第20回「ダイオキシン過小評価のつけ」

 政府は猛毒物質ダイオキシンのゴミ焼却場などからの排出を規制する「大気汚染防止法の政令改正」を8月26日の閣議で決め、12月1日から施行することになった。大規模焼却場にも「指導」しかせず、事実上、野放しだったダイオキシン排出規制を小規模施設にまで拡大、全国12,000カ所に規制の網を掛ける。「5年後には現在の排出量の9割近くがカットできる」と厚生省は言うが、難分解性の猛毒物質に対して欧米諸国に比べあまりに遅い対策スタートだった。

 問題が一気に顕在化したのは昨年、厚生省が自治体に指示した公共焼却施設の調査で驚くべき濃度の排出が確認されたためだ。4月11日に厚生省が発表した「全国の高濃度ダイオキシン排出72施設」には、宍粟環境美化センター(兵庫県)の排煙1立方メートル当たり990ナノグラム(1ナノは10億分の1、nで表示)を最高に数百ナノグラムのオーダーでずらりと並んでいる。これから新設を認める大型炉の基準は「0.1ナノグラム」だから、途方もない汚染だ。運転を止めさせる緊急対策基準「80ナノグラム」を超えた所が「5月末集計」で「105」カ所もある。宍粟環境美化センターの場合は、詳しくは1号炉が何と1,800ナノグラム、2号炉180ナノグラムだった。周辺の住民は9月11日、焼却炉メーカーに対して建設費の一部3億6,900万円を賠償するよう求める住民訴訟を起こした。

◆無視された超微量分析の意味

 ダイオキシン問題の歴史は長い。「OMPのダイオキシンサーベイランス」の年表にあるとおり、毒性が似ているPCBと絡むように19世紀末から続いており、国内でもPCBによるカネミ米ぬか油中毒事件が'68年に起きた後、ダイオキシンについての報告が散見されるようになる。大きく注目されるようになったのは、'83年に立川涼・愛媛大教授(現在は高知大学長)のグループがゴミ焼却場の飛灰の中からダイオキシンを検出し、学会発表してからだ。

 この年に私は科学部ライターとしての仕事を始めたから、当時の動きを鮮明に覚えている。「ppm」つまり百万分の1の単位で各種汚染濃度を測っていたのに、その1000分の1「ナノ」で測られた数字は、行政側には「そういうこともある」「記録としての意味」くらいにしか受け取られなかった。事実は逆で、あのサリンを問題としない猛毒性の故に、超微量分析に意味があった。愛媛大のほかに摂南大などのグループも動いたが、どちらかというとマイナーな大学の研究者がこつこつとデータを採る時期が長く続くことになる。

 しかし、翌'84年に、今「もののけ姫」が大ヒット中の宮崎駿監督の名作アニメ「風の谷のナウシカ」が現れ、汚染された大地のイメージを強烈に訴えたように、時代の認識はダイオキシンの脅威をはらんで動いていく。土地も水も空気も汚れてしまった世界の浄化を夢見るナウシカの「汚染」は、核によるものというより、ダイオキシン類による方が私のイメージに合った。

 厚生省は'90年になって新設のゴミ焼却炉に対して最初のガイドラインを設けるが、既存の炉については放置したままだったし、1日摂取量の許容基準値を持たなかった。リスク評価のための研究班を設置したのが'95年、「1日体重1キロ当たり10ピコ(1兆分の1、pで表示)グラム」の基準値が提案された昨年になって、それにふさわしい環境条件を達成するための調査が開始され、今度の騒ぎに至ったというわけだ。

 ダイオキシンについて、インターネット上には「Environment」という素晴らしい情報の集積ページがある。先の「高濃度排出施設リスト」のように独自の編集が施してあるので、厚生省のものより見やすい。自分で資料をあたってデータをまとめる手間を知っているので、インターネットでこんな質と量があっさり手に入ってしまうのに、あきれる。例えば過去の経緯や毒性、焼却場からの濃度分布についてのまとめは「資料」を見てもらいたい。

 ただ、あまりに情報が豊富すぎるので、簡単に今の状況を知るページも見つけておいた。「島根県公衛研だよりNo.94」である。世界各国との比較も入り口の知識として、ここにある程度は知っておいて欲しい。国内の大都市の大気平均濃度は世界で悪い方の米国・都市部やドイツ・工業地帯の4倍にも達する。食物から摂取する量も欧州諸国の4割か5割増しだ。母乳中の濃度も散発の測定ながら高い。ただし、データの収集は少数の研究者がしており、全体像を明かしたものではない。

