第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」
[This column in English]◆日本車の優位は失われた
自動車は1年にどれくらい生産され、売られているのだろう。「世界の自動車需要」を見ると「新車需要(1997年)は5,240万台で、うち乗用車は3,594万台」であり、「乗用車販売では、世界最大の自動車市場のアメリカが827万台、次いで日本は449万台、ヨーロッパではドイツが353万台、イタリア241万台、イギリスが217万台、フランス171万台」となっている。このうち、日本メーカーが生産している分は「世界の自動車生産」から引用すると「国内生産と海外生産(634万台)を合わせると、日本メーカーの生産車は1997年では1,732万台となり、世界の自動車の32%」に達している。改めてこうした数字を眺めると、自動車産業の大きさと、世界経済へ日本車がかくも深く入り込んでいる事実に気付かれよう。
自動車の問題は文系・理系を問わず、学問的にも面白い素材である。大学のウェブに各種レポートなど労作が多い。そのいくつかを引きながら話を進めていく。
「自動車産業は、戦後の1950年に生産台数は3万台に過ぎなかったものが、80年代には1000万台を超え、ここ40年の間にその生産台数は400倍にも激増した」と始まる「自動車産業における日米関係」。草創期に属する部分は「日本で本格的に自動車会社が設立されたのは33年の日産自動車、37年のトヨタ自動車に始まる」「当時の政府は、軍事上の要請から、自動車とくに軍用車の国産化をすすめるために、日本市場を支配していたアメリカ・ビッグ・スリーを締め出す目的で、『自動車製造事業法』を制定した。この法律にもとづいてトヨタと日産が許可会社となった」であり、戦後、トヨタが「偉大な田舎会社」を指向したのに対し、日産は中央に位置して政府や日本興業銀行と密接な関係を保ち、国策会社的な性格を持ち続けた。自動車量産の日本的な体制を確立したのはトヨタであり、その「かんばん方式」は有名だ。
「部品の見込み生産をやめて後工程で消費した分をその都度前工程で生産し、補充する方式である。そのさい、『かんばん』と称する生産指示票が前工程に渡されることからこの名がある。また、途中在庫が不要になるので無在庫方式ともいわれる。この方式の特徴は部品在庫をもたないノンストック方式であって、それを可能にしたものがジャスト・イン・タイム(JIT=指定時刻納品)と『少量頻回納品』とを組み合わせたものである」
こうした高効率の生産方式は国内各社に広がり、それぞれに品質管理(QC)の工夫、QCサークルによる自主管理などでノウハウを蓄積していった。やがて、生産工程に余分な贅肉を持たない「リーン」な生産システムと呼ばれるようになる。無駄なく安く、しかも高品質の車は、80年代、オイルショックによる小型・低燃費車を求める消費動向とも重なり、大量に対米輸出された。高い利益が得られる大型車ばかり造っていたビッグスリーは工場閉鎖・レイオフに追い込まれるが手も足も出ず、政府を動かして輸入制限に走る。日米自動車摩擦の発生である。
日本の輸出規制で「安かろう」だったはずの日本車はプレミア付きで販売されるようになり、「高いが高品質の車」になってしまう。しかし、米国側メーカーの反撃、技術的なキャッチアップはトヨタとGMの合弁会社などを経て始まる。しかも、急速に。
「日米貿易の問題点について」から「10.アメリカの対応及び変化(AFTER1985)」は言う。「アメリカ企業も日本車の価格競争力を含めた強い競争力は、実はそれまでのアメリカ自動車産業界の常識を破るような日本独自の生産方式に支えられている事に気づき始めたのである」「確かに品質だけ取り上げれば日本製に軍配が上がる事は間違いなかった。しかし、価格だけを取り上げれば米国製のほうが有利である事も事実であった。日本メーカーがコストで優位性を築くには時間が必要なように、米国部品メーカーが日本製部品の品質を超えるのにも時間が必要であるという理論は成立するのではなかろうか」
「日本の生産方式を導入してアメリカの生産体制を根本から変革させる一方で、アメリカ企業は工場閉鎖や人員削減に取り組んだり最先端の技術を駆使して向上の自動化を進めたりしてきた。例えば、80年代後半高収入益をあげたFordは1979年から86年の間に5工場閉鎖、4万人の人員削減、ロボット化などにより、総額50億ドルのコスト削減、60%の品質向上を達成、損益分岐点を420万台から240万台へと40%引き下げたと発表している。GMの北米事業の損益分岐点も1979年の554万台から83年の410万台に下がりクライスラーでは1980年の240万台から83年には110万台という損益分岐点の低下を実現した」
この基礎体力の上に、フォード・トーラス、GMサターンなど新たな商品作りが進められたのである。
◆日本的生産システムはパンドラの箱を開けた
もともと1車種何十万台と売れる北米市場では利益は出しやすく、逆に1車種1万台くらいしかない場合もある日本市場は、開発コストがかさんで儲けが薄い。日産より小さなホンダが元気である理由のひとつは、ヒット車を連発しているからだ。どこかのメーカーでヒットした車と「似ている車」がそろっている観が強い、現在の日産には、出来ない芸当だ。
ルノーも経営不振から国営化されたことがある。今でもフランス政府が大株主だ。それが立ち直って6430億円も日産に投資できる。「日本的生産システムの将来」は世界各国への日本的生産システムの浸透を紹介してくれる。もちろんフランスも入る。こうである。
