第70回「コソボの悲劇〜連合国家解体は続く」

 北大西洋条約機構NATO軍による新ユーゴ空爆は発電所にまで及び、無差別攻撃の様相を明確にしてきた。欧州各国内でも批判が高まっている。若い読者から「何であれは起きているのか、あの周りの国ではどんな事が起きているのか教えてください」「すごく気になって朝のニュースを見ていると、ひどく壊れた建物を見るたびに胸が痛むんです」とメールをもらった。その4月半ばより、いっそう解決への道筋は見えにくくなっている。私のアドバイス分も含めて、いろいろと自分で調べた、この読者からは、4月末になって「日本とは程遠い感覚ですね。宗教とか民族とか・・・。改めて日本は平和な国だなと感じました」とのメールもいただいた。しかし、欧州からは極東の地にいる我々と、それほどに縁遠い問題なのだろうか。もしも太平洋戦争で負けていなくて満州国が残ったとしたら、満蒙入植者たちは遅かれ早かれ、コソボで起きているのと同じような苦しみをなめただろう。多民族国家はバルカン半島だけの問題ではなく、アジアの問題でもあり、連合国家の解体は世界中で進みつつある。

◆ユーゴスラビア崩壊の「想定」された起点

 ユーゴ崩壊について、インターネットで実に豊富な資料を手に入れられる。学術的なもの、現地報告と様々ある中から、コソボが持つ意味をジャーナリストらしい見通しの良さで説いている田中宇さんの「バルカンの憎しみとコソボの悲劇」を挙げたい。

 「ユーゴスラビア連邦が崩壊していく中で、政治権力を獲得したのが、セルビア共和国の大統領から新ユーゴスラビア連邦の大統領となったミロシェビッチ氏だった。民族主義傾向が強い彼は、民族意識の復活によってユーゴスラビアがバラバラになってしまうのなら、その前に国家体制をセルビアを中心とする形に変えてしまい、セルビアの武力によって他の民族の離反を防ぎ、ユーゴ連邦を維持しようと考えた」

 まず、多数派アルバニア系住民の不満がくすぶるコソボで、少数派セルビア人を扇動した。「ミロシェビッチ氏は、こうした歴史をセルビア人の側から解釈し、『イスラム教のオスマントルコが、キリスト教徒のセルビア人をコソボから追い出し、イスラム教徒のアルバニア人を住まわせた。セルビア人には、コソボを取り戻す権利がある』と主張する演説を、コソボの中心地プリスティナで行った」

 「ユーゴスラビアにおける民族戦争は、ミロシェビッチ氏が予期したコソボではなく、北方のクロアチア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナで相次いで勃発した。いずれも、共和国がユーゴ連邦から離脱して独立宣言した直後、領内のセルビア人が自分たちの居住地域を自治区にすると宣言し、セルビア軍がこれを支援して軍事介入して戦闘が拡大する、という構図をたどった。北方では、ミロシェビッチ氏が予測した通りの展開となったのである」

 ボスニア・ヘルツェゴビナでの悲惨を耐えられないほどに見せられた我々には、またコソボでもか、との思いがあるが、実は一連の悲劇の、あらかじめ計算された起点はここだったのだ。

 ユーゴの民族混在ぶりについて、「旧ユーゴスラヴィア諸国の現況」「ボスニアの民族共存について」で確認しておくとよい。東方正教会のセルビア人、カトリックのクロアチア人、両者と民族としては同じでもイスラム教を信じているためにムスリム人と呼ばれる人たち、そして、やはりイスラム教徒のアルバニア人、さらに周辺諸国から長い歴史の激動で移り来た人々。実際には各共和国、各都市に混在して住んでいた。象徴的な語呂合わせは、やはり引用しておきたい。「ユーゴスラヴィアという単一の政党(共産主義者同盟)が支配する連邦国家は、二つの文字を持ち、三つの宗教が存在し、四つの言語が話され、五つの民族からなる六つの共和国により構成され、七つの隣国と国境を接する」(ユーゴスラヴィア崩壊)。

