を始めている。「臓器移植の情報サイト」に集められている資料類は、科学部記者をしていても、かなり汗をかかなければそろえられないほど厚みがある。その中で、論争に直接応じているのが「臓器移植批判に反論する」だ。「脳死は好むと好まざるとに関わらず、医学的に厳然として存在する事実であり、脳死に陥ったと考えられる患者に対しては脳死判定を行い、その結果を家族に告げる診療上の義務がある。すなわち脳死判定は診療行為の一環として行われることであり、臓器提供の有無とは一切関係ない」。
ここに、追加するとすれば、素人の立場から出発して勉強した考えを披露している「脳死とその周辺」あたり。「僕が始めて脳死について読んだのは、厚生省基準とか竹内基準と呼ばれる、今の日本で標準的な脳死判定の基準を作った竹内一夫氏の書かれた本だ。残念ながらその本は、脳死が人の死であることを僕に納得させてくれはしなかったのだ」。宗教者の発言としては善照寺の今岡達雄住職「世相を診る」。「高度な医療は助かるべき人を助けるという大きな目標を実行するために必要な行為ですが、死を受け入れる準備も同じように必要なことです。臓器移植と脳死の問題はこの一線を越えているような気がします」。
◆足りなかった科学者の謙虚さ
脳死判定基準については「救急医学からみた脳死」がよい。ここでは脳死に至るまでの脳波の波形まで見せながら、解説がある。そして、厚生省基準=竹内基準への最初の大きな疑問材料になった聴性脳幹反射についても詳しい説明が付いている。脳死に陥ると、大脳活動を反映している脳波は平坦になってしまうが、耳元でクリック音を聞かせると波が発生する。この反応が、竹内基準を満たした脳死体からも相当数出てくることが知られると、疑問の声が噴出した。「I波からV波までは、脳幹のどの部位で発生するかが分かっているが、VI、VII波の由来は定かではない」。脳についてそういう知識レベルなのに、判定基準に入れなくて良いのか。大半の病院は判定基準に、この反応が出なくなることを追加した。
しかし、竹内氏は臓器移植法案を審議する衆院厚生委員会の参考人として発言、この反射反応を判定基準に加える必要はないとの立場を変えなかった。最近では脳低体温療法で脳内の圧力を下げてやると、普通なら脳死になる寸前の患者が土壇場で踏みとどまって奇跡的に回復する例が報告され、再び懐疑の声が高まった。この周辺のやり取りは三重大医学部の「脳死の判定基準」にある。
脳神経外科の老権威、竹内氏には、自分の基準を満たした患者は「ノー・リターン」なのだとの確信があるのだろう。厚生省もこの権威に寄りかかっている。ここに、国内の脳死議論が行き違ってしまう原点があったと思う。
医者にとっては「ノー・リターン」状態は「死」かもしれないが、患者と家族にとっては直ちに「死」ではない。戻ってこないかもしれないが、完全に彼岸に行ってしまったのではない、そんな中間状態を経て死に至るというのは、日本人にとってなじみの死生観念である。中間状態を思わせるものが科学的な観察として報告されると、心情的に厚生省判定基準は「死の判定」としては受け入れられない。欧米がそうしているからいいだろうでは済まない問題がある。せめて、「私たちの判定はノー・リターンを保証したものにすぎません。患者さんが死の淵をさまよいながら、何かの意識を持つといったこともあるかもしれませんが、それは現代医学では不可知なことです」と、分からないことは分からないと明言する科学者の謙虚さをもって説明してくれていたなら、事態は大幅に変わったはずだ。現在の脳死判定技術で「全部の脳が死んだ」と宣告できると強弁して変えない、私に言わせると非科学的な態度の結果、それなら、脳死判定をするのは臓器提供意思のある人に限りなさいという法律ができたのだ。
年間に発生する脳死患者の数については「救急医学からみた脳死」にある。「年間の脳死患者の発生数は、3,000〜4,000と推定されている。厚生省調査によるデータでは年間1,695例と報告されている」。たとえば人口の1%120万人にドナーカードを持たせることがどれほど大変かは、脳死でなくて移植可能な腎臓の場合で明らかだ。しかも脳死判定受け入れ意思まで明言したカードだから、全くゼロからの出発になる。1%所持が可能としても年間のドナー候補は30人か40人。病気、高齢などドナーとして不適な人も多い。家族の了解も要る。どんなに多くてもドナーは半分以下だろう。「心臓移植数」を見ていただこう。年間1,000例、2,000例の欧米とは比較になるまい。例外的医療と断じる由縁だ。
