第23回「たばこをめぐる日米の落差」
10月1日の朝刊に載った「たばこCM放送、来春から中止へ」の記事を、国内でも遅れ遅れたあげく、ようやくテレビから追放か、との思いで見た。新聞・雑誌には残るらしい。今年になって米国での喫煙をめぐる動きは厳しく、かつ激しい。3月に損害賠償訴訟で和解が成立、ラークで有名なリゲット・グループが「たばこは中毒性があり肺がんや心臓病などを引き起こす」と初めて認め、原告側である22州政府にまず2,500万ドル、そして25年間にわたり税引き前利益の25%を支払うこととした。
6月には全米40州政府と患者グループが医療費などの喫煙損害賠償を求めていた訴訟で、たばこメーカー側は25年間に42兆円を支払い、広告もさらに厳しい規制に応じるなどの和解案に合意した。昨年8月に「ニコチンは中毒性のある薬物」と認定し規制策を発表したクリントン大統領は、この9月には喫煙損害賠償について「未成年者の喫煙が減らなければ、たばこ会社に罰金と1箱1ドル50セントの強制値上げを課す」などの調停案を発表、たばこメーカー側の負担は州政府との和解案の倍、80兆円にも及ぶ。
◆「タバコ文書」を読んでみよう
損害賠償責任は、当事者が当然果たすべき注意義務を怠ったり、不法行為をした場合に発生する。米国のたばこ会社が迫られているのは、自ら製造している製品が有害であることを知っているのに、隠して販売し続けた点だ。ニコチンの中毒性や、たばこの副流煙に多量の発がん物質が含まれているとの指摘を否定し続けてきたのに、実は自らの手で調べていた事実を表面化させ、損害賠償訴訟の有力証拠になっているのが「タバコ文書」である。'94年5月、たばこと戦っていた研究者、カリフォルニア大のグランツ教授の元に、大箱に詰めた4,000ページに及ぶ文書のコピーが匿名の人物から届けられた時点に始まる。
ビル・トッテン氏による長いストーリーから一部引用する。「そこにはタバコがいかに健康に有害かという決定的証拠が記されていた。ニコチンは中毒性の物質でありタバコが癌の原因になること、そしてそれらのデータをタバコ会社が30年もの間、国民から隠し続けてきたことがその文書から明らかだった。94年4月の議会で、タバコ会社7社のCEO(注:経営最高責任者)たちがタバコの中毒性や癌との関係について知らなかったと証言したことを考えると、これは特に大きな意味を持つ」。
グランツ教授は「タバコ文書を大学の図書館に保管することにした。それでも閲覧を望む人が後を絶たず、図書館にはたちまち行列ができてしまった。そのため図書館の副館長は文書をCD-ROMに入れ、それをWebに載せようと考えた。これで文書が保護され、誰もがアクセスできるようになるからだ。この行動がタバコ文書の問題の性質を変えることになった」。クール、ラッキーストライクなど有名銘柄の製造元として知られ、この文書の所有者だった「B&Wはここで文書の返却を求めると共に、一般への公開中止と閲覧者リストの提出を求めたが、図書館がこのいずれも拒否したため、B&Wは訴訟に踏み切ったのである。図書館で誰が何を閲覧したかを調べるのは通常許されるべきことではない。しかし、文書の返却を拒否されたタバコ会社は図書館に探偵を張り込ませ、文書の置かれている特別収集室に出入りする者を監視させたのである」
「タバコ文書」の出版差し止め請求は、'95年6月のカリフォルニア州最高裁判決で退けられ、カリフォルニア大学の手で「Brown & Williamson Collection」としてインターネット上に公開されることとなった。そこには、グランツ教授らが「タバコ文書」から解読して、たばこ会社の行状をまとめた5編の論文もリンクされている。この5編は最も権威ある医学誌のひとつ、米国医師会ジャーナル(JAMA)にすべて採用された。「5編の抄録」でも、あらかたは知れるが、全文も読めるので、ここでは少し踏み込んでおきたい。