◆ナショナリズムの前には国連も大国も無力

 ユーゴ現地からの情報を盛っている「千田 善のホームページ」は、空爆開始前の段階からコメント「NATOは勝てない」で明解な指摘をしている。「NATOは勝てません。なぜなら、ミロシェビッチが負けたと言わない限り、セルビア(新ユーゴ)は負けないルールになっているからです」「新ユーゴ軍の戦闘機や戦車を壊滅させることが(実際は無理だけれど)仮にできたとしても、政府(ミロシェビッチ)が公式に降伏ないし、NATO軍の受け入れを宣言しない場合、NATOはコソボに陸上戦闘部隊をすすめるとは思えません」

 武装ゲリラ「コソボ解放軍」(KLA)が支配する「地域では進駐が可能でしょうが、それでもKLAの武装解除は不可能。武装解除を強制すれば、NATO対KLAの戦争になる」「しかもセルビアは『レッドスター』と『パルティザン』のホームグランド。ユーゴ軍の歩兵部隊を含め、武装した住民の抵抗(ゲリラ戦争)が予想されるところに、良家の子女(じゃなかった)アメリカやイギリスの青年男女を送り込むことは、各国議会の猛反対を受けるでしょう」

 ベトナム戦争でなぜ米国が勝てなかったのか、思い起こせば、地上投入されたNATO軍の無力さは容易に想像できる。第二次大戦でドイツ軍から独力で国土解放を勝ち取ったチトーのパルチザンは、仮想敵国ソ連の侵攻時には同じスタイルで国を守ろうと構え続けてきた。ベトナム民族解放戦線より弱体だと思う人がいようか。

 「反NATOで『団結』」も現地情報をこう伝えている。「前回書いたノヴィサドでの歌手の発言『橋は失われたが、セルビア人の団結は強まった』というのが典型例ですし、連帯、一致といった言葉を聞かない日はないくらいです。セルビア人は団結して侵略に抵抗するんだ、ハンガリー人もジプシーも、平和を願うアルバニア人も一致してユーゴの主権を守るんだ、等々。私自身は『みんながみんな』というのは本能的に危ない気がしてしまうのですが、何せこれだけ空爆で軍事施設や軍人以外の被害が出てしまいましたから、反ミロシェヴィッチなんて言ってる場合か、みたいなところでみんな『団結』しています」

 「国連デイリー・ハイライト」は、空爆が始まる3月末段階への国連の動きを日々のドキュメントで伝えていて、こうした動向を知りながら、世界には為す術がないのだと、改めて感じる。引き続いて4月の「国連デイリー・ハイライト」には、民族浄化、虐殺についてのさらなる報告がある。例えば4月30日の項を引こう。

 「ここ数週間で最大規模となる1万6000人以上の難民が新たにアルバニアと旧ユーゴのマケドニア共和国へ避難し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)では、コソボ南西部でのエスニッククレンジング(民族浄化運動)が最終局面に入ったと警告を発した」「UNHCRの報告によると、8500人以上の難民がマケドニアへ、さらに7500人以上がアルバニアへ避難し、国境を越える難民の数は1時間に1000人にもなるという。コソボ側では国境へ向かう車が見渡す限り長蛇の列になっていると、現地の国連スタッフはコメントしている」

 空爆を始めて1カ月以上になって、何も解決しないばかりか、一般民衆への被害が拡大するありさまに、欧州各国も心安らかでない。ドイツの連立政権を担う「緑の党」からは平和主義の党是にもとると批判が噴出している。

 この問題について、英国ブレア首相のタカ派ぶりは想像できたが、同じ労働党ながら左派の闘将ベンは、議会で首相にかみついた。ロシア、中国の反対で国連安全保障理事会を動かせない首相の答弁は苦しい。

 その英国の足元にも、ナショナリズムが影を落としている。英国が「連合王国」であることは知られている。その北アイルランド問題はカトリック系過激派テロの激しさから有名だが、本島の主要な構成部分スコットランドにも独立の動きがある。5月6日には最後のスコットランド議会が開かれてから3世紀を経て、再び議会選挙が実施される。

