第12回「VTR・技術立国の栄光その後」

 「AV」と書いて、何の略だと思われるだろうか。主流は「アダルト・ビデオ」で、「オーディオ・ビジュアル」と読むのは少数派になったのではあるまいか。そう思わせるほど、専門誌以外の場所で「AV」の文字に出合うことが少なくなった。もちろん、AVについては盛んに取り上げられていて、この節「AVマニア」だと言おうものなら、とんでもない誤解を受ける恐れがあるので、ご用心。どちらにせよ「V」はビデオであり、VTRの「V」。'80年代には造り手も買い手も、現在のパソコン並ともいえる熱の入れようだったVTRは、今どうなっているのか。メディアの話題にはならなくなったが、この国が次の世紀をどう生きるか、キーになる存在だと思う。

◆世界需要を一国で賄う

 古典的なVTRマニアには、ソニー開発のベータ方式と日本ビクター開発のVHS方式の、主導権争いの場面から始めないと納得してもらえないかもしれない。そのあたりの事情まで含めて「でんきのまち 大阪・日本橋物語」から「ポスト・カラーテレビはVTR」が、平成に至るまでのVTR一族の浮沈を活写している。「一時は三十社近くがVTR市場にひしめくまでになっていた。それほどまでにVTR市場は魅力的であった。需要は国内にとどまらない。家庭用VTRはわが国の開発品である。国内外でのファミリーづくりによる量の確保、生産の習熟効果などで日本勢は外国メーカーを圧倒し、世界需要の実に九五パーセント以上を供給する基地となった。VTRは、わが国の家電産業史上例を見ない、空前の独占的商品になったのである」

 日本電子機械工業会「生活の中の電子工業」に、民生用電子機器の普及率や価格の推移がまとめられている。VTRは'88年に普及50%を超え、翌年にはステレオを追い越した。最近では70%台に上がったまま、頭打ち状態になっている。ところが、価格のほうは'90年を「100」とすると、'95年は「54」まで下がった。そこまでなったのに「1997年電子工業生産見通し」では年々、生産が減っているのだ。かつての栄光はどうなったのか。

 「海外生産状況」に、その秘密がある。この10年来、急速に海外生産が拡大した。国内と海外では集計時期が多少ずれているが、目をつぶって年ごとの合計も出してみた。

 見事に、合計では年間3000万台を維持し続けているのだ。競争相手は増えたが、まだ世界需要の過半を満たしている。

◆難しかった技術移転

 年の初め、ちょっとショックを受けたニュースがあった。三菱電機が民生用の据え置き型VTRの国内生産から撤退し、高画質のS-VHS機までマレーシア工場からの逆輸入にするという。もともとベータ派だった私がVHSに移ったのは、開発メーカーも驚くほどの画質・音質や使い勝手を、三菱電機がものにしたからだ。全盛時の三菱の話で、現在の機種については必ずしも当てはまらないが、S-VHS登場前後、VTR世界の一方の旗頭は紛れもなく三菱だった。高画質の取材に訪ねると、なんとCDからVTRに音楽を録音して「再生音がどうだ」と真顔で聞いてきた。彼らのVTRは今も私の音楽鑑賞の道具になっている。

 VTR開発部門には、そんな凝り性の技術陣があちこちのメーカーにいた印象がある。加えて量産効果による価格の低下がある。'87年版通商白書から「主要製品の生産量と単価の推移」が日本的生産華やかかりしころを伝える。しかし、円高の急進行には太刀打ちできなかった。

 '92年版通商白書「二度の転換を経た我が国の国際分業体制」は言う。「80年代後半の国内需要の高付加価値製品へのシフトと円高の進展による海外生産の有利化のなかで、企業は、標準的製品、量産品等の価格競争の要素が大きい製品分野における製造拠点を、国内から東南アジア地域に移転する動きを加速した。我が国製造業部門におけるアウトソーシングは、技術移転をともなう直接投資の拡大を中心として行われ、完成品メーカーのアッセンブリラインのみならず、部品メーカーの海外生産も進んだ」