◆別の窓が開かれた
脳死臓器移植の狙う主なものは心臓と肝臓だ。心臓移植の対象疾患のうち半ばを占める拡張型心筋症の患者に、新たな希望が現われた。ブラジルで開発されたバチスタ手術、心筋が拡張して血液送り出す力が弱くなった左心室の一部を切り取り、縮小することでポンプ機能を強化させる手術の登場である。湘南鎌倉総合病院の広報資料にあるとおり、5人の末期患者に行なって、最初の1人は死亡、3人は元気に退院した。ある意味で心臓移植のために作られたとも言える国立循環器病センター(大阪・吹田)は臓器移植法成立の前日、倫理委でこの手術の実施を承認した。
一方、肝臓には生体部分肝移植がある。「世界の生体肝移植」にあるように、昨年までに世界で800例の手術があり、過半を国内で実施した。年間3,000例もある米国での脳死肝移植には比べられないが、医療として国内に定着したことに異論はない。肝臓は体内の大化学工場で、必要な能力の3倍の余力がある。健康な人から3分の1ほど切り取らせてもらい、移植する。今のところ、胆道閉鎖症という先天的な疾患に苦しむ子供のために、親が提供する形が大半だ。近親者であるため拒絶反応が弱いこと、安定状態での移植など独自の利点がある。
国内の第1例は'89年に島根医大であったが失敗。しかし、2例目を引き継いだ京大は圧倒的な成功率(生存率85%前後)で有無を言わさなかった。「国内の生体部分肝移植実施状況〔大学別・年度別〕」。京大に続いて3例目に取り組んだ信州大の「信州大学における生体部分肝移植症例」は、移植対象が子供から成人に拡大したことを明確にしている。オーストラリアでこの手術法に世界で初めて成功したチームの一員、松波英寿医師が「肝移植の現況」で、その間の事情を話してくれる。
話の結びに、国立の3大学、東大、京大、阪大がこの肝臓移植で演じた役割を、多くの関係者と長い期間にわたって会ってきた私の視点からまとめておきたい。
移植医療に最も熱心だったのは疑いもなく阪大だった。東大はこのギャンブルのような仕事を避け続けた。世界で何千、何万と行なわれている手術を国内で初めて成功させても、世界に通用する論文にはなるまい。臨床の先生まで基礎医学系の仕事に目を向けがちな京大も、あまり熱心ではなかった。それが、生体肝移植手術の可能性をいち早く知ると、当時の小沢和恵教授の指導下、恐るべき組織力に独自の改良も施して生体肝移植の世界的パイオニアになってしまった。単発の局地戦で散ってしまった島根医大とは違う、古い講座の総力を傾けて粛々とひたひたと押す仕事ぶりだった。肝臓全体を移植する脳死移植よりずっと難しく、日本人好みだったのかもしれない。それは関係者が討論している「世界視野からの肝移植治療」で、伺い知れよう。
東大は少し遅れて幕内雅敏教授を系列の信州大に送り込み、「本店」でのリスクは避けながら、松波医師らの協力もあって生体肝移植で新たな地歩を築いた。幕内教授は東大に戻って、仕事を発展させている。脳死肝移植一筋できた阪大には、もう「国内初」という狙い目しか残っていない。京大の移植の初期、蒸し暑い臨設プレスルームで手術の経過を見守っていると、京大側の手術スケジュールに早すぎるところがある。大きな血管をつないでおしまいという心臓移植と違って、肝臓移植は無数にある血管を丁寧に始末し、きれいに仕上げることが患者の術後状態に直結する。かつて阪大で取材した想定経過からみて妥当なのはこの時間、と考えると、ほとんどその通りに修正され、進行していくのに舌を巻いた経験がある。まだ一度も実際に手術をしていない阪大と、実力にそんなに違いがあったとは思えない。近代日本を支えるために作られた、いわば長男、次男、三男の相克は、それぞれが背負った背景に縛られたドラマなのだが、学問の世界も経営戦略だと改めて思い知らされる。