第13回「大学改革は成功するか」
◆地盤沈下の危機感と研究費増
日本は技術立国だったはずなのに、ここ数年、先端分野を中心に相対的な水準低下がはっきりしてきた。先端分野にいる科学技術者に対するアンケートを集計して、日米、日欧の水準を比較した調査がある。「平成8年版科学技術白書」に収録されているものが見やすい。「第1図 基礎研究水準の国際比較」「第2図 応用・開発研究水準の国際比較」とも各分野で年を追うに従って地盤沈下し、もともと米国にはほとんどの分野もかなわない上に、日本優位の分野が多かった対欧州との比較でも劣ると見られだしていることを示す。
国の危機意識は、'95年度補正予算からの研究開発費大盤振る舞いとして現れた。「平成8年科学技術研究調査 結果速報」は「平成7年度の研究費を研究主体別にみると、会社等が9兆3959億円(全体の65.2%)、研究機関が2兆302億円(同14.1%)、大学等が2兆9822億円(同20.7%)となっており、会社等の研究費は4.6%増と4年ぶりの増加。研究機関及び大学等も、それぞれ9.0%増、8.3%増と高い伸びとなっている」と報告、にわかに使い切れないお金がばらまかれる「研究バブル」が始まったことをとらえている。
地盤沈下に研究組織のよどみが響いていることは、研究者の間では前々から指摘されていたことだ。北陸先端科学技術大学院大学ニュースの平成7年8月号にある「対談」にそれが見える。「慶伊=例えば、ドイツでは同じ大学での教授昇任はない。法律で禁止している。反対に、日本の場合は、大概同じ大学から教授が出るという形になっています。アメリカでは、ハーハード大学がその傾向が強いのですが、全体の70%弱です。しかもこれは、いったん外部の機関を経験してからです」「長倉=私もこれは変えるべきだと思っています。教官の任期の問題についても、私自身助手については、任期制のある研究所を経験しているのですが、若い人が例えば5年の期間で転任していくことは、その人にとっても大いにプラスになると思っています。現に分子科学研究所も助手に対しては任期を付けていますし、そのまま上のポストには昇任できないことにしています」
◆研究内容の評価、研究者の評価
高名な研究リーダー2人の話は次のように続く。「慶伊=私の大学でも、助手の任期制を決めています。これは決して追い出すのではなくて、ある段階を経て次の段階へ行くための成長過程でエネルギーを集中してやらせるためなんです。ただ、他の大学が変わっていない段階で一つの大学だけが任期制を導入するのは、東大がやる場合は割にやりやすいが、それだけのプレステージを持っていない大学がやる場合には、上位の大学に教官を送り込むことは不可能になってくるのではないかという反論があります」「長倉=仰せのとおり、一校だけでやるのには困難が伴うと思います。全体でやれば空席が次から次へと流れていくようなものですから、比較的困難を伴わないでできることは明らかです。これは、大学審議会や学術審議会の方でもこれから大いに議論すべき問題の一つだと思います」
その議論がないまま、任期制の法律だけはもう出来上がってしまった。当然ながら、反対の声があちこちから出ている。高知大の教職員組合による「任期制反対署名と組合定期大会決議」には地方大学の苦悩が読みとれる。
教員側に不信感があるのは、この国では研究内容の評価、研究者への評価が学閥や学界の派閥への所属に直結していて、科学の世界の公正な価値観による評価がされていないとの思いがあるからでもある。文部省は公式には否定するが、科学研究費補助金(科研費)が学閥、派閥間の分配になっていることは科学技術分野を本気で取材した記者には常識だ。一例として工学系の「採択実績」を見てほしい。旧七帝大がずらり並ぶ。研究者の申請を審査するのは学界を代表する有力者たちだから、基礎研究資金として貴重な科研費がアイデアだけ斬新な田舎の研究者に渡ることはあまりない。
米国の場合なら申請内容を審査して指導意見が付されたりするが、申請の出しっぱなしで終わる日本では「どうせ無理だろうけど」と、地方や私学の研究者は半ば諦め顔で書類作成をすることになる。研究バブルが始まったといっても、大きくなったパイを既存の配分ルートで配るだけのことだ。
