第30回「政治・選挙制度改革が変えたもの」
◆無党派層の急膨張
昨年10月、総選挙当日、ブロック別比例区のうち、私のいる新聞社大阪本社では近畿、中国、四国の3ブロックについて当落判定作業をした。私は3ブロックの判定作業を統括する仕事をしたが、単に判定したというのではない。その2年半前から東京、大阪と場所を移しながら当落判定システムをパソコンで構築していたから、自分の作った理論が通用するか、実験で試す科学者の気分だった。マスメディアのしている当落判定は各地の開票結果を早く集めるだけでなく、ある時点までの開票結果でその後を予測、ぎりぎりの誤差を見込んで「当選確実」段階の候補まで「当選」にしてしまう。細分化され、党派の顔ぶれも変わったたブロック比例区には、中選挙区制や参院全国比例区での判定経験が通用しなくなって、科学的な当落判定法を作る仕事を「選挙とコンピュータの両方知っているから」と押しつけられていた。
仕事に取りかかった時点は、自民党から新生党、新党さきがけが別れ、連立政権の時代になっていた。何が起きているか、ます知ることから始めなければならない。過去の国政選挙の結果はもちろん、新聞社が蓄積している世論調査の結果も全国3,300の市区町村別に生データを入力して分析した。こんなとき、パソコンには表計算ソフトという打ってつけのプログラムがある。過去から延々とつなげ、さまざまに加工して作り上げたファイルの大きさは、圧縮・格納したサイズで25メガバイト、フロッピーなら17枚にも達して、パソコンで計算を走らせようとするとメインメモリに収まりきらず、10分間くらいはハードディスク上に再展開し続ける。狙いの条件を設定して計算に入ると、また何10分か要す。繰り返すうちにパソコンのマザーボード1枚が壊れてしまったが、こんな苦労をして知りたかったものは、無党派層の動向だった。世論調査をすると無党派と分類される層に「隠れ〇〇」「隠れ××」が存在しているのは選挙取材の常識であり、増加がはっきりしてきた無党派層の内部事情を知らなければ、選挙投票直前に実施する世論調査を本番で活かし切れない。新しいデータは乏しかったが、直前世論調査をする知事選や国政選挙補選も加えて理解する努力を続けた。
「無党派層について」が「昨今の新無党派層と呼ばれるグループの実に45%を占める中高年層が70年代末より増加しだした20〜30代の『支持無し層』と同世代であり、これ以降の新世代の政党支持は以前のそれとは質的転換を伴っている事が推論されている。また、三宅一郎によると、この時期より、政治認知(知識)度が高く、政治関与(参加)度もそこそこあり、政治シニシズムの高い、今までに無い有権者タイプである消極派が生まれてくる。彼等は単純な現代的無関心とも異なり、党派性が薄く政策中心の投票を行う『合理的投票者』に近いモデルである」と述べているように、高度成長期が終わる頃からすでに無党派層の漸増は始まっていた。それが'90年代に入って「金丸信自民党副総裁の佐川急便事件のあった92年、前年の25%から35%に急増。93年の新党ブームの中でも、その間の自民、社会両党の支持率低下もあって微増する。94年の村山政権発足、新進党の結成により、47%と再び急増」。私の分析の仕事はその膨張過程、まっただ中であり、どんどん変わっていく相手と付き合うこととなった。
◆新無党派層の体質
無党派層が大きくなっても、彼らが投票に行かなければ選挙結果に影響しないから、とりあえず当落判定の仕事にはあまり響かない。従来データの延長で考えるよりも無党派層が大量に投票に動いていると考えざるを得なくなったのは、'95年4月の東京・大阪知事選からだった。総選挙が済んだ今、無党派層の形成についていろいろなデータが読めるようになった。自社55年体制が最近まで強く残った北海道にその典型がある。北海道新聞の「◆無党派層/旧社党支持者の過半数/『政党に失望』32%」は、札幌市豊平区を対象にした世論調査から「『前回衆院選では支持政党があった』とした262人のうち、約43%にあたる112人が、今回『無党派』へと転向した。自民党から共産党まで、それぞれ2割を超える人が支持政党離れを起こしている。前回の衆院選で自民党を支持した113人からは37.2%にあたる42人が、当時の社会党支持者85人からは53%にあたる45人が無党派へと“流出”した」。分裂して一時にせよ政権党でなくなった自民党、政権党になっても何もしなかった、いや抵抗の党として存在理由だった建前をほとんど捨ててしまった社会党から、それぞれ大量の流出があったし、他の政党もかなりの流動層を抱え込んでいる。
