第34回「『アジアの時代』は潰えたのか」

 「21世紀はアジアの時代」と多くの人が思い込んでいた'97年前半。しかし、その後半は目を覆うような展開だった。香港の中国返還翌日、7月2日のタイ・バーツ下落に始まった経済危機がASEAN諸国を呑み込んだ。国際通貨基金(IMF)による支援はタイ172億ドル、インドネシア320億ドルにのぼり、香港株の大暴落もあった。さらに年末に韓国・ウォンが対ドルレートで1年前のほぼ半値にまで落ち込んで、IMFに584億ドルの支援を求める事態にまでなった。アジア経済研究所の「図1:1997年日本・東アジア通貨の対米ドルレート変化率、IMF方式」は11月末現在までのもので、ウォンは28%下落した段階にあり、この後、35%のインドネシア、37%のタイを超えて落ち込む。そして、'98年の年明け、ウォンは小康状態にあるが、東南アジア通貨への売りは続き、タイ、インドネシアもほぼ50%下落の線に並んだ。通貨切り下げに至っていない中国、香港、それに小幅の下落に留まる日本、台湾、シンガポールくらいが比較的打撃が少なかった国だろう。今年はマイナス成長の国もありうるアジア経済危機は、世界経済全体の減速につながると観測されている。「アジアの時代」は実現することなく、夢に終わるのだろうか。

◆経済学者から忠告はあった

 アジアの経済成長は本物ではない、との指摘は存在していた。坪内隆彦氏による「クルーグマンのアドバイス」にある「アジアの経済成長は奇跡ではない。持続的な経済成長には、『投入の増大』と『生産効率の改善』の双方が必要だが、アジア諸国の経済成長は、労働力の投入、教育レベルの改善、物的資本への投資拡大など、『投入の増大』によって説明できてしまう。日本を例外とすれば、そこには生産効率の改善の形跡などほとんど見られない。いずれ陰りが見えてくるのがわかっている投入増大型の経済成長を将来にそのまま当てはめ、世界経済の将来を論じても何の意味もない」が、代表的なそれだ。

 今回の経済危機はこうした見方の裏付けをし、「市場」がアジア諸国の瀬踏みをしたともとれる。政治的リーダーであるマハティール・マレーシア首相に焦点を当てている「マハティール・ウォッチ」には「1997年12月15日に採択されたASEAN非公式首脳会議のアジア通貨・金融危機に関する『特別声明』は、『IMFの支持や助言を通じてASEAN経済のファンダメンタルズが改善したにもかかわらず、通貨下落が続いている』とIMFによる支援の効果に疑念を表明した」と、「市場」に翻弄されるアジア諸国の憤りが見える。マハティール首相らは欧米から批判を浴びながらも、通貨取引の規制を求めている。

 '97年11月初めのアジア欧州協力協議会について報告をしている「船橋洋一のホームページ 連載389・米国抜きの議論を楽しんだアジアと欧州」は「アジアの代表のなかからは『アジアの経済は危ない、ダメだと、アジアを引きずり下ろそうとする攻撃がクルーグマンやザックスから仕掛けられた』との感情的な反発もあがった。ポール・クルーグマンとジェフリー・ザックスはいずれもエコノミストである。九〇年代に入ってからのアジア経済急成長を『花見酒の経済』と、警鐘を鳴らしてきた」「しかし、多くのアジアの人々は、むしろ『自省』を口にした。『この危機をバネにして国内の改革を進めなければならない。好機だ』『アジアは少し有頂天になりすぎていた』。表立っては言わないが、国内の専制的な政治体制、官僚の横暴、政治の腐敗にメスを入れるチャンスととらえているようだ。今回の危機を『ガイアツ』として、変革しようとの意欲を感じた」と述べている。さらに「韓国からの出席者は言った。『われわれは開発途上国から先進工業国へそのまま卒業していくものと思っていた。しかし、それは大間違いだったということをいま思い知らされている。高校を出ることと、大学に入ることとはまったく別のことなのだ。韓国はなお開発途上国と先進工業国の中間にある』」とも。