「ニコチンと中毒性(原題はNicotine and Addiction)」で、'60年代初頭にすでにたばこメーカー内部では薬理学的な実験を経て、中毒性解明の基礎が築かれていることが分かる。あまりに専門的な所は割愛して、さわりを訳すと「ニコチンは脳下垂体を刺激して、たばこを吸う人にストレスに対処させる有益なメカニズムを持つ。最初の間は比較的少量の服用で効果があるが、慢性的な摂取を続けると通常の生理反応が戻って効かなくなる。ストレスを緩和する作用を維持しようとすれば、継続的に服用量を増加する必要がある。モルヒネなどのドラッグ薬物に比べて、ニコチンの場合は増加ペースはゆっくりしている」「もしニコチン摂取が禁じられると、慢性的な服用者はアンバランスな内分泌状態になり、生理的に平衡を回復するためにニコチンを求めるようになる」。
注目に値するメモには、こんな記述さえある。「ニコチンは中毒を起こす。我々はそのニコチンを売っている。ストレスメカニズムを緩和する効果的な中毒性ドラッグをだ(原文は"Moreover, nicotine is addictive. "We are, then, in the business of selling nicotine, an addictive drug effective in the release of stress mechanisms." [emphasis added] {1802.05, p 4})」。これでは死の商人としか言いようがない。
「たばこ副流煙喫煙(原題はEnvironmental Tobacco Smoke)」には、日本の高名な研究者、平山雄氏の研究が登場する。「1981年に平山が英国医学ジャーナルに、受動吸煙は非喫煙者に肺がんを引き起こすと発表した。平山の発見は国際的な注目を集めた。たばこ産業界は平山の研究は信じられないとのキャンペーンを始めた」「その批判は平山に反論の機会がある同ジャーナルに寄せるのではなく、新聞など報道発表として行われ、新聞・雑誌の1ページ広告として再録された」。平山問題については、たばこ会社の首脳陣の間でこんな電話のやり取りが記録されている。「英国の統計学者でたばこ産業コンサルタントと平山の意見が正しく、批判は間違っている。日本から平山の仕事の正しさを確認するデータを受け取った」。それでもなお「たばこ産業とコンサルタントは、受動喫煙による健康被害は証明されたものではない、との公式の立場を維持し続けた」
◆平山さんの講演を聴こう
平山氏に私は直接お会いしたことはないが、インターネットでは「特別講演 喫煙の健康影響と禁煙の効果」として、第9回全国禁煙教育研修会での講演が読める。この講演は冒頭から、激烈である。「知識人の中にも人口10万人対107人は宝くじのようなもので、自分は大丈夫と思っている人が多い。人口10万対何人というのはリスクとしては低いようであるが、これは1年間の罹患率である。生涯罹患率でみると、これの約百倍になる。1日50本以上の喫煙者では、75歳までに肺がんになる人は10万人につき3万3千510人、ちょうど三分の一が肺がんになる。なぜ残りの人が肺がんにならないかというと、肺がんになる前に心臓病などで死ぬからだ」
「肺がんと喫煙の関係は、世界各国の大集団を追ったコホート研究で一日の喫煙本数が多いほど高くなることがはっきりと数字で出ている。イギリスが一番切り立っているが、ノルウェー、スェーデン、アメリカ、日本など殆ど平行している。いくらか違いが出ているのは、その喫煙継続期間の長短による。日本とでは50年くらい違う。タバコはイギリスでは今世紀初めから非常に広がったが、日本では1950年代以降である。それを考慮すると殆ど一致する」
たばこの発がん性は肺がんだけでない。さらに、がんだけの問題でもない。
「最近の観察によると、発がん物質の大部分は活性酸素を発生する。タバコを吸うと活性酸素が大量に発生し、それがDNAに作用すると考えられている。がんのもとは活性酸素だという見方が強くなってきている。どのように作用するかというと、がん遺伝子、特にがん抑制遺伝子、その中のP53に変異を惹き起こす。猟犬が獲物をどこまでも追うように、タバコの煙の物質ががん抑制遺伝子に襲いかかり、歯止めを外すということがわかってきた」「ところが、がん以外の病気でもタバコが大きなリスクファクターである。石原裕二郎のかかった動脈瘤もタバコが断然トップである。他のファクターの影響は少ない。クモ膜下出血、虚血性心臓病、高血圧性心臓病など循環器疾患は言うに及ばず、気管支喘息、肺気腫など呼吸器疾患、消化性潰瘍など消化器疾患など、どの病気の場合も高いリスクを喫煙者は示している。まさにタバコは筆頭リスクファクターである」