東洋大の三上俊治教授が「政界再編期における政治意識とメディア行動」で、'95年の11、12月に都内で実施したアンケート調査をもとに無党派層の実体を論じている。無党派層と一律に出来ず、「政党不信派」と「無関心派」に加えて、政界変動で乗る便をなくして空港で乗り換え便を待つトランジット客のような「再編待ち派」の3タイプに分かれると分析、「政党支持派」を加えた4グループに有権者を整理している。年齢別、学歴別にみた4タイプの比率グラフは興味深い。「年齢別にみた無党派層のタイプ 」のデータを引用する。
「再編待ち派」が最大の比率になるのは「40代」であり、学歴別では「大卒以上」の回答が、「40代」の回答とほぼ同じである。「メディア接触との関連性」によれば、この再編待ち派はテレビニュースの視聴時間が一番長く、「このタイプの人々が再編の行方に強い関心をもち、したがって毎日のテレビニュースへの接触度が他のタイプの人よりも長くなっているためと解釈することも可能である」という。新聞の閲読時間などは、無関心派を除く3グループに差はない。「無党派層の政治意識」は、再編待ち派は政治への関心、知識が高く「『国会議員は民意を反映していない』と感じている一方で、『国民の一票は国の政治を変える』と考えていることである。つまり、再編待ち派の政治意識は他のグループよりもかなり高いレベルにあると解釈することができる。これと対照的なのが『政党不信派』である。かれらは議員が民意を反映していないと考えるだけではなく、国民の一票が政治を変える力もないと感じており、政治的有効性感覚は非常に低い」と述べる。「再編待ち派の人びとは、政治のゲーム的側面よりも、政策などの実質的側面に対して強い関心をもっていると思われる」とも。「無党派層の政治参加度・投票行動」でカンパ・署名への参加の多さ、投票によく行っている実態が紹介されている。当然、無関心派の投票は少なく、政党不信派も投票に行く率がやや低い。◆投票率と政党政治の行方
低投票率を意識した東京都は「投票率向上研究会」を組織して、年内に報告をまとめるべく作業を進めている。しかし、「第3回 投票率向上研究会の主な内容」で、呼ばれたメディア側が紹介しているエピソード「ある日本の視察団がイギリスに行って、どうして選挙管理委員会は投票率に関心がないのかと聞いたら、投票率は政党の責任だという話があったそうだ。要するに、投票所に行かせるか、行かせないかというのは、基本的には政治家の責任であり、それをどう公平に管理するかが選挙管理委員会の責任である」というのが世界常識だろう。そのことは「世論調査結果の概要」で、昨年の総選挙の際に都選管自身で調べた結果が物語っている。「いわゆる無党派層は約6割を占めているが、支持する政党が『ある』と答えた人は都知事選で24.9%、参議院で32.5%、衆議院選で38.6%と増加している。『選挙に関心があった』は58.8%を占めているが、前回の80.4%を大きく下回り、過去最低を記録した」。関心が持てない選挙に投票には行かない。
自治省をはじめとしたお役所が変なところに知恵を絞っている間に、有権者は現在の政党政治を拒否する行動に出始めた。自民、新進の2大政党が手を組んでいたのに、無党派の現職にダブルスコアで惨敗した宮城県知事選挙が好例だ。詳しくは河北新報「宮城県知事選挙 浅野氏が再選」を参照されたい。東京・大阪の知事選の後、「試練に立つ日本の政党政治」で、佐々木毅・東京大教授が「地方政治における政党間競争の事実上の終焉によって、政党がその足下から衰弱していることである。日本の地方政治における利権構造は中央のそれに劣らないものがあり、各政党はこの利権構造にいかにして参入するかに最大の関心を示してきた。その結果、政党は互いに談合して知事を選び、自らの既得権の温存を計ってきたが、こうした地方政治の体質が青島、横山氏の勝利によって『ノー』を宣告されたのである」と指摘した。それからの2年間で政党側に何ら学ぶところはなかったようだ。むしろ、社民党のように与党の味を覚えて、中央で野党になることをためらうようになっており、症状はさらに重くなった。