◆毒性の評価方法を読んでみる

 毒性と一口に言っても、多量に飲んで個体が死んでしまう場合の急性毒性から、少量でも発がん性や生殖機能の阻害などじわじわと効いてくる毒性までいろいろとある。厚生省の「ダイオキシンのリスクアセスメントに関する研究班中間報告」は様々な議論をして、先に述べた基準値を導いているが、結果として諸外国の多くの例に合わせた感が強い。「国際的に見たダイオキシン類のTDI等に関する考え方について」にある一覧表を見て欲しいが、オランダなどは最近さらに10分の1に落とした厳しい基準を提案している。

 一方、環境庁は昨年末にまとめた「ダイオキシンリスク評価検討会の中間報告」で、厚生省の基準値の半分にあたる「1日体重1キロ当たり5ピコグラム」を「人の健康を維持するための許容限度ではなく、より積極的に維持されることが望ましい水準」として公表している。これに対しては「付録1 中間報告書に関する質問、意見に対する回答」があり、いろいろな異論や指摘が読める。少々わかりにくい議論が多いのだが、つなぎ合わせて問題の筋道をたどっておきたい。この国の政府の言い分に全面依存できないことは、上述、十数年間の動きを顧みるだけで分かってもらえよう。

 安全な基準を設定するには、多数の人間で試されたことがない以上、動物実験でエサに混ぜる量を下げていき、無害だと保証できる投与量を決めることから始める。上述のようにいろいろな毒性があるから、研究者はいろいろな実験をし、結果を報告している。この無害な投与量が決められたとして、次は安全率を掛ける。安全率の意味は、動物実験がネズミなどで行われ、人間との種差を考えて「10分の1」、同じ人間でも個体差があるとして「さらに10分の1」、毒性が大きい場合や実験の不正確さが入る余地をみて「もう10分の1」と減じていく。この安全率の掛け方は恣意的と言えば恣意的だろう。動物実験は動物の上辺を見ているわけで、精神神経的なところまで異常がないのか判断は無理だ。「10分の1」で人間と一緒にしないでくれと言いたいところだ。とは言え、往々にして安全率として「100分の1」「1000分の1」が採用されるようだ。

 では、安全率を掛ける対象になる、無害と言える投与量はどうだろうか。ここにも議論がある。環境庁の「第4章 ダイオキシン類のリスク評価のまとめ」にある「KocibaのSDラットを用いた長期投与試験(混餌試料・105週)については、ダイオキシン類摂取に係る基準値を設定している全ての国でその根拠に使用されているが、NTP(米国毒性試験計画)がOMラットを用いた長期投与試験(強制・104週)を実施し、同様の結果(70〜100ng/kg/dayで肝臓がん発生)が得られていること、また、明確な量反応関係が見られること、対照群からの肝臓がんの発生がほとんどみられず特異性が高いこと等から、当検討会においては十分に信頼性が高いものと判断した」と「MurrayのSDラットを用いた3世代繁殖試験の結果によると、100ng/kg/dayでは受胎率が著しく低下し、10ng/kg/dayでは子宮内死亡、生後の体重の増加抑制などの生殖毒性が見られている。F1世代及びF2世代では、10ng/kg/dayで影響が見られている。これらの結果より1ng/kg/dayをNOAEL(注:無毒性量)としている」が主な根拠になっている。安全率「100分の1」を掛けて10ピコグラムを得る。

 しかし、ネズミより人間にずっと近い霊長類による厳しいデータがある。「Rierのアカゲザルを用いた生殖毒性試験の結果によると、対照群及び5ng/kg(投与量126pg/kg/dayに相当)、25ng/kg含有飼料(投与量630pg/kg/dayに相当)で飼育したアカゲザルに子宮内膜症がそれぞれ33%、71%、86%に見られている。重篤度で分類すると中程度以上の子宮内膜症は対照群では見られなかったのに対し、5ng/kg、25ng/kg投与群でそれぞれ43%、71%で対照群より有意に高いという結果が得られている。これらの結果より126(100〜180)pg/kg/dayをLOAEL(注:最小毒性量)としており、最も低いレベルで影響が生じている」。霊長類の動物実験はネズミよりずっと難しい。動物愛護の時代に条件のそろった実験用サルを多数用意するだけでも大変だ。この実験もそうしたケチがついて、世界的に額面通りには受け入れられていない。厚生省研究班も採用しない。

