団藤保晴の
「インターネットで読み解く!」

第78回「臨界事故に見る行政側の背信」 (99/11/25)

 東海村の臨界事故は、この国の行政が原子力事故が起きたときに何が出来るのか、見事にあぶり出してくれた。発生直後に書いた連載第76回「臨界事故と揺らぐ原子力技術」で、科学技術庁の所管する組織が、いかにレベルが低い運営をしているか指摘した。H2ロケットの打ち上げ失敗まで加わって、次官が辞任する事態にもなっているが、そんな形式的な責任の取り方で収拾できる実態ではない。この事故で国と自治体の行政側が見せた行動は、国民の付託に対する背信行為であり、裏切りと言ってもよいものだった。

◆周辺汚染の恐れと東海村長の後悔・苦悩

 11月5日に科学技術庁で、原子力安全委員会のウラン加工工場臨界事故調査委員会が開かれている。「第5回会合議事次第」が公開されていて、そこで東海村の村上村長が苦渋に満ちた陳述をしている。

 「今回のジェイ・シー・オーの臨界事故によりまして東海村の評価は完全に地に落ちたと今のところ思っております」「海外からも汚染された地域とか、あるいは本国内からも危険な地域という評価になってしまった」

 「過日、オーストラリアの小学校の学童から千羽鶴を東海村にたくさんいただきました」「どうも広島、長崎、東海村という関連で見られているということでございました」

 村長が悩んでいるのは、村の対外的な評価だけではない。住民の健康に対して責任が果たせたのか。

 「私自身として本当に少ない貧弱な知識の中で避難勧告をせざるを得なかったということがこざいますが、結果として350mという避難になってしまいました」「私はいまだに自信がないところであります」

 9月30日の事故発生から3時間半ほど後の13時56分に、JCO側は何が根拠か明らかでないものの、村に対し500m圏内の住民避難を要請している。しかし、村は15時に350m圏内の住民にだけ避難を指示した。臨界の収束に見通しがつけられない30日夜、原子力安全委の内部でも、500m圏まで広げた方がよいとの意見が出たと伝えられている。結局は、「混乱を招く」との理由で放置された。

 村長はさらに国からアドバイスもないために、被曝した周辺住民が早い時期にホールボディー・カウンタを受けられず、検査は10月4日にもなってしまい、結果的に何の検出もできなかったと後悔している。今のところ問題視されているのは中性子線ばかりだが、確かに周辺住民の放射能汚染を心配させるデータが存在する。

 京大原子炉の「原子力安全研究グループ」が「原子力安全問題ゼミ」で公表している資料から、小出裕章さんの「JCO事故における被曝と放射能汚染問題」を参照して欲しい。放射性ヨウ素が事故当時から放出しっぱなしになっていた。10月8日になって排気筒のヨウ素濃度測定が始まり、その後、だんだん低くなっていく測定結果を「事故当時にまで外挿すれば、I-131、I-133では」法律で定めた「濃度限界の10倍を超えるような濃度であったことが分かる」。大量に発生して半減期が短いI-134も、住宅地が至近距離だっただけに心配だ。

 核燃機構が当日、敷地周辺でいくつか大気中のヨウ素測定をしていて、それほど濃い検出はされていない。しかし、今回の排気筒は平屋の手を伸ばせば届く高さにあり、原発のように高い場所からの排出ではない。十分に拡散しないで高濃度の放射性雲が住宅の間に流れていく可能性は否定できない。

 事故の際、テレビ放送を注視していたが、中性子線のことばかり言われて、放射性のガスが出ていることはアナウンスされなかった。フィルター類でつかまえられない希ガス放出は見当がついたから、この点だけでも説明が必要と思われた。しかも、人体に取り込まれやすい揮発性のヨウ素まで流れ出ているのなら、絶対に説明するべきだった。屋内待避をしても、すきま風のある木造家屋ならほとんど意味はなく、コンクリートの建物でも例えば煮炊きをして換気扇を回していたら外気中にいるのと同じだ。あのとき、住民はそんなつもりで屋内待避しただろうか。

 強制的に避難させるレベルに達しなくとも、誰でも放射性雲は避けたい。もしもの事故時には、取りあえず風上に避けるための情報を提供する義務が行政にあると私は思ってきたが、今回の事故は、行政側には「当面の混乱を避ける」意識しかないことを見せつけた。ヨウ素放出があったことを、小出さんたちがヨモギの葉から検出するまで、国民は知らされなかったのだから。