先の「タバコ文書」で取り上げた研究にもフォローがある。「私は1981年1月、British Medical Journalに高度喫煙者を夫に持つタバコを吸わない妻は高い肺がんのリスクを持つ、という論文を出した。夫がタバコを吸えば吸う程妻の肺がんの危険性は高くなると発表した。10年後、25の研究が各国から発表されたが、その内20は同方向の成績を示した。関係が出なかったものは、乳がん発症を比較調査したためである。私たちの研究では、乳がんも例外ではないという成績が得られている」
平山氏の講演にコメントは要らないだろう。
◆国内の動きは
インターネットでは、いろいろな人が禁煙についてホームページを開設している。それだけ関心が高まっているということだ。見て回った中で、サイエンスライターとして気に入ったサイトをひとつだけで挙げると、大和高田市立病院で禁煙外来を開いている女性医師の「タバコ好きのあなたへ」だろうか。グラフィックがあり、分かり易さと適度の詳しさがある。
厚生省は今年の「厚生白書」で、「喫煙は多くのがんと深い関係」を掲げ、「喫煙の危険度は非喫煙者に比べ全がんで1.65倍、全死因で1.29倍」と表現するなど、少しだけ禁煙の方向に踏み出してみたようだ。しかし、「喫煙率とたばこ販売量の推移」を見ると、低落傾向にあった喫煙率が、'95年に一転して反騰、男性は50%、女性は10%を超えている。喫煙率の統計は日本たばこ産業(JT)のものなどいろいろあって、インターネット上でも数字がばらついているが、これは国民栄養調査のものだから、まず信頼できよう。厚生省のたばこ問題特設ページにある「未成年の喫煙」を見ても、中学生から喫煙率の立ち上がり方は著しい。
同じく「WHO地域別喫煙率」による世界との比較でも、国内の男性の喫煙率は高すぎる。「たばこ行動計画」を読んでも、役人のエクスキューズ、つまり「注意義務は果たしてますよ」以上のものは感じられなかった。「我が国たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資することを目的とする」と謳う「たばこ事業法」の国では、手も足もでないのだろうか。
翻って、クリントン政権はなぜ、あんなに熱心なのだろう。彼は大統領になる前はたばこには寛容だったとも言われる。私の推測だが、いろいろ障害があって思うままには進んでいないが、医療保険制度の改革に手を着けたクリントン大統領にとって、病人の確実な減少、即ち医療費支出の削減に寄与できる喫煙率低減は絶対に不可欠な仕事と認識されているのではないか。そうならば、彼のたばこ会社いじめは米国内に限った話だ。
再びビル・トッテン氏提供の「法規制の撤廃を求める企業の無責任さ」は、そう考えるのが無理でないことを示している。「近年、米国社会でタバコ会社が槍玉にあがっているが、それに対する日本の反応が当地米国にあまり伝わってこないのはどうしたわけであろう。米国政府は主に『海外援助』の形でタバコ業界に一種の補助金を与えているが、これは国際法上違反である。しかし、この補助金があるために米国のタバコ会社は海外でダンピングを行うことができる。米国政府がタバコ会社を後押しするのは、タバコ・ロビーに買収されているためである。こうした事実は明白なのに、なぜ専売公社を民営化した日本は米国のタバコに対する関税を低くし、安い値段で販売させているのであろうか。それによって、日本社会に対する喫煙の悪影響が助長されていることに気づかないのであろうか」
損害賠償訴訟の和解でたばこ会社の巨額な支払いが伝えられた際にも、その分は海外で稼げばいいとのニュアンスが、いくつかのメディアの報道には含まれていたように感じた。これでは、ほとんど、香港の租借・今年の返還の発端になったアヘン戦争であり、日本政府はあの崩壊直前の清朝だということか。