 日本だけがなぜ先進工業国になれたのか、そう考えるとき、アジアの新興工業国 にはソニーやホンダのような存在がまだ無いことに気付く。

◆アジア経済はどうやって急成長してきたか

 渡辺利夫・東京工大教授は「東アジア経済の未来-従属から自立へ」で「東アジア諸国のこの自立にまずは大きく寄与したのが、一九八五年秋の円高期以降の日本であった。円高は、日本経済の成長パターンを内需主導型へとシフトさせ、当時の日本の内需の盛り上がりは空前のものであった。この内需に引き寄せられて、東アジア諸国から大量の工業製品輸入がなされ、日本経済は東アジア諸国の成長を需要面から牽引する機能をかつてない規模で創り出した。のみならず、円高は日本企業の海外生産の有利性を一挙に強め。一九八六年以降、東アジアに対する日本の製造業の大量進出を促し、これが東アジア諸国の供給力を一段と大きく高めるのに貢献した。すなわち、円高は需給両面から東アジアの成長を牽引する機能を日本経済の中に創出したのである。しかし、一九九一年初以降の日本の景気後退は厳しく、それがゆえに製品輸入と海外直接投資は少なからず減少した。にもかかわらず、東アジアの成長率にはさしてかげりはみられない。いな、むしろいよいよ活況を呈しているというのが現実である。従属ではなく自立がこの地域を語るキーワードだと先にいったのは、この意味においてである。日本の経済力が衰微しても、日本に代わる主導国群が域内に新たに出現して後発国の成長を引っ張り上げ、そうして地域全体としての活力はなお高揚をつづけているのである。域内の成長牽引グループは『アジア四小龍』すなわちNIES(韓国、台湾、香港、シンガポール)である」と、成長過程を整理している。さらに、'90年代に入ってASEAN諸国への投資の主役は、日本でも米国でもなくNIESになったこと、それは中国への投資でも際立っていて、「東アジアの自己循環メカニズムの中に中国が組み込まれつつあることは画期的である。潜在力のきわめて大きな中国が参入したことによって、東アジアの自己循環メカニズムの『懐』がぐんと深く広がったことは疑いない」とみる。

 アジアの台頭を論じる未来学者ジョン・ネズビッツの来日講演が「メガトレンド・アジア」でたっぷりと聞ける。そこでアジア台頭の真の理由として、一番に挙げられているのが、起業家の存在である。「このダイナミックな新市場は、政府の関与をさほど受けずに、起業家たちが何もないところから築き上げたものです。起業家が起業家たり得るという意味で、アジアはアメリカと似ているわけです。1950年代から60年代にかけてアメリカが一大工業国だった時代には、新会社は年にせいぜい6万か6万5,000程度しか設立されませんでしたが、70年代になって経済の基盤が情報サービスに移行すると、起業家にとっては理想的な環境が整ったために、1年に10万、30万、60万という新会社が誕生し、95年にはとうとう100万もの新会社が設立されました。アメリカの経済は、こういった新会社の誕生の繰り返しで支えられています。『フォーチュン』誌の上位500社が、1970年にはアメリカ経済の20%を占めていたのに対し、いまでは10%にすぎないという実情をみても、そうした状況が分かると思います。アメリカの経済を支えているのが起業家であるのと同じように、台頭著しいアジア経済を支えているのは個人起業家なのです」と指摘する。

 彼の論点の中で最も興味深いものは、アジアを動かす華僑経済力についてであり、そのあり方はインターネットにそっくりだという点だ。「インターネットがどう機能しているのかを理解していれば、華僑のネットワークも理解できると思います。インターネットが2万5,000ものネットワークをネットワークした存在であるのと同じように、華僑もまた、何万というネットワークをネットワーク化しています。インターネットというのは完全に分散しており中心がありませんから、インターネット上のネットワーク数や個人の数は無制限で、責任者もいません。華僑のネットワークも、まさにこの点において共通しています」「私が自宅からインターネットにアクセスし、世界中にメッセージを発信し、世界中からメッセージを受信していると、まさに自分がインターネットの中心にいるかのような気分になります。インターネットにアクセスすると、誰もが『自分が中心にいるのだ』という感覚を味わえるのです。おそらく、インターネットの全利用者がそうした感覚を経験しているのだと思いますが、それは強烈な経験であり、それこそがネットワークの真骨頂なのです」

 「華僑のネットワークもまさにそうしたもので、ネットワークの中心にいるのは常に各個人なのです」「ここにきて、中国本土の起業家が華僑ネットワークに参加しつつあります。華僑が中国の一部を形成するというのではなく、世界の目には中国一国として写るものが、実は中国以上のグローバルな中国人ネットワークとして存在するというのが、この華僑ネットワークなのです。肝心なのは、誰が中国の一部に取り込まれるかではなく、中国のどの地域が、あるいは中国の起業家の誰が華僑ネットワークに参加するかということなのです。この15年間に香港の起業家は、中国本土に5万以上の工場を設立し、香港の人口に匹敵する500万もの人びとを雇用してきました。しかも、華僑ネットワークはオープンであり、たとえばこの私自身も深くかかわっています。こうした状況から、『華僑組織が21世紀の組織モデルである』という私の確信はいっそう強まってきています。それはつまり、完全に分散し責任者がいないインターネットが、21世紀の組織モデルであるという意味でもあります」

 こういう指摘を前にすると、マスメディアが流す表面的な経済指標に踊らされるだけでなく、もう少しデータを集め、事態を読み込んでみる必要性を感じる。なお、華僑については「華僑ネットワークとアジア海域圏」も参照されるとよい。