◆JCO作業員は現場に突入すべきだったか

 臨界を止めるために、JCOは社員を動員して溶解槽の冷却水を抜いた。この際、一部の作業員は職業人の年間被曝限度50ミリシーベルトはおろか、事故など緊急時に職業人に対して許される限度の100ミリシーベルトをも超える大きな被曝をしてしまった。

 このコラムの読者からこんな疑問をいただいている。「何故、バルブを破壊したのがJCOの社員なのか?」と。消防隊なり、自衛隊なり、税金で支えられている公共の部署が働くべきではなかったか、という疑問である。当事者だからといって、臨界管理ができなかった一民間企業にすべて任せていいのか。

 水抜きのための被曝量が伝えられているものより数倍も大きい可能性が高いとしたら、疑問を持たれる読者はもっと増えるだろう。

 事故当夜、原子力安全委は強制力はないものの、これ以上の被曝拡大を避けるためにと、JCOに収拾に動くよう求めた。職業人の年間限度50ミリシーベルトを超えるが、緊急時の100ミリシーベルトは超さないとの見通しを国から示されて、18人の「決死隊」が編成された。

 被曝の状況は「1999.10.01冷却水抜き取り作業について」に一覧表がある。ひとつ、後日訂正された点がある。まず写真撮影をした第1グループの「作業者2被曝線量」で、中性子線を示す「n1」は「11.92」ミリシーベルトしかないが、これは線量計の目盛りが「100」を超えてゼロに戻っていたためで、実際は「111.92」あった。

 問題は、このポケット線量計で、通常の原子力施設では熱中性子と呼ぶ、水で十分に減速された中性子しか相手にしない。裸の核分裂から出る極めてエネルギーの大きな高速中性子と、人が直接、出会うことはないからだ。線量計が熱中性子用のものならば最大なら5倍しないと、人体への影響を考えた正しい線量にならない。小出さんは「公表されている被曝線量の値はファクター3程度の過小評価である可能性が強く」「17人の作業員の被曝はすべて50ミリシーベルトを超えてしまうし、100ミリシーベルトを超えて被曝した作業員も10人近くになる」と指摘している。

 当時、中性子線の発生量はゆるやかに下がり続け、時間をかければ臨界が自然に停止する可能性があった。世界中が注視している中、住宅が多い地区の真ん中に裸の原子炉を出現させてしまった恥を、いつまでも晒し続けることも耐えられなかったかもしれないが、もう少し人間的な解決方法が模索されても良かったのではあるまいか。緊急時の被曝限度100ミリシーベルトを超さないとの予測には、原研も関与しており国・安全委と合わせて責任は重い。

◆住民の被曝はどれほどだったのか

 中性子線は高い透過力をもち、いろいろな物質を放射化した。現場から200メートルに住む住民が、自分で開設したホームページ「ほうどりのJCO臨界事故関連サイト」の「思った事」でこんなことを書かれている。

 東大や京大のグループが、住民の家にあった五円玉を借り受けて、それに含まれる亜鉛65の量から照射された中性子線を調べ、結果を住民に説明して回っている。「分析結果によると、我が家の中性子実効線量当量は、約12ミリシーベルト」これは避難しないで家に居続けた数字になる。「ちなみに、100m地点の家では、その値は100ミリシーベルトまで跳ね上がる」「なぜもっと早く避難できなかったのか。怒りは増すばかりだ」「もう、放射能とはそれでおさらばかと思っていた」「甘かった。ナトリウム、金などの限定された物質ではなく、家にある、ありとあらゆる物質が、中性子によって放射化しているのだ」

 今回の事故で心と体、そして身の回りの物質にと刻印されたものの重さを語って、厳粛な気持ちにさせられる。

 中性子線による被曝量は、線量計を持っていない住民一人一人について明確にするのは難しい。今回の臨界事故は最初の爆発的な部分と、その後のだらだらと継続した部分の二つに分けられる。最初の部分での放出が予想外に大きく、全体の半分近いと考えられている。一般人の年間被曝許容量は1ミリシーベルトだが、避難実施は事故発生から6時間もたっており、避難住民の多数はこれを超えてしまっただろう。現場に近い場所にいた人は、避難開始までに10ミリシーベルトを超す被曝だった可能性がある。