「生産効率を上げるためにJITシステムやTQCの導入を行った。そして生産技術の自動化に加え、職制組織の改革や『かんばん』制・多能工制の導入が起こり、このような改革を行った企業は飛躍的に業績を上げたのだった」「QCサークル活動の導入によって様々な成果が現れている。第一に工具や部品の誤使用による無駄の大幅な減少がある。廃棄されていた部品のコストが百八十フランから八十五フランにまで減ったのである。第二に納期の短縮が上げられる。そして第三に段取り替え時間の短縮がある。この段取り時間の短縮はJITシステム成立のためには必要不可欠であり、このフランスの自動車工場では八時間かかったプレスの段取り替え時間が一、二時間に、二時間かかっていたものが十五分に短縮した」
日本の専売特許のように思われていた「リーン生産方式」は、世界中に広まってしまった。私はこれがもてはやされた始めた頃から、ふたつの点で懐疑的だった。まず、労働は人間文化であり、社会の存在のありようと密着している。その国の労働のありようを根こそぎ変えることが許されるのか。「1980〜90年代における欧州自動車産業のジャパナイゼーション」に、欧州導入での反発が紹介されている。「ヨーロッパ人たちが日本的システムを肯んじないのは、彼らの価値観が『個別の労働自体が価値を生む』という世界観にあり、日本的システムがそれを否定しているからである」と。「書評『ボルボの経験――リーン生産方式のオルタナティブ』」が論じているスウェーデン・ボルボ社の、ベルトコンベア式生産から離れたシステムが現れるのを見て、流石だと半ば安心した。ボルボ研究の第一人者は「リーン生産方式が,自動車の生産方式の最終の到達点ではないとしている」という。
もうひとつは、現実に起きていることである。総合的(全社的)品質管理TQCは偉大な成果を挙げたが、所詮はきちんと測定して統計データを採っていけば、誰にでも可能なことである。きちんとやり通すことは日本人の専売ではない。徹底的にやるという意味では、米国人に歩がある。例えば、米NASAと日本のNASDAがこなしている宇宙開発の精度レベルは、アルファベットひと文字の差ではない。大人と子供の差だ。リーン生産方式などに頼り切っていて大丈夫か、との危惧が現実になった。
生産の仕方に大差がなくなれば、開発や販売、間接部門の生産性が問題になる。例えばイタリアなどの工業デザインの素晴らしさに、まだ水をあけられていると思うし、ホワイトカラーの生産性は相当劣っていると多数の人が考えている。「ホワイトカラーの生産性を考える視点」は、米国のホワイトカラーの凄まじい仕事ぶりを、こんな形でレポートしている。
「AT&Tから分離独立した会社で」「通信分野の競争はすさまじく,この会社も生き残りをかけて,大幅なコスト削減に取り組んでいる。短期的にコストを下げる最も効果的な方法は,人員削減である」「ここ10年の間に,従業員数が約半分になっていた」「仕事の量は,以前に比べて,むしろ増えている。半分の人員で,同等かそれ以上の業務をこなせるのは,コンピュータと通信技術が発達したからである。担当者がコンピュータに直接打ち込むことによって,事務補助要員が必要なくなった。また,通信技術の進歩は,どこからでも会社のコンピュータへのアクセスを可能にした」「担当者ひとりひとりの仕事量は大幅に増えた。いまでは,自分ですべての書類を作らなければならないし,家にいても出張先でもコンピュータから離れることができなくなった。彼らの週実労働時間は,60時間を超えていると言われる」
リーン生産方式の普及は、果てしない競争へと続く禁断の箱を開いてしまった。自らその状況に入り込んでしまった我々には、ホワイトカラー問題と並ぶ重大なハンディキャップがある。右肩上がりの、ルーチンワークさえこなしていれば良い時代が去った今、この国の官僚と政治家の生産性の悪さが誰の目にも明白になってきたことだ。これは規制緩和とかとは別種の戦略問題だ。得ている賃金で額面通りの豊かさが実感できなければ、購買力だって変わってしまう。
◆環境問題、そしてアジア・カーの時代
この連載第18回「電池の革新が引っ張る先」は、シリーズ中で隠れたベストセラーなのかもしれない。地味なテーマに見えるが、ページ検索サイトからのアクセスが高レベルで続き、時に驚くほど多数になっていることがある。おそらく、電気自動車についての部分がキーワード検索にヒットするのだろう。そこでは燃料電池車についてはバスでしか触れていないが、最近の動きは乗用車でも急だ。便利なリンク集でもある「クルマの環境問題について 」から引用する。「1999年にクライスラー・ベンツはネカー4を発表した。2004年までに市販を目標にしている。最高速度90mph(145km/h)、巡航距離450kmで水素吸蔵合金の方式を採用」「燃料電池に対する投資額は14億ドル(約1700億円)の予定である。この投資の多さが年間の生産台数400万台以上の企業しか生き残れないという根拠にもなっているものと思われる」
国内各社ももちろん研究は進めているが、ベンツの姿勢は最初からコンパクトカーに積み込む想定であり、また、米国も国家的なプロジェクトとして取り組む姿勢を見せる。車の環境問題はアジアの東端に住む我々には、格別、重要な意味があると思う。連載第27回「酸性雨問題に期限が切られた」で指摘したように、アジアの環境汚染は国内の酸性雨に直結している。アジアのモータリゼーションはこれから本格化する。そこに大量投入される車が従来の発想で造られてよいのか。
パネルディスカッション「自動車産業の将来はどうなるか」には「世界のどこが特に成長性が高いのか。これはアジア市場が非常に成長性が高く、九四年の四七一万台から二〇〇五年には一〇一二万台と五〇〇万台強の増と予測されます」とある。そして、「動き出した21世紀のアジアン・カー」などを読んでいると、もっと環境問題を重視してアジア・カーを考えねばならないと思えてくる。経済レポートとして「環境と小型車で先行する欧州市場と日系メーカーの戦略」、あるいは警鐘として、スモッグで車の使用が規制されるほどの汚染を取り上げている「アジア・中南米をモータリゼーションから救おう!」を挙げておく。