研究者側労組主催の形で科学技術基本計画立案側も招いて、筑波学研都市で「研究評価ワークショップ」が開かれている。科研費に限らない研究費の取り方の日米差について、その「討論3」で「私もかつてコーネルというアメリカの大学にいてUSDAに予算申請を毎年やってました。これは1990年のやつだったと思うんですけれども、55ページにわたるシングルスペースの、言ってみれば冊子のようなものをつくります。これにかける労力たるやすごいわけです。半年ぐらい何らかの形でこれにかかわる。ただ、これで言えるのは、この場合は3年間のUSDAのコンペティティブ・グラントなんですけれども、約1億来る。ですから毎年3,000万ぐらい来るわけです。それを私とボスの教授とで使う。だからそれだけやった価値はあるんです。日本のがどうかといいますと、今うちの研究室で毎年1,000万ぐらい使ってます。こんなには書きませんけども雑多な書類を山ほど書かされて、それがほとんど実にならない。しかも取ってきた何十%ですか、経費に吸い上げられて、何のことはないということなんです」という研究者の発言がある。
国の科学技術会議の下にある「評価指針策定小委員会報告」などに、「評価」を問題にしていこうとする動きがあるが、現状では作文以上のものではない。評価にあたる人材がどこにいるのか、まず問いたいところだ。
◆見落とされている人的資源の配分
新しいデータを探したのだが、これに代わるものが見つけられなかった。5年前の「日本労働研究雑誌」に載っていた以下の分析は、大学改革なり、技術立国なりの現在の議論に大きな見落としがあることを教えてくれる。資料は古めだが、各国とも大きな枠組みに変更はないので現在も十分に通用する。
日本の理学系供給力指数が極端に低く、工学系指数は米国よりも高い。サイエンスの本場英国は流石というしかない。理学のほうが工学より偉いなんて言う気はないが、人的資源の展開戦略を大きく間違えているのだとしたら、知的発見もある程度は確率的なもののはずであり、勝負を最初から放棄していることになる。そう思うのも、私個人の取材経験がベースにある。
科学部に籍を置いていた時期、通算して7年以上、私は国内で開かれる大半の学会の発表抄録集を取り寄せて、自分の担当分野以外も時間の許す限り読み続けていた。理学も工学も医学も、大学会からシンポジウム、研究会まで、事前に入手可能なものは読んでみた。その結果、断言していいと思うのは、工学系学会の発表を見ていると、あまりに多くの人が同じようなテーマを同じような切り口で研究している。しかも相当の水増しがある。何倍にも薄めて、発表件数を増やしている。そうまでするのなら、別の分野に人を回しなさいと言いたいが、理工系の人的資源配分は明治政府以来の近代化策、産業界の要請に沿ったものだ。この時代、個別の企業は従来とは違ったルートで人材採用を模索するが、業界全体としては自分の業界と密接な学科が存在してほしいとの立場は不変だ。
この枠組みを変えるのは10年単位の仕事になる。今回、科学技術基本計画をつくった人たちの発想はそんなに息の長いものではない。筑波のワークショップから「科学技術基本法下での研究評価を考える」に「もう一つは、法律全体について基礎研究への傾斜というのを強調しております。国会議員の先生方の任期が4年ということを考えますと、4年程度で何か結果が出ないと怒られそうな感じがするとなると、この定義のない基礎研究は相当まやかしの基礎研究かもしれないという危惧を私は持っておりますが。もう一つは、そのことを示すものとして基本計画というのがありますが、基本法が制定される際の附帯決議で、10年程度を見通した上での5年間の実施可能な計画をつくれということになっていますので、これは5カ年の実施計画に相当いたします。そうすると5カ年の間に何がしかの結果が出なければいけない」とある。
これは相当な付け焼き刃改革だと思わざるを得ない。大学改革をこれに巻き込んで進めるなら、混乱と基礎体力の消耗、つまり民間への人材流出を招くだけかもしれない。結局、本当に大学改革をするなら、既得権益を放棄する前提で、金融改革で言われている以上の「ビッグバン」を試みるしかないだろう。もし比較的短期で成果を求めるなら、これまで埋もれていた研究分野への思い切った研究費傾斜配分と、工学分野の過剰な人的資源を学部の枠組みは当面そのままにしても基礎的な開発研究に誘導する政策を、直ちに始めるしかないだろう。成果の出方はこれも確率論的世界であり、大成功もあれば大失敗もある。ある程度以上の規模でなければ果実らしいものは得られまい。大蔵省相手にそのリスクヘッジの仕組みを説明でき、学界の有力者を説得できる、見識、人材が、当の研究者と官僚にあればの話だが。