第85回「iモード狂騒に見る情報リテラシー」

 郵政省は5月下旬、1999年のインターネット利用人口が、前年比6割増の2700万人に達したことを明らかにした。人口普及率21%になる。NTTドコモの「iモード」を中心にした携帯電話によるサービス拡大が押し上げていて、今年に入って勢いはさらに加速している。5月の時点で、対抗しているEZwebの加入が200万台、J-Phoneが100万台、iモード側は700万台を超えるという。併せて1000万台、年内にさらに数百万台が上乗せされよう。米国、カナダのインターネット普及率40%は遠い存在に思えたのに、間もなく手が届くだろう。iモードは需要急増によるパンク騒ぎがマスコミでよく取り上げられるが、その狂騒ぶりは設備が足りないといった表面的な騒ぎではなく、この時代を生きる人にとって本質的な問題を顕在化させた。

◆ネット歩きを止められなくなった若者たち

 通常のパソコンによるインターネット利用は時間で課金されているが、iモードは呼び込んだデータ量で課金される。1パケット128バイト当たり0.3円。全角文字ならば64字分。ボタンを1度押すとこれだけネットからやって来る。一見すると安そうでも、意識しないでボタンを押しまくって毎月数万円も使ってしまい、悲鳴をあげている若者が増えている。

 「パケ値下げ推進の部屋」は、そんな人たちが、ドコモにパケット代値下げや割引制度を求める署名集めをしているサイトだ。いくつか意見を読んでみよう。

 「楽しめる、いろんな情報提供できるような携帯になったのに今のままじゃ高過ぎると思います。一度しだすと楽しくなりいろんなとこに散策しにいくのは当たり前のこと」「いろんなところで友達の輪が出来、そこからまた新たな付き合いが生まれるのです」「このパケ代の高さじゃいつもひやひやしながらで心底楽しめません。どうかいい方法で解決していただければと思います」

 「ひさびさにパケ代見てめっちゃたまげたっちゅうねん」「パケ代の難点は使用中は料金がわからん所や」「確認してびっくり、ちょっとはまるサイト見つけたら、ぁっちゅう間に1万円! もうそろそろ 値下げしても ええんちゃうの? 全ユーザーの年齢、職業、収入、いろいろ考慮してみて。ヨロシク。」

 「専業子育て中の主婦です。外界との接点が激減していた私にとって今や無くてはならないiモードです。でも、普通の主婦が使う金額をはるかに超えています。一般的な経済状態を反映した、金額設定にして下さい。」

 仲間内で使っていた携帯電話の限定空間が、iモードによって広い広いインターネットの世界に拡大してしまい、どこまで行っても終わりがない。いま面白いと思っているサイト以外にも何かある、きっとある。そう思えれば止まるところを知らなくて、ネット上を歩き回らずにいられなくなる。何の不思議があろう。

 現在のところ、iモードの平均使用金額は月1500円程度とされ、誰もが多額のお金を掛けているのではないが、iモードなどの携帯電話で見られるコンテンツはインターネットの同時多発・自律的な増殖力で、これから質も量も飛躍的に充実するはずだ。

 お金がかさんでも、iモードにはまる人は増え続けるしかあるまい。狂騒は続く。それを時代の風俗と見るのではなく、私は別の角度から捉える。この人たちは、自分が欲しい情報を的確に探し出す訓練を受けていないのではないか。さらに進めれば、自分が本当に欲しい情報が何なのかも、醒めた目で考えていないのではないか。

 情報リテラシーの能力に乏しい人たちが、大量の、何か面白い情報の海に投げ出されて、はしゃぎ回っているのだ。インターネット普及初期に、ネットサーフィンが止められなくなって寝不足になる人が出た。今度は、あれとは比較にならない規模で大衆化の波が押し寄せている。

