団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第39回「ロボットが人と持ちつつある関係」 (98/02/19)

 '98年夏、フランスで開かれるサッカー・ワールドカップは、日本代表チーム初出場の大会であり、旅行業者による応援ツアー売り出しなどで、早くも熱っぽくなっている。その公式随伴行事として、もうひとつのワールドカップが開かれる。「RoboCup: The Robot World Cup」である。このロボットによるサッカー大会「ロボカップ」の第1回大会は'97年8月、名古屋で開催されており、フランスは2回目の大会だ。パソコンゲーム、テレビゲームの世界には、立体感ある、非常に精巧なスポーツゲームが存在している。何をいまさらと思われるかもしれないが、それは私に言わせると1台のコンピューターが全ての事象を取り仕切って、八百長をしているようなものである。選手1人に1台ずつ、別々のコンピューターがなりきって、実世界のフィールドの中で、あるいは仮想の空間で、敵、味方の選手と押し合いながら自分で判断してボールを追い、蹴る。現在、工場などで多用されているロボット群は教えられた範囲で繰り返しているだけだから、「ロボット研究の歴史」で、新しい、そして、ようやくロボットという言葉の原点で予測された存在が現われようとしている。新しい展開に目が向くようになると、身近で見慣れた、たまごっちなど娯楽系人工知能(AI)やプログラムソフトの持つ意味が違って見えてくると思う。

◆ロボット選手はサッカーボールを見失う

 最初にあげた公式サイト(英語)によると、ロボカップの歴史はこのようなものだ。ロボットによるサッカーは'92年にカナダの研究者による論文で提唱され、これと独立に日本の研究者グループもこの年、会議を開いて可能性を検討した。国内のグループは翌'93年サッカーJリーグ創設の機運の中で、ロボットJリーグを目指したが、海外から直ちに国際的なものにして欲しいとの要望が寄せられ、日米欧に拡大してプロジェクトをワールドカップ級に格上げしたという。ゲームの枠組み、ルール作りには、大阪大やカーネギーメロン大で始まっていた研究、例えば「浅田研究室の紹介」に取り上げられている「移動ロボットの行動学習」などが基礎になった。

 公式サイトの簡略日本語版「ロボット・ワールドカップ・サッカー」に、なぜロボカップが求められるのかを始め、ルールや主な出場チームのロボット写真紹介などがある。必要性について例えば、災害現場に救助ロボットを投入したときに、進入路に物が落ちて戻れなくなるなど現場の状況は刻々変化するし、救助対象者も動くかも知れない。そうした中で自律的な判断が下せるロボットが必要なのだという。実際に移動ができる個体のロボットを使うゲームには、中型と小型の2種類がある。これは移動機能や視覚センサーなどのハードウエアを完備するだけでも大変で、どこの大学でも扱えるというわけではない。ハードウエアを必要としない仮想空間を設定して、個々の選手の判断・行動を各コンピューターが演じるシミュレーションゲームもある。その枠組みは、ロボカップの公式サーバになった電子技術総合研究所「インターネットサッカーサーバ」に詳しい。「サッカーサーバを用いれば、インターネットを介して、たとえばアメリカの計算機で動いているプログラムとヨーロッパの計算機で動いているプログラムとが日本の計算機上のサッカー場で対戦することも可能です。非公式にこのサッカーサーバのことを世界に向けて発信したところ、既に、アメリカ、カナダ、フランス、オーストラリアなど世界中から大きな反響が寄せられています」と、'96年段階の状況が語られている。

 さて、ロボカップ名古屋の本番はどうだったのだろう。シミュレーションゲーム部門に参加した青山学院大チームのレポートが「稲積研究室 Project MAGI」にある。このゲームの中で、個々のロボットにどう見えているのか示す画面がありイメージをつかみやすい。「参加レポート第壱日」は、「会場に入ると、すでに実機部門(本物のロボットを作ってサッカーをする)の試合が行なわれていた。お客さんも沢山入っている。これは大阪大学チーム対、理科学研究所、宇都宮大学、東海大学合同チームとの対戦の様子で、双方チームのロボットがボールを発見できなかったため、仕切り直し中と思われる」と、苦闘ぶりを伝えている。シミュレーション部門も悩みは同じ。「第参日」に「近畿大学第弐チームのメインプログラマーによると、やはりボールの捕捉ルーチンに問題があるらしい。どこのチームも悩みどころは同じ様である」と。静的な事物に対しては強くなった画像処理技術も、ボールが動き、他の選手も、そして自分が走るから背景も動く、動的な場面の連続にはまだまだ弱い。

◆人間型ロボットはここまで

 ロボカップに参加しているロボットは人間の形をしていない。人間よりずっと小さくて、ごろっとした円筒型に近い。'96年末に発表された本田技研の「ホンダ、自立歩行人間型ロボットの研究結果を発表」は、ちょっとしたショックをロボット研究者に与えた。身長180センチ、重量210キロで、運動の自由度に富んだ手足を持つ。「研究中のロボットは路面状況を自ら判断して歩行し、2本の手で各種作業を行なうことができます。このような機能をもつロボットは世界的にみても類がないものです」と誇る。詳細な技術内容は公表されていないが、床の段差も、階段の上り下りも軽快にこなし、操作は「オペレーターの遠隔操作とロボットの持つプログラムによる自律操作」と説明されている以上、自律的な判断ができる知能を持つはずだ。

 日本機械学会による「創立100周年記念特別国際シンポジウム『ロボットと未来社会』」が'97年8月に開かれている。その模様を特集したアスキーの「interneTV」で、このホンダ・ロボットが歩いたり、車を押したり、ナットを回したり、階段を昇降する場面が、動画で見られる。軽々と滑らかに動く姿は、是非見ていただきたい。