 しかし、先行したカラーテレビ、ラジカセなどに比べてVTRの生産移転は容易ではなかった。'93年版通商白書「工程間貿易の浸透」はきめ細かな国際分業が進行しているとし、「我が国の部品・半製品輸出の現状についてより詳細に見てみると、先ず、財別には、92年時点での我が国の部品・半製品輸出のうち、VTR、テレビ等音響映像機器部品・半導体などの電気機械機器部品が43.7%(80年40.8%)と高いシェアを占めており、次いで原動機・内燃機関・工作機械部品・コンピュータ部品等一般機械機器部品が32.0%(同37.3%)、自動車部品・航空機部品等輸送機械機器部品が16.0%(同13.1%)、時計・カメラ部品等精密機械機器部品が8.3%(同8.8%)となっている。(中略)完成品を含めた財別の輸出額に占める部品輸出比率を見ると、一般機械機器を除き、80年代中頃から上昇傾向を示しており、特に電気機械機器においては、近年では総輸出の約5割が部品・半製品輸出となっている」と述べる。VTRには海外で生産しきれない高度な基幹部品があり、半製品として供給する時期が続いた。

◆ミクロン技術の結晶

 1000分の1ミリが1ミクロン。VHSの3倍モードではテープ上に記録している幅は、たったの19ミクロンしかない。これで実際上は十分な画質と音質を提供するまでになった。CDのようにレーザー光線を使うならそう難しくはないが、VTRでは軟らかなテープと磁気ヘッドが接触して、この精度を出す。

 カセットテープレコーダーと違って、VTRの磁気ヘッドは外から見えていない。テープ入れの窓からのぞくと、円筒のドラムが見える。シリンダーとも呼ぶが、あのドラムの中にヘッドは埋め込まれている。テープはドラムに沿って走るのだが、ドラムには接触せず、宙に浮いている。ドラムが高速で回転して、テープとの間に空気を巻き込むのだ。浮き上がりの高さはテープの厚みとほぼ同じ20ミクロンほど。磁気ヘッドはドラムからわずかに突き出していて、浮いているテープを繰り返し斜めに横切るから、短いテープがゆっくり走っているのに非常に長い時間、録画再生できる。

 1ミクロンの単位で動く機械は、開発当時は軍需用や研究用の限られたものだった。家庭の中に年に何千万台もの規模でミクロン精度を保証した機械を送り込んだのが、VTRなのだ。画期的という言葉を惜しまない。高精度化はメカニズムにとどまらず、テープの側にも進む。ソニーの「メタル蒸着テープとメタル塗布型テープの差」を見てもらうと、精度は1ミクロンの1000分の1、ナノメートルの単位で語られている。機械部品の微細加工、集積回路、磁性体のみならず、テープのベースフィルムまで含めて、国内には非常に細かな注文に応じられる部品・素材産業の集積があった。注文を受けて納品するだけではない。最終的に製品としてアセンブリーする過程に立ち入ってまで、協力して仕上げが行われる。VTRはそうした風土からしか生まれ得ないものだった。

 韓国をはじめとしたアジアの新興工業国には部品産業の厚みがない。VTR生産の海外移転が容易でなかった理由である。シェアトップの松下電器は比較的早くから海外で一貫生産を目指したが製品の逆輸入はせず、国内販売品は国内生産で別ものという構え。東芝はマレーシア工場で造らせていた基幹部品の回転ドラムを、国内製に戻して高集積化した半製品にしたりと、試行錯誤を繰り返していた。が、最近になって「チャイナページ」の「'97年4月日系企業中国進出状況」は「東芝はビデオドラムの生産を静岡県・富士工場から大連の子会社『東芝大連有限公司』に全面移管した。このほど富士工場の生産分を合わせて年間生産能力を200万個体制を整えた 」と伝えている。

 日本電子機械工業会の「電子産業の事務所数と従業員数」を見よう。「海外シフトが活発になるに伴い、1988年にカラーTVで、1994年にVTRで、海外生産が国内生産を台数ベースで上回」った結果がこうなる。

 国内産業の空洞化を如実に示す数字である。

 デジタルVTRの動きはあるが、AV業界の目はいまデジタル・ビデオ・ディスク、DVDに集まっている。まだスペックが言われるだけで姿を見せていないDVDレコーダーが、簡便な高精度マシンVTRに取って代わる時代が来るのか。今なお相当量の部品・半製品輸出がある中で、移転しにくかったVTRの海外生産がどう落ち着くのか。もう少し注視していたい。