 それでも環境庁側は「Bowmanらは、5ng/kg含有の飼料(投与量126pg/kg/dayに相当)では対照群と有意な差は出されていないが、25ng/kg含有の飼料=投与量630pg/kg/dayに相当)で7ヶ月飼育したとき、8匹のうち3匹は妊娠せず、妊娠した5匹のうち3匹が流産し、1匹が妊娠中に死亡し、1匹のみが正常出産であったと報告」などを重視、「Rierの実験で観察された子宮内膜症は流産や不妊の原因の一つであり、これらの2つのアカゲザルの研究のエンドポイントと関連しており、Rierの結果を支える重要なデータであるということで検討委員会の意見が一致した」と述べる。

 ダイオキシン摂取量をめぐり、国内に倍も違う二つの基準値がある理由は、詰まるところ、一連のアカゲザルの実験を多少でも勘案するかどうかの見解の差だとみてよかろう。

◆食をめぐる畏怖

 この7月7日、グリーンピースなどの団体が「乳児・次世代をダイオキシン汚染から守れ!厚生省・環境庁にデモでアピール」と、示威行動と要請をした。「厚生省で提案中の『耐容一日摂取量』は乳幼児を規準に設定されておらず、生涯のうちで最も弱い乳児は大人の数十倍という高濃度のダイオキシン類を毎日摂取しているという危険な状態にさらされている」と言わねばならない悲痛な事態について検証しておきたい。環境中に今なお残留が多いPCBを含めた問題でもある。

 残念ながら、国内の数字としては、母乳からどれほどのダイオキシンを、乳児が摂取しているかは見つけられなかった。幸い、国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部経由で「英国農水省(MAFF)ホームページから食品中のダイオキシン、PCB、フタル酸エステル類に関連する情報サイト」を見ることができた。「食品および母乳中のダイオキシンとPCB(Dioxins andpolychlorinated Biphenyls in Foods and Human Milk, June1997)」から引用したのが以下の表である。

 厚生省が提案している許容基準値「1日体重1キロ当たり10ピコグラム」を超えているのは、誰の目にも明らかだ。それでも、この基準値は生涯を通じて摂取した場合のもので、一時期だけなら直ちに問題にならないという説明になっている。世界保健機関WHOも、乳児にとって母乳の持つ有用性は大きく、飲ませた方がよいと考えているようだ。

 この判断は、私もお母さんたちにしてもらうしかあるまいと思うが、同じ論文の別の表を見て、事態はさらに深刻だと思わざるを得なくなった。

 これは第3表の一番低い場合の数字を紹介しているもので、平均的な人の上限値や、もっと高い人のものがあること、さらに呼吸による大気からの摂取が別にあることを念頭に置いて欲しい。この表はそれなりの対策が施された英国での調査であり、10年でこれだけ下がったのは喜ばしいが、野放しにしてきた国内はいったいどうなのだろうか。当然、この表の1982年分よりも悪いと考えるべきだろう。母乳の汚染レベルも英国より悪いだろうし、幼児期の大半まで厚生省の許容基準を超えているのではないか。学童期でも環境庁の推奨基準を超えている恐れがある。もはや乳児だけの問題ではあるまい。

 子供の病気と言えば、ダイオキシン汚染の進行とアトピー性皮膚炎の近年の大量発生を結びつけて考える人たちがいる。これには動物実験による証明がないために、公的には認められていない。アトピーのような、仕組みがよく分かっていない免疫異常症のモデルを作って動物実験に乗せることは非常に難しく、「関係ない」のではなく、「よく分からない」のが実情だ。

 大地や空気ばかりでなく、海洋のダイオキシン汚染も進んでいる。立川さんたちは魚の含有量で調査していたが、最近、直接測定がされている。資源環境技術総合研究所の「海水中ダイオキシン類の三次元分布」には「東京湾周辺の海水中のダイオキシン濃度はバルト海や北海に近いことがわかりました。また、場所によっては中層や底層の海水の方が表層水よりも高い濃度を示し、表層より深層までの三次元的な調査を行う必要があることが判明しました」と、あっさりした記述があるだけだが、英文の年報「NIRE Annual Report1997」には東京湾の深部に至る状況が出ている。食物によるダイオキシン摂取が国内で多いのは、魚をよく食べる食習慣も一因とみられている。

 今後は、せめて英国が出しているような実態解明は欲しい。これまでの少数の研究者による手弁当に近い測定ではなく、大規模で、組織的な調査が是非とも必要だ。また、何年もかかるゴミ焼却場の規制だけで済むと考えるのではなく、ゴミの分別など身近なところでとれる行動指針を打ち出すべきではあるまいか。