第66回「ピル、バイアグラ、そして家族」

 申請から10年かけて、経口避妊薬ピルが認可される見通しになった。発売は秋とみられている。国連加盟国の中で、女性が避妊にピルが使えない国は日本だけとも言われ、そのくせ男性用の性的不能治療薬バイアグラは申請から半年足らずでスピード承認され、既に国内販売が始まっている。このちぐはぐぶりからも、薬害エイズをもたらした厚生行政の怠慢・恣意性がうかがい知れる。遊軍記者をしていたとき、ピルについて関心を持ったことがあるが、ついに記事にする機会を得なかった。予想価格は1カ月分で2000円から4000円くらい。ピルが広く服用されるようになれば、子供をつくるかどうかの主導権は、コンドームの使用を決める男性から、女性に移る。「空前の生涯独身時代」からこの連載コラムを始めた私にとって、ピル解禁は家族の姿を変える可能性到来であり、とても気になる。新しく登場した薬とともに、何が起きるのか、いま出来る範囲で考えてみたい。

◆国の怠慢はマスメディアの怠慢でもあった

 申請が出されたのは1990年だが、それ以前の前史がある。「低用量ピル」が医療関係者による客観的な証言として格好だろう。「1985年の9月から1986年1月の間に、日本母性保護医協会を始め、日本産科婦人科学会、日本医師会、日本家族計画連盟が厚生省に提出した、低用量ピル認可のための要望書に端を発し」「治験は全社を合わせると5000人以上の婦人を対象に行われ、得られた7万周期を超える成績によれば、避妊に失敗した症例は極僅かで、ほとんどの製剤で避妊効果は99%以上と非常に高い避妊効果が得られています。大きな問題もほとんど無く、各社共自社製剤の成績を基に、1990年7月より、厚生省へ申請」したのだ。しかし「1992年の3月に厚生省は、『公衆衛生上の見地』すなわち、『ピルを認可するとエイズが蔓延するのではないか』とのことで、認可を先送りすることを急遽発表し、その後認可は凍結の道のりを辿る」。その後は、私には不可解な環境ホルモン説まで出て足を引っ張った。

 不思議なことに、マスメディア側からほとんど異議の申し立てが無かった。新聞の家庭面などで散発的な注意の喚起はあったが、力のあるキャンペーンには至らなかった。ここに示された構図に、この国のメディアが抱える問題が濃縮されていると思う。

 全国紙の記者であっても、最初は地方支局に配属されてスタートする。地方紙の記者と同じ現場で仕事をする。その地方に根を下ろしている記者の強みは厚い人脈だが、それは逆にジャーナリストとしての手足を縛る可能性を持つ。ある県にいたとき、地元紙の政経部記者たちが「知事派」「反知事派」に分かれて紙面の上でも、県庁の内部でも勢力を拡大し合う姿を見た。せいぜい3、4年しか当地にいない全国紙の記者は、その県のローカルルールにとらわれない。おかしなことと判断すれば、まず国に全国水準の問題処理を尋ねることで取材の足場を確保する。地方版を含めた全国紙らしさはそこから生まれる。

 翻って、そうした目で在京のマスメディアを見ると、そこに巨大な「地方紙」が林立している観がある。遊軍の記者が何かを書こうとしても、適当な題材に巡り会わなければ不可能だ。しかし、ピルについて、いつでも書ける記者がいる。それは社会部で厚生省を担当している記者である。どの中央官庁にも担当の記者がついている。例えば原子力発電についてならば、通産省資源エネルギー庁を担当する経済部記者、科学技術庁を担当する科学部記者がそれ。皆が皆そうだと言っているのではないが、地方紙記者の悪しき例にあるように、その役所が何をしようとしているのかは一生懸命、取材する。しかし、していることの意味を見ない。あるいは、「これは、こうしない方がよいのではないか」といった視点を持てない。地方支局にいるころは国に尋ねれば良かったが、中央官庁を回っていると、その手法は使えなくなるのだ。あるいは、というよりも、物知りの官僚と同化することで、「特別」な情報を漏らしてもらえ、ステータスが上がるとの誤解があった。

◆臨床成績と性感染症の問題

 ピルもバイアグラも医師による処方が必要な薬になるが、健康保険の対象にはならないという。厚生省はバイアグラの認可が速かった理由について「ピルと違って病気の治療薬だから」と説明してきたが、それなら保険の対象にするべきだった。また、「病気」を理由に挙げるならば緊急用のピルは積極的に導入してもおかしくはなかった。緊急用とは、性交があった後に妊娠を防ぐために服用するピルである。

 「今週の話題」が「性交後ピル(モーニングアフターピル)については、以前にも書きましたが、その一つ『PREVEN』を」米国の食品医薬品局「FDAが許可しました」「ホルモン量が普通のピルに比較して多いだけでは、成分はピルに使われるものです。性交後72時間以内に2錠服用し、さらに服用から15時間以内に2錠服用するキットとなっています」「ピルは、飲み続けることで主に排卵を抑制して、妊娠を避けることが出来るのですが、同じピルが受精卵の着床を阻害することを利用したものが、性交後ピルです。この方法で、75%の妊娠が予防できたということです」と紹介している。