◆情報リテラシーと情報教育ここまで、これから

 この国の教育制度の中に、情報を扱う科目はあったろうか。1993年度から始まっている中学校の「情報基礎」しか、該当する科目はない。技術・家庭科の中にある選択教科で、せっかく勉強しても他の科目に成果を生かすような運用にはなりにくい。

 もっと大きな問題点はその中身にある。私の連載第2回「100校プロジェクトと教育現場」で既に取り上げたように、コンピューター・リテラシーの側面が強すぎるのだ。そのため、「簡単な」と称してもプログラミングが是非ものとして組み込まれている。社会人になって使う可能性がほとんどないBASICのプログラムなどが、授業に使われた。コンピューター嫌いを作る元凶だと、私はいろいろな機会に指摘してきた。

 慶應義塾大文学部図書館・情報学科の平成10年度卒業論文のひとつ「中学校のコンピュータ教育における情報検索」が、現状についての実証的なレポートを提供してくれる。結論から言えば「多くの中学校で指導されている、インターネット検索でさえ、その教育は不完全なものである」「情報検索を教える目標、及び目的が明確でないことが分かった」という指摘になる。

 新しい「学習指導要領」に2002年度から変わる。今度は小学校の「総合的学習」の時間で情報教育をしてよいことになり、中学校では「情報基礎」が必須になる。「第8節 技術・家庭」を読むと、プログラミングの項目はさすがに「選択」にすることになった。ただ、大筋の内容としては現在と変わっていない印象である。情報検索の考え方も明確でなく、情報リテラシーとは遠い。「情報基礎」を技術・家庭科の中に作ってしまったボタンの掛け違いもそのまま残る。

 高校では普通科にも専門科にも新教科「情報」が新設される。普通科の「第10節 情報」を読むと、初めて「(2)情報の収集・発信と情報機器の活用」が現れ、「情報通信ネットワークやデータベースなどの活用を通して,必要とする情報を効率的に検索・収集する方法を習得させる」とある。しかし、この教科は現在、教科書作成中であり、どんな実体になるのか、まだ見えない。

 こういう現状だから、米国などからはかなりの後れをとっている。郵政省の平成10年度通信白書は「第3節 情報リテラシー」で、住民アンケート調査による日米比較を詳細に論じている。リテラシーの定義などに異論もあろうが、次の指摘はおおむね妥当だろう。iモード狂騒にも符合している感がある。

 「特に目立つ傾向としては、10代における日米の格差であり、PCリテラシーで20.3ポイント、ネットワークリテラシーで30.7ポイント、日本の方が劣っている」

 「次に目立つ傾向としては、性別である。各階層とも男性では日米格差がほとんど見られないのに対し、女性では、顕著な格差が見られ、PCリテラシーで21.3ポイント、ネットワークリテラシーで24.0ポイント、日本の方が劣っている」

 国としての対策は昨年、省庁間の垣根を超えたプロジェクトとして打ち出された。バーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」である。2005年を目標に中学なら「各教員がコンピューター・インターネット等を積極的に活用して」「子どもたちが興味・関心を持って主体的に参加する授業を実現する」とうたう。

 「学校における情報教育の実態等に関する調査結果 (平成10年度)」が示すように、学校のインターネット接続率だけは大幅に向上した。小学校27%、中学42%、高校63%である。

 やはり、一番の問題は先生に教えられるかだ。「4)教員に関する調査」にある通り、コンピューターで指導できる小中高の教員の割合がまだ4分の1程度にとどまり、コンピューターを使える先生にして6割弱である。しかも、「使える」はともかく、「指導できる」とする線引きが、私に言わせれば大甘なことだろう。

 情報リテラシーについて、きちんと考えている先生は少数だ。情報リテラシーとは、もう一歩進めればメディア・リテラシーにつながる。メディアが伝えるものの意味、あるいは価値を、相対的なものとして、あるいは対自的にとらえるのを、この国の人たちは苦手とする。それは送り手のメディア側も苦手とするところだが……。