◆次の段階への予測と視点

 '98年明け、経済紙にも取り上げられている野村総合研究所の12月12日付け「1998年度改訂経済見通し」は海外経済動向の項目で、アジア経済は構造調整期に入るとみて「98年のNIEs・ASEAN景気は、通貨危機後の経済的混乱に加えて、今後予想される緊縮政策や金融システム建て直しの影響から調整局面を迎えると予想する。そして、経済対策や構造改革の巧拙が、99年以降の景気展開を決定づけることになろう。98年のNIEs・ASEAN経済の成長率は2.5%と97年5.1%から鈍化しよう」と厳しい見方をしている。

 アジア経済研究所の分析はかなり違う。12月9日付け「1998年東アジアの経済見通し」の「要約」で示されている経済成長の見通しは次のようである。

 この推定の根拠は通貨危機がほぼ終了したとの判断にある。「これらグラフに基づいた考察からは、今回の東アジア、特に東南アジアの通貨下落は、94年初頭に大幅切り下げを行った中国通貨との格差是正と見ることができる。この観点からは、東南アジア通貨の下落幅は現時点で十分なものであり、通貨危機はほぼ終了したと言えよう。また、OECD加盟直後に通貨が下落したメキシコ通貨の対米ドル下落率が50%であることから、韓国や東南アジア通貨の下落率も最悪で50%と言える」

 グラフ「日本・東アジア通貨の対米ドルレート変化率、IMF方式(1985年基準)」などで観察して、「中国の94年の通貨切り下げは、タイなどASEAN諸国の労働集約財の輸出にマイナスの影響を及ぼすはずであるが、94年、95年には、円高の好影響に加え、半導体、パソコンなどが世界的に好景気であったため、このマイナス影響は表面化せず、96年になってはじめて表出したと言える」「経済発展が類似しているタイ、マレーシアの通貨が、85年9月以降ほぼ同様の変動をしていることが分かる。また、インドネシアと中国通貨の対米ドル・レートも、85年9月以降93年まで、基本的に同一水準であったが、94年の中国通貨の大幅切り下げで、両国通貨の対米ドル・レートに格差が生じた。しかし、97年7月以降のインドネシア通貨の大幅下落によりこの格差が解消して、現在はほぼ同水準となっていることも読み取れる」との分析は確かに説得力がある。ただ、通貨危機の終了だけでは問題は終わらないと思う。花見酒経済下でのバブル体質や財閥や同族経営の社会体質で浪費されていたものを清算するのに、韓国などは相当な時間を見込まねばなるまい。もう1つ、東南アジア通貨に対して不利になった中国が輸出のために通貨切り下げに出たりすると、地域全体で悪循環に陥る恐れもある。

 さらに、アジア経済が真に自立するためには創造的な起業家がもっと必要だろう。インターネットで散策しているうちに、こんなインタビューを見つけた。コンピュータとなじみにくいアジアの言語、そのフォント作りから出発して言語間の垣根を克服しようとする「フィッシャー・リー」である。「日本語版ウィンドウズの環境で、台湾のホームページをみると、文字化けしてしまいますね。《リー》そうです。これではインターネットという、せっかくのボーダレスな資産が活かされない。そこで私どもは『ダイナドック』という製品を開発しました。これは、OSやアプリケーションソフト、フォントの違いを乗り越えて、オリジナルのドキュメントを異なる環境でも再現できるようにしたものです。ドキュメントのなかにフォント情報を盛り込んでしまうわけですが、これを使えば、作成した文書をどういった場所にでも、どういったタイミングでも、インターネットを通じて送ることができる。その意味では、インターネット、イントラネットを活かすための、非常に画期的なソリューションだと思います。とくにアジアのユーザーにとっては重要な技術だといえるでしょうね」

 「1949年広東省生まれ。71年、台湾大学工学部電子工学科卒業後、米スタンフォード大学ビジネススクールにて研究に従事。台湾に戻り、デジタル・イクイップメント台湾支社長、マイタック・コンピュータ筆頭副社長などを経て、87年ダイナラブを創業」という経歴を見て、米国では基礎部門を含む研究開発の相当部分を、アジアからの流入頭脳が支えていることを思い出す。日本はその中では小さな比率でしかない。彼らにとって働きやすい場所がアジアに広がった現在、今ある以上の大規模な還流がおそらく起きるだろう。その受け皿が華僑ネットワークであることも間違いあるまい。

 '70年代末、中南米諸国は経済成長が急に失速して、もう一歩で先進国の仲間入りをするかに見えながら挫折した。ロシアの市場経済の失敗も比較の対象に挙げられることがある。しかし、「ASIANDATA3<アジアのダイナミズム>」「米国の対東アジア貿易動向」に示されている集約やグラフを眺めているだけでも、現在のアジアは失敗の先例たちをずっと超えた地点まで踏み出しているように、私には思える。しかも、それは、上述の独自の将来性を備えている。