 インターネット上で読める人型ロボット研究についての論文として、東京電機大の「自律型人型サービスロボットの研究開発」をあげておく。この仕事は、人の腕によく似たアームを開発していることが特徴だ。「本物の人間の手は極めて巧妙に出来ており、その機構と機能を機械的に実現することは不可能である。更に、対象物の識別能力や絶妙な手指の動作は、大脳の働きを抜きにしては理解できない。本研究における我々の目的は、人の手を忠実に再現することではなく、人の手(と腕)を参考にして可能な範囲で実現することである。したがって我々の手は、機構的にかなり簡略化されたものであり、機能的にも当然制限が強いものであるといえる。しかし、それでも広く普及しているマニピュレータに比べると、人の手との類似性が非常に高い」。

 東芝による「人とビーチボールを打ち合うロボットの開発について」も次世代ロボットを予見させて面白い。「人間の音声による命令を認識し、指定された色のビーチボールを拾うことができます」「人間が打ったビーチボールの動きを瞬時に判断し、適切に相手に打ち返すことができます」という。「ロボット本体に取り付けられた高速画像処理が可能な2つの小型カメラによって、毎秒60枚の画像データを取り込み、色によって特定されたボールの3次元位置計測をリアルタイムで行ない、ボールの軌道を推定し、ボールを打ち返したり、落ちたボールを拾い上げることができます」。

 ロボカップのロボットたちが、人間サイズにまで拡大、進化してサッカーをする時が、遠い将来のことではない気がしてくる。一方、通産省は'98年度から、家庭で補助作業や介護をする人間型ロボットの実用化プロジェクトを、大学、企業多数の参加を求めて5年計画で進めることを明らかにしている。「日本のロボット研究」に情報源が集められている。

◆ペットロボットたちの感情

 「21世紀はバーチャル空間から、再び現実の世界に戻ってくると思っている。このロボットのように手で触れられる、あるいはニオイを感じたりできる、というように。それがマルチメディアの次のブームになるんじゃないか」と主張するのが「ペットロボット見参」だ。ソニーが開発した、子犬とも子猫ともつかない動作をする、胴の長さ22センチの「4足自律ロボット」。「頭をたたくとイヤイヤをしてすねる、かわいい動作もする」。そんなシーンを動画で見ることができるから、ペットになりうるか、自分の目で確かめてほしい。

 たまごっちのブームは下火になってきたが、この娯楽系人工知能が人の心に残した影響は軽視できないものになった。子供たちに死を扱わせることについて、欧米に上陸する際、いろいろな議論があった。自分のたまごっちのお墓を持つという行為が、インターネット上にせよ、結構、真剣に行なわれている。広島の寺院が開いている「たまごっちのおはか」ページのカウンターは、'97年2月から1年間で約7万件に達していた。お墓には子供たちが寄せた、かわいいメッセージとともに葬られている。

 流行しているパソコンソフト「ポストペット」にも死がある。電子メールの配達をしてくれるペットで、ウサギやクマなどのキャラクターからひとつ選ぶ。「ペットについて その2」は「ペットは独自のAIを持っており、自分のやりたいことを勝手にやっています。メールを出すとペットはメールを持って出かけます。相手がインターネットに接続していればメールをその場で届け、接続していなければ一定時間待ちます(そのあとメールを置いてきます)。そしてその行き帰りでモノを拾ったりへんな友人をつくったりする」と説明する。優しくすれば幸福な表情になり、面倒を見てもらえないと不機嫌になり、最悪の場合、家出する。そして、いつか「死」がある。死んだペットは復活しないが、死に際して主人宛にメールを出して往く。そのメールを読んで泣いてしまったとの告白をひとつならず見た。

 たまごっちにせよ、ポストペットにせよ、巧みにプログラミングされただけの仮構であることは、誰の目にも明らかだ。そんなAIロボットに感情なんか無いと断じるのは易しいが、果たして、さほど単純な話なのだろうか。「不易と流行(17)ロボットの感情・ロボットへの感情」は、上述の機械学会シンポでの状況を伝えて「この『ロボットの感情・ロボットへの感情』という問題を、多くの日本の専門家たちがこんなにホットに感じ、考えているとは私も思っていなかった。おそらくそれには、ロボットの劇画で一世を風靡し、世界的に日本の劇画映画の価値を高くした手塚治虫原作・虫プロ制作の『鉄腕アトム』以来の日本人のアニミスティックなロボットヘの親和感があるのであろう」と述べている。

 現在のマイクロプログラミング技術ならば、しかるべき場面でロボットに喜怒哀楽を表現させることは不可能ではないと思う。その時にロボットが「わたしは感情を持っています」と口にしても、おおかたの人は信じまい。では、神戸小学生殺人事件の少年被疑者が「ある一線を越えてから感情が無くなった」と述べたら、信じるだろうか。「人間だから感情は持っているべきだ」「ロボットだから感情は無い」との議論は極めて平板な形式論理に過ぎない。感情の存在している場所は個体の内部とは限らず、外部との関係の中にあると考えるべきだと、現実は示している。ペットロボットに感情があるかのごとく思い込める瀬戸際のところまで、機械文明が発達したことを認めるべきだろう。不気味なことに、特段の理由もなく中学生が女性教師をナイフでめった刺しにするなど、人間側がロボットに対して優越を誇っていた境界線を引き下げつつある。ロボットがしたのなら、原因をプログラミングのミスと呼ぶが。



【INDEXへ】

無料メールマガジンとして配信中。登録される方はこちらへ
【リンクはご自由ですが、記事内容の無断での転載はご遠慮下さい】

※ご意見、ご感想や要望はメールフォームで