第31回「子供の体力低下から五輪を眺める」
◆国際大会でのメダル獲得減
アトランタの全成績は、JOCの「第26回 オリンピック競技大会(1996・アトランタ)日本選手団全結果記録」にある。しかし、ただただ不振が分かるだけで、何がどうなったのか、さっぱり分からない。
文部省の教育白書「平成8年度我が国の文教施策 第8章 スポーツの振興」は「近年、世界の競技水準が著しく向上している中で、我が国の競技水準は、今回のアトランタ大会における我が国の選手の成績に見られるように、オリンピック競技大会、アジア競技大会等の国際競技大会において優秀な成績を収めることは困難な状況となっている(図II-8-1)。その要因としては、(1)選手に対するジュニア期からの一貫した指導体制の不備、(2)スポーツ科学の成果を取り入れた選手強化の面での立ち遅れ、(3)選手及びコーチに対する支援体制の不備や選手生活を終えた後の処遇の問題などが考えられ、これらの問題に積極的に対応することが望まれる」と述べる。図II-8-1は、オリンピックとアジア大会でのメダルの獲得率推移を表わしていて、'64年の東京五輪で頂点に立ってからアトランタまで、メダル獲得数で29個から14個へ半減、その間に競技が増えたことから全体のメダル獲得率では3分の1にまで落ちている。金メダルに限れば激減だ。アジア諸国の動きを見ると、'88年のソウル五輪に向けて韓国が急浮上し、中国は近年、さらにそれを上回って伸びている。
世界に通用するトップアスリート養成対策として、文部省が採っている施策は「選手強化事業の充実」「都道府県における競技力向上施策への援助」「指導者の資質向上」「文部大臣顕彰の実施」「スポーツ医・科学の研究体制と強化拠点となる施設の整備」「国民体育大会の開催」だという。「競技力の向上のためには、素質のある選手を早期に発掘し、中・長期的な視点に立った指導・養成を行う必要がある。このため、競技力向上ジュニア対策事業(各都道府県が都道府県体育協会等の協力を得て、中学・高校生を対象とする強化合宿やコーチの配置を行う事業)に対し補助を行っている」など、具体的なところを読み込むと、ことの本質と違う方向に進んでいるのではないかと思える。
◆子供の体力低下の現状
「こどものスポーツ」には、10歳児の体力について、東京五輪より少し後、'70年を出発点に文部省調査データによって、長期低落を続ける推移グラフが示されている。走り幅跳び、ソフトボール投げなどの落ち込みが目立つし、柔軟性の項目である立位体前屈は20%以上、筋力を代表する背筋力は15%も悪くなった。かつて五輪でこの国のお家芸のように感じられ、メダルを集めまくっていたウェイトリフティング競技の影がすっかり薄くなったのは当然だろう。体力低下に反比例するように、子供の肥満が増えている状況を、このページは鮮やかなグラフで見せてくれる。東京都調べで、10歳児の肥満児の割合は過去10年間で3%から5%前後にも増えた。運動不足と栄養の摂りすぎ、テレビゲーム機流行など、外で遊ばないライフスタイル……が背景にある。
トップ選手と国民的な平均値とは関係ないとする見方もあるが、トップレベルの選手も突然発生するものではなく、人の海の中から押し上げられる確率論的な現象だと考えられる。少なくともメダル獲得と体力推移のグラフを見れば、「疫学的」関係はある。全体の体力レベルを落としておいて、有望選手の発掘はいただけない。あの東京五輪を目指して、文部省・教育関係者はがむしゃらに体力向上に取り組んだ。それなりの成果は収めたのだが、「体育は面白くない」と評判になり、その後は中途半端な授業に傾くばかり。学校内での事故発生などへの懸念が、それに拍車をかけた。
体力低下の動きを、最近の場面でもう少し細かに見てみたい。茨城県が調べたデータが「10年間の体力・運動能力の推移 小学生」にある。体力診断テスト、運動能力テストともに、だら下がりの傾向にあるが、平成4('92)年のところに、不思議な凸型の屈曲がある。多数の測定項目で、この年、急に改善されるのだ。項目のグラフを上から順番に見ていくと、この年を境にソフトボール投げが落ち込み、ジグザクドリブルが大改善されている。もうお分かりと思う。地元、鹿島アントラーズの活躍に代表される「Jリーグ」が開幕する前年、前哨戦が開始された年である。子供たちは野球からサッカーに目を向けて、ボールを蹴って走ったのだろう。先生がやらせるスポーツではなく、子供がしたいスポーツなら、容易に体力改善ができる証明だと思う。「中学生」を見ても、同じ影響が出ている。女子の50メートル走にまで大きな改善が出ているところをみると、女子もボールを蹴って走ったのだろうか。あるいは、活発に体を使い始めた男子の雰囲気が影響したのか。ただ「高校生」への影響は、かなり薄められている。
この改善は、茨城県のデータでは残念ながら長続きせず、全体の基調は再び低落に向かっている。しかし、肺活量活用型のスポーツが、この国で初めて大きな力を持ち始めた意味は大きいと思う。欧米諸国とスポーツの大きな違いのひとつに、循環器の機能をフルに使うスポーツがマイナーだった点がある。ワールドカップ出場を決めて、人気低落を食い止められそうなサッカー。この機会をどう生かすか。国民規模で体質を変えるチャンスなのだが。
子供たちの運動は、単純に不足しているという問題だけではない。
お家芸と言えば、男女ともに世界を極めたバレーボールを欠かせない。そのバレーボールが国際大会で低迷していることをうけて、「バレーボール研究会」が組織された。その第2回研究集会が今年6月に開かれている。報告「バレーボールの今後」で、トップレベルの立場から田中幹保氏は「諸外国もうらやむほどの小・中・高・大学の全国大会。その中から多くの優秀選手を排出してきたが、最近はマイナスが目立つようになってきた。先生方は自分が担当する期間内に良い結果を出そうとするあまり、選手を小粒に育てる傾向が目立ち、世界に通用する選手育成ができていない。また、指導者の減少も育成の行き詰まりに拍車をかける結果となっている」と、率直に指摘している。