 「スコットランドの静かな革命」は言う。「ウェールズ議会は、スコットランド議会と異なり、いかなる立法権も持たない。ましてイングランド地方議会を創設することは、予定もされていない。したがって1999年に選出されるスコットランド議会は、ウェストミンスターの中央議会に対する最初で唯一の反対勢力になると同時に、510万人のスコットランド人の熱烈な民族意識の象徴になるであろう」。スコットランドの人々が早急に連合王国を離脱するどうかは分からないが、小国であってもデンマークのような行き方を望んでいることは、理解しやすい。連合王国「各国」にフランスを加えたラグビー「国別」対抗戦、あるいはサッカーに燃やす民族の炎を、スポーツという限定空間に止まると考えるべきではあるまい。

 国家権力や警察権力などに「国」の煩わしさを感じる人でも、ワールドカップ中継には胸躍った人が多いはずだ。明確に「国」を応援して、いささかみっともない身びいきに走る。ミロシェヴィッチの圧政に疑問を感じても、守るべき「国」はひとつしかない。同じひとりの人間が「国」について採るスタンスは、国の内側に向いた場合と、外側に向いた場合とでは違う。NATOの正義は、セルビアの正義を押さえ込むどころか燃え上がらせた。セルビアにとって、アルバニア系住民は既にセルビア国家の外の存在であり、だからこそ追い出しているのだ。

 コソボ問題は単純にナショナリズムを燃焼させたのでは済まず、非常に厄介だ。ボスニアのように、セルビアから切り離したのでは片づかない。1912年のアルバニア独立の際にコソボはその一部になったが、その後の列強の干渉でセルビアに組み込まれた。アルバニア系が人口で圧倒的な比率を占めるコソボを分離すれば、やがてアルバニアとの合併が日程にのぼり、欧州における国境の全面見直しにつながる恐れがある。そうなればスペインのバスク地方など火種はいくつでも数えられる。

 「これが1996年現在、地球上で発生している問題だ!140個所 全リスト」を見ていただこう。どれほど民族問題が転がっていることか。この数は増えても減ることはない。

◆諸帝国の解体から諸国家の解体へ

 少し時間を戻って、ユーゴスラビアの崩壊はどうして起きたのか。チトー大統領の死後10年は、各共和国から輪番で大統領を出して何とか維持していた。チトーのユーゴというと、私にはソ連型と違う「自主管理」社会主義が印象に強い。東側世界から追放された結果であるにせよ、それをてこに非同盟の雄として戦後の世界の旗頭になった。「ユーゴ崩壊・自主管理社会主義」はこう述べる。

 「50年の『自主管理法』に続き、53年の新憲法でそのおおよその路線ができた。さらに、74年憲法がその集大成だと言われている。その特徴を一言でいえば、『生産手段の管理は国家の特権ではなく労働者の権利である』ということだ」「この制度は、どの社会主義国のよりも民主的で、労働者にとり理想的な制度であるように見えた。しかしこれはカトリーヌ・サマリ女史の指摘するように、『システムの公開性の欠如、決定の影響を受ける人々によるシステムに対する統制の欠如、したがって戦略的選択のためのマクロ経済レベルでの自主管理の欠如は、あらゆる形の連帯を掘り崩していった』のである」

 経済の効率は落ち、悪性のインフレが進行する中で、観光資源など「4つの宝」を持つ北の豊かな共和国は、自主管理思想ゆえに全体の犠牲になるのを嫌い、政治の中心を自負する南のセルビアは力で引き留めようとする。一方、ボスニアは中央部にあり豊富な資源と経済の結節点であり、ソ連からの侵攻に備えて武器を大量備蓄していたため、各共和国ともに勝手な独立は困ると考えていた。「紛争の概観」からは、こうした事情が読みとれよう。スロベニアの独立は短期間で達成されるが、クロアチア、ボスニアでの内戦は延々と続いた。