選挙制度改革で形式的には政権交代を容易にするシステムが出来上がったのに、最大の不幸は一連の連立政権で共産党を除く既成政党が与党を経験して、見るほどの成果も挙げられず、与党化する際に「差」を消し合ったことだろう。連立するときの政策協定合意と、その党の基盤としている政策とが必ずしも一致しなくても仕方ないという分別が忘れられ、だだっ子同士の足の引っ張り合いから、もともと政策の差を気にしなくて良かった地方政治と同じレベルになってしまった。新聞政治面は新しい対立軸は何になるかとか書き立てるが、有権者から見るとしらけるばかりだ。少なくとも私は、選挙制度改革の時に、中選挙区の利点を主張して賛成しない側に「守旧派」のレッテルを貼った、先の見えない人たちにそんな先読みができるとは思わない。
昨年の総選挙で全国的に最も劇的だったのは、最小のブロック比例区「四国」で共産党が1議席を得た上に、小選挙区でも1つ勝って、四国全体に振られた20議席の1割を占めたことだ。ゼロで当然のはずだった。「定数7」ということは得票率が12%はないと議席は取れない。大ブロックで3%あれば「1」取れるというのと、ハードルの高さがまるで違う。開票が進むあの夜、まだ6割程度しか票が開かない午後11時過ぎ、四国ブロック判定班キャップと「当選1」を確認し、しばらくして今度は高知市選挙区で山原当選が決まった。予想外の成り行きに「新しいことを始めるのは、やっぱり高知だ」と直感した。今回の宮城・浅野、2年前の東京・青島と大阪・横山に先行して、無党派の知事を作り出した県である。高知と縁もゆかりもなかった放送記者で、橋本首相の実弟橋本大二郎を引っぱり出して自民党知事を潰した。高知は四国でも特異とも思えるが、'89年の消費税=参院選では、四国の1人選挙区で軒並み自民党候補が敗れたことも思い出させる。四国で起きたことは、次の選挙ではもっと波及するはずと私はみる。
宮沢喜一元首相は「21世紀への委任状 日本の二大政党制」で「自民党と新進党という二つの大きな政党が、言っていることはだいたい似ているのに、どうして必要なのか、私にはうまく説明ができません。だっていままで一緒の党にいたわけですから、急に違う人間になるはずないです(笑)。新進党は、自分のところと自民党の違いを無理していろいろ出そうとしているわけだけど、国民からすると戸惑うでしょう」「かりに保守党は、『小さな政府。税金は低いほうがよい。なるべく国の権力を振るわず、自分自身で生活設計をしていくべきだ』と考える。それに対して、『貧富の差はあるんだ、それは政府の権力で解決する。だから高額所得者からは税金をたくさん取るぞ、高福祉・高負担・大きな政府だ』と社会民主主義の党が主張して対立すると、投票する立場からしたら、わかりやすいし、面白いんじゃないでしょうか。私は日本にもソーシャルデモクラットの大人の政党ができなくてはならないと思う」と語る。
残念ながら、いま社会民主主義を名乗る党にその能力はなさそうだ。宮沢氏の言う「保守党」も現実の自民党とはかなり距離がある。民主党の「日本型民主党」も内実がまだ伴わないし、宮沢元首相は米国における民主・共和両党の差が本質的なものか懐疑的だ。年間307億円にもなる「政党交付金」を利用するなりして、各党がブレーンを強化し、現在のように「こうしかできません」と言う官僚に振り回され、引きずられるのでない、自前の政策づくりができるまで待つしかなさそうだ。自治省への使途報告では詳細が見えないが、この交付金は浪費しないでほしい。
では、投票率は低迷したままなのだろうか。「衆議院選投票率」は、近年の総選挙で都民の世代別投票率を記録している。その昭和51年、つまり'76年総選挙で20代は投票率49%だった。その世代が現在の40代である。先の「政界再編期における政治意識とメディア行動」の調査が示す無関心派は、この世代では、たったの「3.7%」だということを思い出そう。投票率が低いと嘆かれる現在の若い層も、政党政治が活性化するなら、自ずと関心を高めると見て大過ないのではないか。惰性で政党に追従しない世代を生み出したことこそ、政治・選挙制度改革の逆説的な成果だったと思う。