◆健康づくり科学への転換
学校でのクラブ活動としてこれだけ取り組まれたバレーボールが、逆に選手を壊してしまっている。これこそスポーツ部活の問題だと思う。非行防止、荒れた学園の再建のために全国的にスポーツ部活が奨励されて、成果をあげた先生は英雄視されたが、スポーツにとってこれほど不純なものはなかった。子供から暇な時間をはぎ取り、ひたすら時間をかける根性主義の練習方法は、スポーツ医学の立場からも疑問がある。「学校スポーツが子供をつぶす?」は「小学校で勝たねばならぬ。中学校でも勝たねばならぬ。そして、そのスポーツの強い高校に進む。そしてさらに…。この次々と細切れに勝ち上がっていかなければ選手として認められず、また、小学校・中学校・高校・大学それぞれの間には、ほとんど一貫性がない、というのが日本の多くのスポーツの実情です」とみる。「月月火水木金金?」は「この文句が横行するのが一部の少年スポーツの世界です。ところが、現在のスポーツ医学は、休養を取らなければ強くなれないというのが常識なのです」と述べ、「スポーツのトレーニングは多かれ少なかれ、筋肉、骨、腱(けん)などの細胞にダメージを与えます。もしここで適切な休養が与えられると細胞は修復にとりかかります。この修復が完了したときには、ダメージを受ける前よりもさらに強力な筋肉や骨や腱が出来上がるのです」と、スポーツで体力強化が可能になる「超回復」のメカニズムを紹介する。
「どのような練習が効果的か」は、「小学生の時期は技術的なことは二の次で『基本動作作り』が中心です。中学生になると『基礎体力作り』で、高校生で始めて『筋肉トレーニングや技術的な練習』をするくらいのペースがよい」と成長段階に応じた体づくりを示し、「スポーツ指導者や保護者は目先の試合の成績や結果にとらわれず、子どもの長い人生の中で『今、子どもの将来のために何をしておかなくてはならないか』という観点に立ってスポーツ指導するのが『理想的なスポーツ指導』です」と述べる。休養のない練習漬けは「いつも不完全回復の状態での反復活動−結果は、機能が低下する」逆効果を生むものであり、「休養する期間は、年齢や個人の体力により違います。中学生くらいで1週間に3〜4日間、1日2〜3時間くらいの集中した練習が効果的な練習の目安です」とする。休日返上のスポーツ部活が子供の体に何をしているのか、明らかだろう。
海外について見たい。「青少年体力テストの成立」は「Krausらは、1940〜50年代にかけてアメリカならびにヨーロッパの児童生徒を対象として、筋力と柔軟性に関する六項目からなる簡単なテスト(クラウス−ウェーバーテスト)を集団検診として実施した。その結果、アメリカの4000人以上の児童生徒のうち58%が、六項目のどれか一つ以上において最低基準を満たさなかった。ところが、当時アメリカよりも機械化が遅れていたヨーロッパの諸国(オーストリア、イタリア、スイス)で行われた調査では、その不合格率が10%を超えることはなく、アメリカの児童生徒の体力の低さが明白となった」「1954年に9.45%であったオーストリア児童の不合格者率は、56年には11.03%、58年には15.2%と増大していった」「これらの結果をもとに、Krausらは生活の機械化に伴って体力低下が生じると結論し、時の大統領であったアイゼンハワー氏に警告した」「その危機感は大統領にも伝わり、1956年には 青少年体力向上諮問委員会が設置され、それは後の大統領にも引継がれていった」と述べている。
こうして米国で生まれた健康とスポーツの問題意識は、さまざまな曲折を経て、ある方向にまとめられていく。「アメリカの動向:まとめ」で「1)運動の目標強度の低減化ないしは強度概念の消失と『時間』あるいは『消費カロリー』への注目(運動強度から時間へ)、2)運動(exercise)から活動(activity)への概念移行ならびにその多様化(運動から活動へ)、3)『科学的信頼性』に必ずしもこだわらずに現実を優先する(科学から現実へ)、4)体力あるいは体力測定という概念を前面に出さない(体力概念の潜在化)、という4点に集約」されるようになった。これは軍隊的な鍛錬のイメージしか持てないこの国とは、ニュアンスの違う世界だろう。
国内でも、競技スポーツばかりがスポーツではないとの認識が、国民の間で先に広まり始めている。バレーボール研究会の「バレーボールの発展に向けて −スポーツ行政の立場からの提言−」に「『学校体育のねらい』は生涯スポーツへのつなぎ、準備、基礎づくりである。現実の学校体育ではこの目標が達成されていない。その理由はスポーツを人格形成(教育・人間形成)のための教材として扱っていることにあると思われる。スポーツ自体を楽しめるような方針に変えていかなければ、『学校体育のねらい』は実現できない」と指摘があり、「参考資料として総理府『体力・スポーツに関する調査』が提示され、1979年と1994年との比較では『運動・スポーツ実施状況』は若干の上下はあるが、トータルではあまり変化がない(67.9%が66.7%)のに対して、『競技的スポーツ全種目』では31.5%が17.5%へと半分になり、『バレーボール』は9.6%が3.5%と約3分の一となっていることが報告され」ている。
「不足の弊害」と「過剰の弊害」と、からまって共存しているのが、子供の体力・運動能力の問題だったことを理解していただけたと思う。