 不均等な経済発展、連邦諸国間の不平不満、ソ連崩壊の構図もこれだった。「帝国と国家の解体」で民族学者の梅棹忠夫さんはこう指摘する。「ソ連邦そのものも同じような運命をたどったんです。あれもいくつかの、まるで異質な国家の連合体であった。それがバラバラになってしまった。なおこれからもまだまだ世界の解体プロセスは続くと私は思います。20世紀を通じて、いくつかの大帝国が解体したんです。大英帝国も解体した。オーストリー・ハンガリー帝国も解体した。ドイツ帝国も解体した。大日本帝国も解体した。20世紀という時代は、既成の帝国の解体の時代である。まだ解体していない部分がかなりあります。中華帝国とロシア帝国です。これがどうなるか。21世紀の大きな課題です」

 「日本などは比較的、国内に異民族が少ない国で、大日本帝国は解体しましたけれど、日本国家そのものは解体の危機にさらされてはいない。しかし一般的には、諸国家は解体の危機にさらされております」

 「日本国家は単一民族国家だと言う人が多いですけれど、それは間違いですね。日本国家は大和民族とアイヌ民族の二民族国家です。この二つは文化的伝統が違いますから、はっきり二民族国家であるということを認めなければいけない。それを今まであまりはっきり認めてこなかったために、たくさんの悲劇が出ているわけです。最近ようやく立法化の動きがアイヌの中からも出てきているようですけれどね。これは早いこと、きちっとした民族としての権利を認める必要がある」

 この連載第7回「縄文の人々と日本人の起源」で、そのアイヌと沖縄人とが縄文人の血を濃く引いた人たちであることを説明した。第40回「安全保障とは国の生き方そのもの」を書いている際にも、沖縄の人たちにも独立を求める十分な根拠があるのではないか、との思いが私にはしていた。2000年のサミット先進国首脳会議を沖縄で開催する手法では、おそらく何も解決すまい。

 隣に目を転じると、中国も「五星紅旗」の星が示すように多民族国家である。梅棹さんの指摘のように、民族間の火種は既にチベット、モンゴル、あるいは新彊ウイグル自治区などで明らかになっている。台湾系の情報だが「闇の奥で増長するマフィア、軍閥、少数民族」という具体的な指摘もある。

 私はさらに、中国の経済発展が急であるために、地域による不均等さも激しくなっている点に、漢民族の間でも統一が維持できるかどうか、不安定要因が大きくなっているとみる。底流として次に紹介する思想がある。

 「虚君共和の夢───毛沢東の小中国論」は、中国共産党の初期方針は「蒙古,西蔵,新彊は自治邦を促進し,中華聯邦共和国をつくる」だったことを紹介している。さらにさかのぼると、毛沢東の戦前の著作は大中国をつくることをよしとせず「22省,3特区,2つの藩地,合計27地方が各省人民の自決主義を実行することだ。最良は27国に分けることである」としている。一国数千万の人口は国として維持するにも手頃である。1966年になっても毛沢東は「中央はやはり虚君共和がよろしい。 イギリスの女王も, 日本の天皇も,いずれも虚君共和である。 中央はやはり虚君共和がよく,政治の大方針だけを扱う。大方針でさえも地方からの争鳴によって作るのがよい」とまで述べている。一方で現在の中国指導部をみると、10億を超える人々を束ねていくカリスマ性は失われている。

 中国は内需喚起の切り札として、これまで国有企業が提供していた住宅の私有を認めた。新しいマンションが建ち、マイホーム取得に住宅ローンが組めるようになった。私有財産として住宅を認めた意味は大きい。上海など沿岸部を中心にした先進地域と、取り残された地域との格差はますますひどくなる。その背後に国有企業の不振・資金繰り悪化や国有ノンバンク債務超過など金融の危機が隠れており、破綻が生じたときには遅れた地域にも影響が及ぶだろう。人の移動の自由さえ認めていない、この国だからこそ、経済混乱が地域分立につながる可能性はおさえて置かねばならないと思う。

 次の世紀が、これまで見たナショナリズムの潮流にすべて押しまくられるとは言えまい。それに対峙するのが世界市民主義であり、具体的には活発化しているNGOなど市民団体の活動である。それは機会を改めて考えてみたい。