 今回の被曝問題について、インターネット上で科学者と思われる人の間でもかなり危うい議論がされている。過去には一般人の年間許容量が5ミリシーベルトだったことを取り上げたり、「発がんについて広島・長崎では25ミリシーベルト以下は有意な影響は出なかった」など、あたかも気にするかどうかの問題にしている。原子力資料情報室のような代表的批判派サイトが実証的で分かりやすい解説をしないために、臨界事故関連のリンク集に紹介されているサイトは、こうした議論をよく取り上げている。また、長い事故経過の一時点での計算を全体に拡大した、一見科学的でいて正確さを欠くものも入っている。

 まず、許容量が厳しくなった点について説明すると、人体の被曝についてリーダーシップを取っているのは国際放射線防護委員会(ICRP)で、それに決定的な影響を与えているのが、広島・長崎の被爆者データである。現在まで半世紀にわたって調査は続き、晩発性のがんの実態まで明らかになってきた。被曝線量の厳密な見直しなどデータ整備も進んだ。その結果、許容量が引き下げられたのだ。

 低い被曝線量の場合、有意な影響が無いのではなく、観測誤差の間に入って見えにくくなると理解する方がよい。一般の老化による発がんと、被曝が原因になって後日現れる発がんと、外部から見る限りは統計的にわずかに増えただけでは見分けにくい。しかし、発がんで死ぬ個人にとって一生の問題である。原子力・放射線という利器を使う半面で、個人の生を最低限守るとの思想で限度の体系は作られているとの社会的理解があると思う。現在の規制で十分かどうかは、また議論が分かれる。

◆原子力防災へ一歩、しかし本物か疑問

 茨城新聞の労組委員長が新聞労連の機関紙にレポートを寄せていて、「事故当日の午後、『線量が下がった』との県からの情報で、写真部員と報道部記者の二人が事故現場から約300メートルの地点まで近づいてしまった」という。公的な情報が信用できず、根拠のない、様々な情報が飛び交った様がよくわかる。

 このレポートは「今回の事故は民間施設だったが、事故後すぐに国が対応を引き継ぐべきだった」「本当に国民に知らせるべき情報がどれなのか、JCO担当者では荷が重かったと思う」とも主張している。

 原子力安全委員会の事故調査委は11月5日に「緊急提言・中間報告」を出している。これを読みながら考えたい。

 「科学技術庁に第一報がもたらされたのは、事故発生より約44分後の9月30日午前11時19分であり、この連絡を受け、現地の運転管理専門官が12時頃に株式会社ジェー・シー・オー東海事業所で状況把握を開始している。その後12時30分過ぎに科学技術庁から首相官邸へ連絡されている。午後1時頃、科学技術庁職員を東海村に派遣、午後2時には原子力安全委員会への正式報告がなされている」

 運転管理専門官に原子力について専門的知識さえあれば、早期に十分に事態の把握は可能だった。「専門官」と言いつつ、専門家ではないことをまず指摘しておきたい。

 「現在の我が国の制度では地方自治体に防災の責務があり、国は助言・指導を行う立場にあるが、実際には、原子力に関する専門的知見を多く有する国が相当程度の緊急時対応を行わなければ、適切な対応が困難であると言わざるを得ないことが今回の事故対応を通じて明らかになった」

 おやおや、いざという時は国が面倒をみるから防災訓練などに力を入れなくてもいいですよ、と指導してきたはずだ。東海村の村長も開いた口が塞がらない気持ちだろう。自治体が防災の責務を負うのなら原子力施設は出ていって欲しいと言い出すだろう。

 そして緊急提言の項は「原子力安全の確保は、たとえ国がどのように厳しい規制をかけたとしても、その規制によってのみ果たし得るものではない」として、第一に「企業内部における有効な監査体制の確立や、ISO9000シリーズ取得等の社外の制度を通じた安全確保を徹底すること」を挙げる。

 第76回「臨界事故と揺らぐ原子力技術」で、全社的品質管理(TQC)の波に洗われたかどうかで原発と科学技術庁所管施設の間に安全管理上、大きな落差が生じていると指摘した。ISO9000もTQCに似通った性格があり、ようやく気付いたともとれる。しかし、安全規制をする立場の国の機関が口にして良いものか。それを言い出してはおしまいである。

 東海村長は「日本版のNRCをつくってくれ」と切望している。2000人ものスタッフを有する米国・原子力規制委員会に対して、この国の原子力安全委員会は20人ほどの科学技術庁職員を事務局にするだけ。日本版NRCをつくる人的資源を決定的に欠いている。法律を整備して、各地に防災拠点をつくるというが、そんなスタッフがいただろうかと、たいていの原子力関係官庁・施設を知っている私は疑問に思う。必要な能力を持った人間は、農作物を刈り取るように手に入るものではない。



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