 総理府の「男女共同参画の現状と施策 第1部 現状」は「平成8年における強姦及び強盗強姦の認知件数は1,567件」と伝えているが、この数字が氷山の一角であることは誰でも知っている。完全でないにしろ、緊急用のピルが手に入るならば、被害者には救いになるはずだ。そして、予定外の妊娠で人工中絶に至るケースだって格段に減らせる。

 ピルの認可にあたって、副作用が問題とされた時期がある。厚生省の「経口避妊薬(ピル)の審議に関する情報について」に情報がある。それと少し質が違うが、「バイアグラ使用に関するFDAに対する重篤症例概要報告」で死に至った16症例が示されている。確かに心臓病の人には問題があるようだ。国内での医師処方には制限が加えられる。それでも、欲しい人は個人輸入に走るのだろう。ピルもそうだが、インターネット上で個人輸入のページを見つけることは、検索すれば簡単だ。バイアグラの効能については、米国泌尿器学会でのデータを引いては「今週の話題」が分かりやすい説明をしてくれている。改善の効果は71%で認められるが、偽薬で信じ込ませても36%に効果がある「げた」の上であることは理解しておいた方がよい。

 ピルを処方してもらうために医師を訪ねた女性には、性感染症の検査を受けることを積極的に勧めることになる見込みだ。やはり背景にはエイズ蔓延の心配がある。しかし、「日本の状況(平成9年2月末現在)」で見てもらえる通り、エイズ患者・HIV感染者の年間報告数は600人程度の段階だ。米国とは桁がふたつ違う。

 風俗営業のようなところで働く女性について、HIV抗体検査の報告もされている。関東、東海、関西、福岡地区について調べた「Commercial Sex WorkerのHIVおよびSTD感染状況」は「日本人ではいずれの地区もHIV抗体は陽性例は認められなかったが、関東A地区の外国人女性5例が陽性であった」と述べている。そうした外国人女性について、かなり詳細に調べた「来日外国人のHIV,STD感染状況、行動及び予防・支援対策に関する研究」があることも知っておいてよいだろう。これらの調査から感じとれるのだが、こうした女性は身を守るためにコンドームを使う意識が強い。

◆家族の姿は変わるのだろうか

 「活発化する若者の性行動」は、「未婚女性の性交渉の経験率」は「1998年に行った『第24回全国家族計画世論調査』からみると、8年前の調査と比較では14ポイントも上昇していることが示されている」と伝える。全体では34%が49%にもなっている。このページはさらに大学生や一般まで広げて各種の調査を紹介しており、その中で「不特定パートナーとの性行動」でのコンドーム常用率が5割を切っていることを示す。「つけるのは嫌なもの」、「セックスの楽しみが減る」、「不特定の相手にはふさわしい」、「特定のパートナーにとって不快なもの」との男性側の認識も指摘する。

 そして「この現実をみると、とても信じられない男社会の現実がみえてくる。女と男の好い関係を築くためには、女性が自ら確実に避妊ができ、しかも、性感染症も予防できる環境が要求されてくる。女性自らが確実に避妊できるようになると、相手に対しても、『私を望まない妊娠から守ってね』といえるようになる。セックスが対等になれる」との主張は正当だと思う。例として「人工妊娠中絶手術を受けた、19才の女性からのメール」。あえて引用はしないが、女性の弱さや哀しさが読みとれるだろう。人工妊娠中絶件数は、ひところより減ったと言っても、90年頃の資料でみると年間40万件台のレベルを維持している。

 昨年11月に開かれた「第82回人口問題審議会総会議事録」に、デンマークの人口研究センター研究所講師が招かれて話している。デンマークの合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の平均値)は1963年に低下し始め、83年になって上昇に転じたという。「出生率が低下したということは、それを可能にするさまざまな避妊方法が認められたからであります。1967年からピル、経口避妊薬が使われるようになり、1973年には中絶が合法化されました」「1980年代に入ると、若い女性の出生率が依然として低く、特にティーンエージャーの出生率は極めて低くなっています。ただ、25歳以上の女性の場合には出生率の増加、それからより高齢の出産においても増加が見られます」

 出生率が低下していく時期は、女性が働きに出ていった時期でもあり、結婚しないで同居形態のまま子供をつくる家族の形が広がった。そして、出生率が上がり始めた83年以降では、半数の子は同居家庭で生まれ「既婚女性とか小さい子どもを抱えている女性も含めて、全女性の85%が働いているという状況」になっている。

 デンマークのたどった道をそのまま通るとは思わないが、この国でもピルが家族の形を変える可能性は十分にあると思う。「日本の将来推計人口(平成9年1月推計)について」は、2007年に1億2,778万人のピークに達した後、急速に減り始めて2050年には1億50万人になるとしている。しかも、現在よりはるかに高齢化した人口構成であり、生産年齢人口は55%くらいしかないとみられている。現在、9000万人くらいある生産年齢人口が5500万人しかなくなるのだから、デンマークのように女性もほとんどが働く状況でなければ、国としての労働力が足りなくなろう。結婚したら家庭に入ってとの常識は、嫌でも崩れるのだ。

 デンマークは、みんな共働きの社会に合わせた政策に転換したという。この国でも子供を産む決定権と独立できる経済力が、これから徐々にではあるが女性の側に移行していくのは確かだ。政府の施策を含めて、これだけ男性側に甲斐性がないと、出生率の当面の低下はやむを得ないだろう。その先のストーリーについては、自分で推測して欲しい。いや、自分でつくり出すべきものだろう。